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黒鴉年代記 ~戦火を超えて、受け継がれる意志~  作者: @12
第二部:戦火の終焉と新たなる時代 第一章 交わる軍旗、影と戦乙女
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第141話 急流の救援者――NYX

第141話 急流の救援者――NYX


帝政歴350年07月19日、午前02時46分頃。大和国北東部沿岸山岳地帯、海岸要塞北西約十八キロメートル地点。

夜の山林に、再び銃声が響き渡った。

湿った土を踏みしめながら、帝国軍特殊任務部隊《SHADOW LADY》の隊員たちが険しい斜面を駆け下りていた。頭上では木々の枝が激しく揺れ、背後から撃ち込まれる銃弾が幹を削り、砕けた木片を周囲へ撒き散らしている。

先頭を走るガイル・ベッカー《Hound》は、肩越しに振り返ると、追撃してくる大和国軍歩兵へ向けて短い制圧射撃を行った。

「クソッ! まだ追ってきやがる! あいつら、どんだけしつこいんだよ!」

「Hound! 前を見ろ! 転ぶぞ!」

「分かってるって! 俺を誰だと思ってんだ!」

その直後、Houndの足元で木の根が跳ね上がった。

「うおっ!?」

彼は咄嗟に身体を捻り、転倒を避けたものの、背後を走っていた隊員から呆れた声が飛んだ。

「だから言ったでしょう!」

「うるせえ! 今のは地面が悪い!」

最後尾を走るレイブン・S・クロウ《NoX》は、そのやり取りを聞きながらも、背後の敵兵から目を離さなかった。

黒い猫耳が銃声の方向へ動き、金色と黒色のオッドアイが木々の隙間を捉える。

BPSG-12を構えた彼は、追撃部隊が接近するたびに足を止め、仲間たちが距離を稼ぐための援護射撃を続けていた。

「Hound、現在位置を確認しろ」

『了解! ……ったく、地図を見る暇くらい寄越せってんだ!』

「走りながらでも確認できるだろう」

『お前と一緒にすんな!』

無線越しに怒鳴り返すHoundの声に、レイブンは小さく笑った。

しかし、状況は決して楽観できるものではなかった。

当初予定されていた海岸への撤収は、既に不可能となっていた。

大和国軍は海岸要塞周辺の警戒態勢を大幅に強化し、沿岸道路には装甲車両と機動歩兵部隊を展開していた。さらに、海上では哨戒艇が巡回を開始しており、予定していた回収地点への接近は極めて危険な状態となっていた。

そのため、帝国軍統合司令部はSHADOW LADYに対し、当初の海岸撤収計画を破棄し、舟艇部隊による強行撤収へ切り替えるよう命令していた。

しかし、問題があった。

舟艇部隊との合流地点が、まだ確定していなかったのである。

「こちらNoX。通信班、救援部隊との連絡は?」

『現在も接続を試みています! 敵の通信妨害と思われる干渉が発生しており、応答が不安定です!』

「了解。継続しろ」

レイブンは短く答えると、再び背後へ銃口を向けた。

木々の間から大和国軍兵士が三名現れた。

「敵影確認!」

レイブンは引き金を引いた。

轟音とともにBPSG-12が火を噴き、先頭の敵兵が地面へ倒れ込む。

残る二名が遮蔽物へ飛び込んだ隙に、レイブンは後退した。

「全員、移動を続けろ!」

『了解!』

SHADOW LADYは再び山林を駆け抜けた。

帝政歴350年07月19日、午前03時08分頃。

山岳地帯を抜けた一行の前に、巨大な河川が姿を現した。

川幅は百メートルを超え、山間部から流れ込む大量の水が、海へ向かって激しく流れている。

両岸には切り立った岩壁が続き、下流側には河口へ通じる広い水路が形成されていた。

しかし、橋は見当たらなかった。

「……おい、冗談だろ」

Houndが立ち止まった。

「道がねえじゃねえか!」

先行していた隊員が地図を広げる。

「現在位置、河口から約六キロメートル上流。対岸へ渡るには橋まで迂回する必要があります!」

「その橋は?」

「ここから北へ約四キロです!」

Houndは思わず天を仰いだ。

「クソッ! 四キロも戻れるかよ!」

背後から銃声が聞こえた。

追撃部隊が接近していた。

レイブンは河川を見下ろした。

暗い水面には月明かりが反射し、流れの速い部分では白い波が立っている。

「……全員、川沿いに移動しろ」

「NoX、どうするつもりだ?」

「下流へ向かう。舟艇部隊が来るなら、この川を使える可能性がある」

Houndは一瞬、目を見開いた。

「おいおい、まさか泳いで逃げるつもりじゃねえだろうな?」

「必要ならな」

「マジかよ……」

その時だった。

通信担当者のインカムから、突然、雑音混じりの声が聞こえた。

『……こちら……NYX……応答せよ……』

通信担当者が顔を上げた。

「NoX! 未確認の味方通信を受信!」

レイブンが振り向く。

「内容は?」

『こちらNYX。帝国軍舟艇部隊。SHADOW LADY、応答せよ。繰り返す、こちらNYX』

その声を聞いた瞬間、レイブンの動きが止まった。

聞き覚えのある声だった。

幼い頃から何度も耳にしてきた、明るさと芯の強さを併せ持つ女性の声。

「……ルナ?」

Houndが振り向いた。

「ん? どうした?」

レイブンは通信担当者へ手を伸ばした。

「インカムを繋げ。今すぐだ」

「了解!」

通信担当者が接続を切り替える。

数秒後、レイブンの耳元に、先ほどの声が鮮明に響いた。

『こちらNYX。SHADOW LADY、現在位置を報告してください』

「こちらNoX。NYX、聞こえるか?」

一瞬の沈黙。

そして。

『……お兄ちゃん?』

レイブンの口元に、わずかな笑みが浮かんだ。

「久しぶりだな、ルナ」

『えっ!? ちょっと待って! NoXって、お兄ちゃんなの!?』

「そうだ」

『なんで先に言ってくれないのよ!』

「今、敵に追われている」

『……え?』

レイブンの声が一段低くなった。

「NYX、緊急救援を要請する。現在位置、大和国北東部沿岸、河口から約六キロ上流。敵歩兵部隊に包囲されつつある。負傷者二名、全員行動可能。舟艇による即時回収は可能か?」

通信の向こうで、ルナの声色が変わった。

『了解、NoX。こちらNYX。現在、三艇編成で河口から遡上中。そちらの位置を確認した』

「到着まで?」

『約二分』

「了解。こちらは河岸で待機する」

『お兄ちゃん』

「何だ?」

『絶対に、全員連れて帰るから』

レイブンは静かに答えた。

「頼んだぞ、ルナ」

通信が切れる。

Houndがニヤニヤしながら近づいてきた。

「おいおい、今のNYXって、まさかお前の妹か?」

「ああ」

「マジかよ! あの小さかったルナが、今じゃ舟艇部隊の指揮官か!」

「そういうことだ」

「いやあ、時間が経つのは早えな!」

「感傷に浸るのは帰ってからにしろ」

「へいへい!」

その直後、背後の森林から激しい銃声が響いた。

「敵接近! 距離百五十!」

「全員、河岸へ下がれ!」

レイブンの命令で、SHADOW LADYは岩場を利用して防御態勢を取った。

敵兵たちは山道から次々と現れ、河川へ追い詰められた一行を包囲し始める。

大和国軍の指揮官が怒鳴った。

「逃がすな! 川へ追い込め!」

機関銃が火を噴いた。

銃弾が岩壁を叩き、破片が飛び散る。

Houndは岩陰から銃を構え、短い射撃を繰り返した。

「クソッ! こいつら、まだ諦めねえのかよ!」

「Hound、残弾は?」

「あと三本! そろそろ厳しいぞ!」

「十分だ」

「何が十分なんだよ!?」

レイブンは川の下流へ視線を向けた。

遠くから、低いエンジン音が聞こえてきた。

最初は小さな振動だった。

しかし、数秒後には、複数の高出力エンジンが水面を震わせる轟音へと変わっていた。

「……来たな」

レイブンが呟いた。

その直後、通信が入る。

『こちらNYX! NoX、聞こえる!?』

「良好だ」

『あと三十秒で到着! そっちの状況は!?』

「敵に包囲されている。河岸からの回収は困難だ」

『了解! じゃあ、予定変更!』

「何をする?」

『全員、川に飛び込んで!』

Houndが目を剥いた。

「はあ!? 今なんつった!?」

ルナの声が続く。

『流れに乗って下流へ! こっちで拾う!』

レイブンは一瞬だけ川面を見た。

流れは速い。

しかし、全員が装備を保持したまま飛び込めば、危険は避けられない。

それでも、敵の包囲網が閉じつつある以上、他に選択肢はなかった。

「……了解」

レイブンは無線を開いた。

「SHADOW LADY、全員に告ぐ。これより河川へ飛び込み、舟艇部隊による回収を受ける!」

『了解!』

「負傷者を優先しろ! 互いに離れるな!」

隊員たちが一斉に動き始めた。

最初の二名が河岸から飛び込む。

水しぶきが上がり、黒い水面に姿が消えた。

続いて、負傷者を支えた隊員たちが次々と飛び込んでいく。

Houndは最後まで岩陰に残り、敵の接近を阻止していた。

「NoX! お前も早く来い!」

「先に行け!」

「またそれかよ!」

「命令だ!」

「……クソッ! 絶対に来いよ!」

Houndは最後の弾倉を撃ち切ると、銃を身体へ固定し、勢いよく河川へ飛び込んだ。

大きな水しぶきが上がる。

残されたのはレイブン一人だった。

彼はBPSG-12を構え、接近する敵兵たちを牽制した。

銃声。

一発。

二発。

三発。

敵兵たちが岩陰へ身を隠す。

レイブンは最後に周囲を確認した。

全員が河川へ入ったことを確かめる。

「……よし」

彼は銃を背中へ固定すると、岩場から大きく跳躍した。

夜空に黒い影が舞う。

そして。

ザバァァァンッ!!

冷たい水が全身を包み込んだ。

激しい流れが身体を押し流し、装備の重量が水中へ引き込もうとする。

レイブンは身体を捻り、水面へ浮上した。

「……っは!」

息を吸い込んだ瞬間、背後から銃声が響いた。

大和国軍兵士たちが河岸へ駆け寄り、水面へ向けて発砲していた。

「逃がすな! 撃て!」

曳光弾が水面を切り裂く。

その時だった。

下流から、三つの巨大な水しぶきが迫ってきた。

ウォータージェット推進によって高速航行する、帝国軍の高速戦闘舟艇だった。

三艇は河川の流れをものともせず、猛烈な勢いで接近してくる。

先頭艇の艦首には、帝国軍の識別標識が描かれていた。

そして、操舵席には一人の女性が立っていた。

銀白色の月光に照らされた髪。

黒い猫耳。

鋭く前方を見据える瞳。

ルナ・V・クロウ《Nyx》。

「目標確認! 全艇、回収配置へ!」

『了解!』

「敵歩兵、両岸に展開! 味方との位置関係に注意!」

『射界確認!』

ルナはインカムへ声を張り上げた。

「全艇、援護射撃開始!」

直後、三艇の機関銃が一斉に火を噴いた。

ダダダダダダダダッ!!

猛烈な銃声が河川全体へ響き渡る。

大和国軍兵士たちは突然の銃撃に驚き、岩陰や樹木の裏へ飛び込んだ。

「なっ!? 舟艇だと!?」

「敵の増援だ!」

「伏せろ!」

河岸の土砂が跳ね上がり、敵の機関銃陣地が沈黙する。

レイブンは水面に浮かびながら、その光景を見ていた。

一度、瞬きをした。

次の瞬間には、三艇が既にSHADOW LADYの隊員たちを取り囲むように配置され、両岸の敵兵へ猛烈な援護射撃を浴びせていた。

「……見事だ」

レイブンは小さく呟いた。

先頭艇が彼の方へ接近してくる。

エンジン音が低くなり、船体が水面を滑るように速度を落とした。

「NoX!」

聞き慣れた声が響いた。

レイブンが顔を上げる。

そこには、舟艇の縁から身を乗り出すルナの姿があった。

「お兄ちゃん! 手を!」

レイブンは右手を伸ばし、舟艇の縁を掴んだ。

濡れた手袋が金属製の船体を捉える。

その瞬間。

レイブンは妹の手を握り返した。

ルナが力を込め、近くの乗員とともに兄の身体を引き上げる。

水を滴らせながら甲板へ上がったレイブンは、ようやく大きく息を吐いた。

月明かりを受けたルナの白い髪が、河川を吹き抜ける夜風になびいていた。

「……迎えに来たよ、お兄ちゃん」

「……大きくなったな、ルナ」

「もう子供じゃないんだから」

レイブンが小さく笑った、その時だった。

『……NoX?』

インカムから、聞き慣れた女性の声が届いた。

レイブンは反射的に耳を動かした。

「……エリシア?」

『よかった……本当に、よかった……』

その声は、いつもの落ち着いた彼女とは違っていた。

明らかに安堵している。それでいて、わずかに震えていた。

『通信が途絶えたって聞いて……それから、敵に包囲されているって報告まで入ってきて……』

「心配をかけたな」

『……本当よ。あなた、いつもそうなんだから』

レイブンは申し訳なさそうに笑った。

「すまない」

『……怪我は?』

「問題ない。少し濡れただけだ」

『本当に?』

「ああ。SHADOW LADYも全員無事だ」

通信の向こうから、長い息を吐く音が聞こえた。

『……そう。よかった』

数秒の沈黙が流れた。

そして、エリシアが静かに続けた。

『レイブン』

「何だ?」

『……おかえりなさい』

レイブンの表情が柔らかくなった。

「……ただいま、エリシア」

そのやり取りを隣で聞いていたルナが、嬉しそうに微笑んだ。

「ふふっ。エリシアさん、すっごく心配してたんだよ?」

『ちょっと、ルナ!』

「だって本当のことだもん!」

『もう……!』

レイブンは思わず笑ってしまった。

すると、背後からHoundの声が飛んできた。

「おーい! そこの仲良し三人組! 感動の再会はいいけどよ、まだ敵地のど真ん中だぞ!」

「分かっている」

「だったら早く帰ろうぜ! 俺はもう川遊びなんざ御免だ!」

ルナは笑みを浮かべたまま、操舵席へ向き直った。

「了解! 全艇、撤収開始!」

三艇のウォータージェット推進装置が唸りを上げる。

レイブンはインカムへ最後に声をかけた。

「エリシア」

『何?』

「帰ったら、ゆっくり話そう」

『……ええ。待ってるから』

「約束する」

『絶対よ?』

「ああ」

通信が終了すると、レイブンは隣に立つルナへ視線を向けた。

白い髪を夜風になびかせながら、妹は前方の水路を見据えていた。

幼い頃、自分の後ろを追いかけていた少女は、今では部下と舟艇を率い、兄の命を救う立派な指揮官になっていた。

「……頼もしくなったな」

「ふふっ。もっと褒めてもいいんだよ?」

「調子に乗るな」

「もう! お兄ちゃんの意地悪!」

二人の笑い声が、エンジンの轟音に混じって夜明け前の河川へ消えていった。

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