第145話 共同戦線――砲火の中の約束
第145話 共同戦線――砲火の中の約束
帝政歴350年07月19日、午後16時24分頃。連邦共和国東部沿岸、第915旅団第二防衛線。
海岸線を覆う黒煙の向こうから、再び大和国軍の上陸艇が姿を現した。沖合では護衛艦艇が砲撃を続け、海面に立ち上がる水柱の間を縫うように、後続の上陸部隊が砂浜へ向かっていた。連邦共和国軍第915旅団が守る第二防衛線は、既に幾度もの砲撃によって一部が崩壊し、土嚢の隙間からは折れ曲がった鉄筋が突き出していた。
その塹壕の一角で、レイブン・S・クロウ《NoX》はBPSG-12の薬室を確認し、隣に立つエリシア・L・ヴォルハラムへ視線を向けた。
「負傷者は?」
「さっき後方へ搬送したわ。でも、衛生班も手が足りていない。担架を運ぶ兵士まで前線へ戻されているの」
「補給路は?」
「午前中に南側の道路を失った。北側も敵の砲撃を受けているから、いつまで使えるか分からない」
レイブンは塹壕の外を見た。
砂浜と防衛線の間には、破壊された装甲車両や土砂の盛り上がった砲弾孔が点在している。大和国軍の歩兵はそれらを遮蔽物として利用し、少しずつ連邦共和国軍の陣地へ近づいていた。
「随分と酷い状況だな」
「ええ。でも、新型弾薬がなかったら、もっと早く突破されていたと思う」
エリシアはHARの弾倉を軽く叩いた。
「装甲を着込んだ敵兵にも通用するし、射撃の安定性も悪くない。ただ、補給が追いついていないの」
「なるほど」
その時、左側の塹壕からガイル・ベッカー《Hound》の怒鳴り声が響いた。
「おい、そこの二人! 再会の感想文は後にしろ! 敵がまた来やがったぞ!」
レイブンが顔を上げると、海岸の廃墟から大和国軍歩兵が姿を現した。
「確認した。Hound、左側を頼む」
「了解! ったく、俺はいつから恋人同士の護衛係になったんだよ!」
「志願兵学校の頃からじゃない?」
エリシアが平然と返す。
「おい、そこは否定してくれよ!」
レイブンは思わず笑ったが、次の瞬間には表情を引き締めていた。
「SHADOW LADY、こちらNoX。第915旅団の防衛線を維持する。敵の接近を阻止しつつ、負傷者の後送経路を確保しろ。無理な追撃はするな」
『了解!』
帝国軍と連邦共和国軍。
つい数時間前まで、互いの軍事思想や指揮系統を警戒していた二つの軍隊が、同じ塹壕で肩を並べていた。
帝政歴350年07月19日、午後16時31分頃。第915旅団前線指揮所。
「帝国軍の特殊部隊が来ただと?」
第915旅団の前線指揮官は、通信兵からの報告を聞いて顔を上げた。
「はい。帝国軍舟艇部隊三隻が沿岸へ接近し、近接火力支援を実施中です。さらに、SHADOW LADYと名乗る地上部隊が防衛線に合流しました」
「SHADOW LADY……」
指揮官は戦況図へ目を向けた。
「帝国軍統合司令部からの連絡は?」
「共同戦線条約に基づく正式な支援部隊との確認が取れています。ただし、指揮権は帝国側が保持し、我が旅団との作戦調整を行う形です」
「分かった。通信回線を接続しろ」
数秒後、前線指揮所の無線機から若い男性の声が聞こえた。
『こちらNoX。帝国軍SHADOW LADY、現地指揮担当。第915旅団指揮所、応答願う』
「こちら第915旅団前線指揮所。支援に感謝する、NoX」
『こちらこそ。現在、貴旅団の左翼陣地に展開しています。防衛線の状況を共有していただきたい』
「敵は沿岸部に複数の橋頭堡を形成している。南側の補給道路は遮断され、北側も危険な状態だ。旅団主力は第二防衛線に残っているが、これ以上の後退は内陸の避難経路へ直接影響する」
レイブンは塹壕の中で携帯端末を操作しながら応答した。
『了解。舟艇部隊には沿岸からの火力支援を継続させます。ただし、敵艦艇の砲撃が強まれば退避が必要です』
「分かっている。こちらの砲兵も可能な限り支援する」
『それと、貴旅団の新型弾薬について確認したい。通常弾との補給互換性は?』
「一部の銃器では共通規格を使用しているが、すべてではない。帝国軍の銃器へ無条件に転用することはできん」
『了解。弾薬は各軍で管理し、救護と輸送を優先して協力しましょう』
「異論はない」
指揮官は短く息を吐いた。
帝国軍の将校と、これほど自然に作戦調整を行う日が来るとは思っていなかった。
「NoX、一つ聞いてもいいか?」
『何でしょう』
「君は、我々を信用しているのか?」
短い沈黙が流れた。
やがて、レイブンが答えた。
『まだ互いに知らないことは多いでしょう。ただ、今ここで戦っている兵士たちは、同じように生きて帰りたいと思っているはずです』
指揮官は無線機を見つめた。
『それで十分だと思います』
「……そうか」
彼は静かに頷いた。
「ならば、こちらも君たちを信用しよう」
帝政歴350年07月19日、午後16時39分頃。連邦共和国東部沿岸、帝国軍高速戦闘舟艇第一艇。
白い髪を後方で束ねたルナ・V・クロウ《Nyx》は、操舵席の前に広がる海岸線を見つめていた。
沿岸から数百メートル沖合では、三隻の高速戦闘舟艇が間隔を保ちながら航行している。ウォータージェット推進装置によって浅い海域でも機動できる利点はあったが、敵艦艇の砲撃と航空機の脅威を考えれば、同じ場所に長時間留まることはできなかった。
「第二艇、状況報告」
『第二艇、機関正常。弾薬残量六割。敵歩兵の接近を阻止しています』
「第三艇は?」
『第三艇、負傷者の回収準備完了。連邦共和国軍の衛生班と連絡中です』
「了解。無理に海岸へ近づかないで。敵の砲撃がこちらへ向いたら、すぐに回避して」
『了解!』
ルナは通信を切り替えた。
「こちらNYX。NoX、聞こえる?」
『こちらNoX。良好だ』
「お兄ちゃん、敵の上陸艇がまた増えてる。こっちも長くは居座れないよ」
『分かっている。第915旅団の負傷者を後送するまで、可能な範囲で支援を頼む』
「了解。でも、そっちも無茶しないでね」
『努力する』
ルナの眉がぴくりと動いた。
「……またそれ?」
『何がだ?』
「努力じゃなくて、約束してって言ったでしょ!」
無線の向こうで、Houndの笑い声が聞こえた。
『ぶははっ! また妹に怒られてやがる!』
『Hound、通信を邪魔するな』
『へいへい!』
ルナは呆れたように息を吐いた。
「まったく……」
その時、見張員が叫んだ。
「NYX! 沖合に敵駆逐艦を確認! 砲塔、こちらへ旋回中!」
ルナの表情が一変した。
「全艇、回避運動! 敵艦砲に注意!」
直後、沖合で閃光が走った。
数秒後、第一艇の後方に巨大な水柱が立ち上がった。
爆発の衝撃で船体が激しく揺れる。
「きゃっ!」
ルナは操舵席の手すりを掴み、身体を支えた。
「被害報告!」
「浸水なし! 機関正常!」
「第二艇、第三艇は?」
『第二艇、異常なし!』
『第三艇、至近弾! ただし航行可能!』
「了解! 敵艦との交戦は避ける! 全艇、沿岸の遮蔽物を利用して一時離脱!」
三隻の舟艇が一斉に進路を変えた。
ルナは歯を食いしばった。
「……お兄ちゃん、ごめん。少しだけ離れる」
『構わない。こちらは持ちこたえる』
「絶対に戻るから」
『ああ。待っている』
通信が切れた。
ルナは前方の海面へ視線を戻した。
「全艇、速力を維持! 味方の沿岸砲兵と敵艦の位置情報を共有して!」
彼女の白い髪が、開放された操舵席へ吹き込む潮風に大きくなびいた。
帝政歴350年07月19日、午後16時48分頃。第915旅団第二防衛線、南側接続塹壕。
敵の砲撃が激しさを増していた。
大和国軍の迫撃砲弾が防衛線の後方へ着弾し、連邦共和国軍の補給車両が炎上する。
「補給車がやられた!」
「消火班、急げ!」
「負傷者を下げろ!」
塹壕の中では、兵士たちが互いに声を掛け合いながら移動していた。
エリシアはHARを抱え、崩れた土嚢の横で膝をついた。
隣にはレイブンがいた。
「……随分と騒がしくなってきたわね」
「ああ。敵もこちらに増援が来たことを理解したんだろう」
「あなたたちが来てくれたおかげで、少しは時間を稼げている」
「それならよかった」
エリシアは彼の横顔を見つめた。
「ねえ、レイブン」
「何だ?」
「本当は、来てくれないと思っていたの」
レイブンが振り向いた。
「どうして?」
「帝国と連邦共和国は、ずっと対立していたでしょう? 共同戦線条約が結ばれたって聞いても、すぐに信じられなかった」
「俺も驚いた」
「でも、あなたが来てくれた」
エリシアは小さく笑った。
「……嬉しかった」
レイブンはしばらく彼女を見つめていた。
そして、静かに答えた。
「俺もだ」
その瞬間、塹壕の向こうからHoundの声が飛んできた。
「おい! また始まったぞ!」
エリシアが振り向く。
「何が?」
「お前らの二人だけの世界だよ! こっちは敵の弾を避けながら仕事してんだぞ!」
「ガイル!」
「はいはい、怖い怖い!」
Houndは笑いながら銃を構え直した。
しかし、次の瞬間には真剣な声になった。
「NoX、敵の装甲車が来た」
レイブンは塹壕の外を覗いた。
砂煙の向こうから、大和国軍の装輪装甲車が姿を現していた。
その後方には歩兵が続いている。
「……あれは厄介だな」
エリシアがHARを構えた。
「新型弾薬でも、あの装甲を正面から抜くのは難しいわ」
「分かっている」
レイブンは無線を開いた。
「こちらNoX。第915旅団指揮所、敵装甲車両を確認。対装甲火力の支援は可能か?」
『こちら指揮所。現在、対戦車班が移動中だ。到着まで数分かかる』
「了解。こちらで接近を遅らせます」
レイブンはHoundへ視線を向けた。
「Hound、敵歩兵を抑えてくれ」
「了解。装甲車は?」
「対戦車班が来るまで近づけさせない」
「……簡単に言ってくれるぜ」
レイブンはBPSG-12を構え直した。
「頼りにしている」
Houndは一瞬だけ目を丸くした。
そして、にやりと笑った。
「……そう言われちゃ、やるしかねえな」
敵装甲車の機関銃が火を噴いた。
銃弾が塹壕の胸壁を叩き、土砂が降り注ぐ。
「伏せろ!」
レイブンはエリシアの肩を引き、二人で身を低くした。
頭上を曳光弾が通過する。
「……っ!」
エリシアは息を整えながら、レイブンを見た。
「ありがとう」
「怪我は?」
「大丈夫」
「なら、まだ戦えるな」
「もちろん」
二人は再び銃を構えた。
その頃、塹壕の左翼ではHoundがSHADOW LADYの隊員たちとともに敵歩兵を牽制し、連邦共和国軍の機関銃班がその射撃を支えていた。
帝国軍の兵士が敵の動きを報告し、連邦共和国軍の兵士がそれに応じて火力を集中させる。
互いの言葉遣いや号令には違いがあった。
それでも、戦場で必要な情報は確実に伝わっていた。
「敵歩兵、装甲車の右後方!」
「確認した! 射撃開始!」
「弾倉交換!」
「援護する!」
帝国と連邦共和国。
異なる軍服を着た兵士たちが、同じ塹壕の中で互いの命を預け合っていた。
帝政歴350年07月19日、午後17時03分頃。第915旅団第二防衛線。
後方から連邦共和国軍の対戦車班が到着した。
「対戦車班、配置完了!」
「敵装甲車、距離四百!」
指揮官が双眼鏡を構える。
「目標確認。射撃許可!」
直後、対戦車兵器が発射された。
飛翔する弾体が敵装甲車へ命中し、車体側面から炎と黒煙が噴き上がる。
装甲車は急停止し、後続の歩兵が慌てて周囲へ散開した。
「命中確認!」
「敵装甲車、行動不能!」
塹壕の中から歓声が上がった。
Houndが大声で叫ぶ。
「よっしゃあ! ざまあみやがれ!」
レイブンは敵の後続部隊を警戒しながら、無線を開いた。
「こちらNoX。敵装甲車の停止を確認。第915旅団指揮所、現在の防衛線は維持可能です」
『了解。こちらも増援の到着を確認した。帝国軍の航空支援部隊が作戦海域へ接近中だ』
レイブンが顔を上げた。
「航空支援?」
『そうだ。共同戦線条約に基づく最初の航空支援部隊だ』
その直後、遠くの空から低いジェットエンジン音が聞こえてきた。
エリシアが空を見上げた。
「……来たの?」
レイブンも同じ方向を見た。
雲の切れ間から、複数の航空機が姿を現していた。
帝国軍の戦闘攻撃機だった。
その機体には、帝国軍の識別標識が描かれている。
「……ああ」
レイブンは静かに頷いた。
「どうやら、本格的な共同作戦が始まるらしい」
その時、インカムからルナの声が響いた。
『こちらNYX! NoX、聞こえる!?』
「良好だ」
『敵駆逐艦の砲撃を回避した! これから再接近するよ!』
「了解。無理はするな」
『分かってる! それと、お兄ちゃん』
「何だ?」
『エリシアさんと一緒にいるんでしょ?』
「ああ」
『じゃあ、二人とも絶対に生きて帰ってきてね』
レイブンは隣のエリシアを見た。
エリシアもまた、彼を見つめていた。
「……ああ。約束する」
『うん!』
通信が切れる。
エリシアは静かに微笑んだ。
「……優しい妹さんね」
「昔から、ああいう奴だ」
「あなたに似ているわ」
「そうか?」
「ええ。大切な人を守ろうとするところが」
レイブンは少し照れたように視線を逸らした。
「……そうかもしれないな」
その時、上空を帝国軍の戦闘攻撃機が通過した。
轟音が海岸線を震わせる。
続いて、沖合の大和国軍艦艇が対空射撃を開始した。
空には曳光弾が走り、海上では再び砲撃が始まる。
第二次世界大戦の開戦初日。
連邦共和国軍第915旅団は、帝国軍の支援を受けながら、辛うじて第二防衛線を維持していた。
しかし、大和国軍の上陸部隊は依然として多数の兵力を保持しており、戦闘が終わる気配はなかった。
レイブンはBPSG-12を握り直した。
エリシアはHARを構えた。
そして、二人は互いに背中を預けるように立った。
「エリシア」
「何?」
「必ず帰ろう」
彼女は微笑んだ。
「……ええ。一緒に」
その約束を交わした直後、再び敵の砲弾が防衛線の前方へ着弾した。
轟音とともに土砂が舞い上がる。
レイブンは銃口を上げ、前方へ視線を向けた。
「SHADOW LADY、戦闘継続! 第915旅団を支援する!」
『了解!』
帝国軍と連邦共和国軍による共同戦線は、砲火の中で少しずつ形を成し始めていた。
だが、その戦線を維持するためには、まだ数え切れないほどの戦いを乗り越えなければならなかった。
そして、遠く離れた大和国軍の旗艦では、次なる大規模攻勢の準備が進められていた。
戦争は、まだ始まったばかりだった。




