第143話 宿敵の握手――帝国・連邦共同戦線条約
第143話 宿敵の握手――帝国・連邦共同戦線条約
帝政歴350年07月19日、午前06時38分頃。連邦共和国東部沿岸、第915旅団防衛担当地区。
夜明けを迎えた海岸線は、黒煙と硝煙に覆われていた。
水平線の向こうから昇り始めた太陽は、海上に漂う煙によって赤黒く染まり、その光は砲撃で荒れ果てた砂浜を不気味に照らしていた。数時間前まで静かな漁村と港湾施設が広がっていた沿岸地域は、今や無数の砲弾孔と破壊された軍用車両が散乱する戦場へと変貌している。
連邦共和国軍第915旅団の前線陣地では、エリシア・L・ヴォルハラムが塹壕の胸壁にHARを預け、海岸方面を警戒していた。
金色の髪は戦闘用ヘルメットの下で束ねられ、頬には乾いた泥と煤が付着している。
彼女の隣では、同じ旅団に所属する女性兵士が、空になった弾倉を装備品入れへ押し込んでいた。
「……また来るわよ」
「ええ。見えている」
エリシアは照準器越しに海岸を確認した。
大和国軍の第一波上陸部隊は、連邦共和国軍の激しい抵抗によって一時的に進撃を阻止されていた。
しかし、その背後では第二波の上陸部隊が接近していた。
沖合には複数の輸送船と護衛艦艇が展開し、上陸用舟艇が絶え間なく海岸へ向かっている。
「敵上陸艇、第二波接近! 距離千八百!」
観測員の叫び声が響いた。
「砲兵隊、射撃準備!」
連邦共和国軍の指揮官が無線機へ怒鳴った。
「敵舟艇群を阻止しろ! 撃ち方始め!」
直後、後方に展開する砲兵陣地から轟音が響き渡った。
榴弾砲の砲口から閃光が噴き出し、砲弾が弧を描いて海上へ飛翔する。
数秒後、上陸艇群の周囲で巨大な水柱が立ち上がった。
一隻の上陸艇が直撃を受け、船体を大きく傾ける。
しかし、残る舟艇は速度を落とさなかった。
「……数が多すぎる」
隣の女性兵士が呟いた。
エリシアは答えず、HARの弾倉を確認した。
その弾倉には、従来の通常弾とは異なる、新型の軍用弾薬が装填されていた。
連邦共和国軍が近年開発を進めていた、新世代の強化徹甲弾だった。
弾芯には高密度合金が使用され、弾頭構造と装薬の改良によって、従来弾よりも優れた貫徹性能と飛翔安定性を備えている。
さらに、魔力耐性を持つ特殊被覆が施されており、異界由来の防護装備に対しても一定の効果を発揮する設計となっていた。
今回の戦闘では、大和国軍の新型防弾装備や軽装甲車両に対して、その性能が実証されつつあった。
「ヴォルハラム! 新型弾薬の残数は?」
指揮官が声をかけた。
「残り四弾倉です!」
「補給が来るまで持たせろ! 無駄撃ちはするな!」
「了解!」
エリシアは短く答え、再び海岸へ視線を向けた。
その時、上陸艇の艦首扉が開いた。
大和国軍歩兵が次々と飛び出し、海岸へ展開する。
「敵歩兵、上陸開始!」
「射撃許可!」
エリシアは照準器の中心へ敵兵を捉えた。
呼吸を整える。
そして、引き金を引いた。
乾いた銃声が響く。
新型弾薬が銃身を通過し、敵兵の防護装備へ命中した。
相手は衝撃を受けて倒れ込み、後続の兵士たちが慌てて遮蔽物へ飛び込む。
エリシアはすぐに次の目標へ照準を移した。
一発。
二発。
三発。
必要最小限の射撃で敵の前進を抑えながら、周囲の味方と連携して防衛線を維持する。
しかし、大和国軍の上陸部隊は次々と増援を投入してきた。
さらに、沖合の軍艦から艦砲射撃が始まる。
「敵艦砲、発射確認!」
観測員の声が響いた直後、海岸防衛陣地の一角で大爆発が発生した。
土砂とコンクリート片が空高く舞い上がり、爆風が塹壕の内部へ吹き込んでくる。
「伏せて!」
エリシアは隣の兵士の肩を掴み、咄嗟に身を低くした。
直後、頭上を無数の破片が通過する。
「……っ!」
耳鳴りが続いた。
数秒後、エリシアが顔を上げると、先ほどまで存在していた機関銃座が完全に破壊されていた。
「第三機関銃座、沈黙!」
「衛生兵! 負傷者を後方へ!」
怒号が飛び交う。
その混乱の中、連邦共和国軍の指揮官が無線機を握り締めた。
「こちら第915旅団前線指揮所! 敵第二波の上陸を確認! 防衛線の一部が突破されつつある! 至急、増援を要請する!」
しかし、返ってきたのは冷たい現実だった。
『こちら方面軍司令部。現在、複数の沿岸地区で同時に敵上陸が発生している。増援の即時派遣は困難だ』
「何だと!? このままでは海岸線を維持できん!」
『第二防衛線への段階的後退を許可する。部隊の戦闘能力を維持し、敵の内陸侵入を阻止せよ』
指揮官は歯を食いしばった。
「……了解した」
そして、周囲の兵士たちへ怒鳴った。
「全員、第二防衛線へ後退準備! 負傷者を優先しろ!」
エリシアはその命令を聞き、ゆっくりと海岸へ視線を向けた。
新型弾薬は確かに効果を発揮していた。
従来の防弾装備では阻止できなかった敵兵を倒し、軽装甲車両の進撃を遅らせることにも成功している。
しかし、弾薬だけで戦争に勝てるわけではなかった。
敵の兵力。
海軍による艦砲支援。
航空戦力。
そして、絶え間なく続く上陸部隊の増援。
それらすべてが、連邦共和国軍を徐々に押し戻していた。
「……悔しいわね」
エリシアが呟いた。
隣の女性兵士が答えた。
「でも、まだ負けてない」
「ええ」
エリシアはHARを握り直した。
「ここで終わらせるつもりはないわ」
帝政歴350年07月19日、午前08時15分頃。連邦共和国首都、共和国政府中央庁舎。
巨大な会議室には、張り詰めた空気が漂っていた。
長い会議卓の周囲には、連邦共和国政府の閣僚、軍高官、外交官たちが集まり、壁面の大型戦況表示装置には東部沿岸の戦況が映し出されていた。
赤色で示された大和国軍の上陸地点が、時間の経過とともに内陸へ広がっている。
「……東部沿岸の三つの防衛地区が突破されました」
参謀長が報告した。
「第915旅団を含む各部隊は第二防衛線へ後退中。新型弾薬によって敵の損害は増大していますが、敵の増援投入速度が我が軍の補充能力を上回っています」
連邦共和国政府の最高指導者は、無言で戦況図を見つめていた。
「海軍は?」
「沿岸艦隊が迎撃を継続しています。しかし、大和国海軍の航空母艦群と主力艦隊が沖合を制圧しており、我が艦隊は十分な反撃を行えていません」
「航空軍は?」
「敵航空部隊との交戦が続いています。複数の基地が攻撃を受け、航空戦力の集中運用が困難な状況です」
会議室に沈黙が広がった。
その時、外務担当閣僚が一通の文書を差し出した。
「……帝国政府から、正式な外交提案が届いています」
最高指導者が顔を上げた。
「帝国から?」
「はい」
「内容は?」
外務担当閣僚は文書を開いた。
「大和国軍による連邦共和国への侵攻を、地域全体の安全保障に対する重大な脅威と認定。帝国政府は、両国間の軍事的対立を一時停止し、共同防衛体制の構築を提案しています」
会議室がざわめいた。
「帝国と共同防衛だと!?」
「長年の敵国だぞ!」
「連邦共和国軍と帝国軍では、軍事思想も装備体系もまるで違う!」
「政治体制も文化も異なる! そんな相手と協力できるのか!?」
反対意見が相次いだ。
しかし、最高指導者は静かに手を上げた。
「……続けろ」
外務担当閣僚は頷いた。
「帝国政府は、両国の主権と政治体制を相互に尊重することを前提に、軍事情報の共有、補給物資の相互支援、海空軍による共同作戦、負傷者の救護協力を提案しています」
「帝国軍が我が国の領土へ入ることになるのか?」
「必要な場合に限り、連邦共和国政府の正式な承認を受けた部隊のみが展開するとのことです」
最高指導者は椅子へ深く腰を下ろした。
帝国と連邦共和国。
両国は長年にわたり、互いを最大の軍事的競争相手としてきた。
帝国は西側諸国型の軍事思想を基盤とし、個々の部隊の柔軟な判断と統合作戦能力を重視する。
一方、連邦共和国は東側諸国型の軍事思想を採用し、大規模な機械化部隊と縦深防御、集中した火力運用を得意としていた。
文化も、政治体制も、軍事制度も異なる。
それでも、今は共通の敵が存在していた。
「……帝国政府との直接協議を要請しろ」
最高指導者が告げた。
「閣下、本気ですか?」
「我々は今、国家の存亡を懸けて戦っている」
彼は戦況図を指差した。
「文化の違いで国民を見殺しにするつもりはない」
帝政歴350年07月19日、午前09時02分頃。帝国首都、帝国政府中央官邸。
帝国政府の最高指導者もまた、連邦共和国からの返答を待っていた。
執務室には軍務担当閣僚と外交官が集まり、大和国軍の侵攻状況を確認している。
「連邦共和国政府から、共同防衛協議への参加要請が届きました」
外交官が報告した。
帝国側の最高指導者は静かに頷いた。
「……ようやく、話し合う準備が整ったか」
軍務担当閣僚が口を開いた。
「しかし、連邦共和国は我が国と長年対立してきた国家です。軍事技術や機密情報の共有には慎重な判断が必要です」
「分かっている」
最高指導者は窓の外を見つめた。
「だが、今ここで連邦共和国が崩壊すれば、次に大和国軍がどこへ向かうか分からん」
「……確かに」
「我々は連邦共和国のためだけに動くのではない。帝国の安全を守るためにも、今は協力が必要だ」
その言葉に、閣僚たちは沈黙した。
やがて、最高指導者は机上の文書へ署名した。
「共同戦線条約の締結を進めろ」
帝政歴350年07月19日、午前11時30分頃。帝国・連邦共和国政府間、緊急外交通信会議。
両国の最高指導者が、暗号化された映像通信を通じて向かい合っていた。
帝国側の会議室には帝国旗が掲げられ、連邦共和国側の会議室には共和国旗が掲げられている。
画面越しに向かい合う二人の指導者は、長年にわたり互いの国家を警戒してきた人物だった。
最初に口を開いたのは、連邦共和国側だった。
『……このような形で、貴国と協議することになるとは思わなかった』
帝国側の指導者が静かに答えた。
「私も同じだ」
『我々は長年、互いを敵として見てきた』
「だが、今は共通の脅威が存在している」
『……そのとおりだ』
短い沈黙が流れた。
そして、帝国側の指導者が続けた。
「我々は、互いの政治体制を変えるために協力するのではない」
『では、何のために?』
「国民を守るためだ」
連邦共和国側の指導者は、しばらく画面を見つめていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
『……同意する』
両国の外交官が、条約文書の最終確認を開始した。
正式名称は、帝国・連邦共和国共同戦線条約。
両国は相互の主権と政治体制を尊重しながら、大和国軍による侵攻に対して共同で防衛行動を行うことを約束した。
軍事情報の共有。
共同作戦司令部の設置。
兵站と医療支援の相互協力。
海空軍による共同防衛。
そして、必要に応じた地上部隊の相互派遣。
ただし、両国の軍隊はそれぞれの指揮系統を維持し、共同作戦に参加する部隊のみが合意された統合作戦指揮体制の下で行動することとされた。
条約文書の最終頁に、両国の代表者が署名する。
帝政歴350年07月19日、午前11時47分。
帝国・連邦共和国共同戦線条約、正式締結。
その瞬間、両国の外交官たちが静かに拍手を送った。
画面越しに、二人の最高指導者が互いへ手を差し出すような仕草を見せる。
「……これから、よろしく頼む」
『こちらこそ』
長年にわたり対立してきた二つの国家が、初めて同じ戦線に立つことを決めた瞬間だった。
帝政歴350年07月19日、午後12時26分頃。連邦共和国東部沿岸、第二防衛線。
エリシアは塹壕の中で、新しい弾倉をHARへ装填していた。
周囲では連邦共和国軍の兵士たちが、次の攻撃に備えて防御陣地を整えている。
その時、通信兵が駆け込んできた。
「全員、聞いてくれ! 重大発表だ!」
指揮官が振り向いた。
「何だ?」
「帝国政府と連邦共和国政府が、共同戦線条約を締結した!」
一瞬、周囲が静まり返った。
「……帝国と?」
「本当なのか?」
「正式な政府発表だ! 帝国軍が我々の防衛作戦を支援することになった!」
兵士たちの間に驚きが広がった。
ある者は歓声を上げ、ある者は信じられないという表情で顔を見合わせていた。
エリシアは、しばらく何も言わなかった。
そして、ゆっくりと空を見上げた。
「……レイブン」
帝国軍所属の彼と、連邦共和国軍所属の自分。
長年対立してきた二つの軍に身を置く二人は、これまで幾度も異なる立場に置かれてきた。
しかし、今は違う。
帝国と連邦共和国は、初めて同じ敵に立ち向かうことを決めたのだ。
エリシアの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。
「……ようやく、同じ側で戦えるのね」
その時、遠くの海岸線から再び砲声が響いた。
大和国軍の第三波上陸部隊が、第二防衛線へ向けて進撃を開始していた。
「敵接近! 全員、戦闘配置!」
指揮官の怒号が響く。
エリシアはHARを構え直した。
金色の髪が、爆風に揺れる。
「……今度こそ、守り抜く」
彼女は照準器越しに敵兵を捉えた。
そして、引き金を引いた。
銃声が響き渡る。
その頃、帝国軍統合司令部では、連邦共和国支援のための部隊派遣計画が動き始めていた。
航空戦力。
海軍艦隊。
機械化歩兵部隊。
そして、特殊任務部隊。
その派遣候補の中には、先ほど大和国からの撤収に成功したレイブン・S・クロウ《NoX》の名も含まれていた。
しかし、彼はまだ知らなかった。
今回締結された共同戦線条約が、単なる軍事協力にとどまらず、帝国と連邦共和国の歴史そのものを大きく変える転換点になることを。
そして、遠く離れた戦場にいるエリシアと、再び肩を並べて戦う日が近づいていることを。
帝政歴350年07月19日。
第二次世界大戦の開戦初日。
長年の宿敵だった帝国と連邦共和国は、国家の存亡を懸けて初めて手を結んだ。
その歴史的な条約は、後世において《宿敵の握手》と呼ばれることになる。




