第140話 交渉決裂――月下の銃声
第140話 交渉決裂――月下の銃声
帝政歴350年07月18日、午後23時21分頃。大和国沿岸部、海岸要塞北西側山岳地帯。
夜の山中に、不気味な静寂が訪れていた。
つい数分前まで激しい銃撃戦が繰り広げられていた旧監視所周辺では、硝煙が夜風に流され、砕けた石壁の隙間から白い煙が立ち上っていた。斜面に散乱した薬莢が月明かりを反射し、遠くの海岸要塞からは探照灯の光が周期的に夜空を横切っている。
崩れかけた石壁の前に立つレイブン・S・クロウは、BPSG-12を胸元で保持したまま、大和国軍の装甲車列を見据えていた。
金色と黒色のオッドアイは、先頭車両の傍らに立つ将校の姿を捉えている。
『帝国軍の〈塹壕の悪魔〉……本当に貴様なのか?』
拡声器越しに響いた声には、明らかな警戒が混じっていた。
レイブンは一歩だけ前へ進み、落ち着いた声で答えた。
「先ほど名乗ったとおりだ。そちらの指揮官と話がしたい」
将校は返答せず、傍らの兵士へ何かを指示した。兵士は装甲車の後部へ駆け寄り、無線機を操作し始める。
その様子を石壁の陰から見ていたガイル・ベッカー《Hound》が、レイブンの背中へ声をかけた。
「おい、NoX。あいつら、本当に話し合う気があんのか?」
「少なくとも、今は撃ってこない」
「今は、な。俺にはどう見ても、時間稼ぎしてるようにしか見えねえんだが」
「同感だ」
「だったら何で前に出てんだよ!」
「向こうが何を知っているのか確かめたい」
レイブンの返答に、Houndは呆れたように息を吐いた。
「ったく……相変わらず肝が据わってやがる」
方陣を形成していたSHADOW LADYの隊員たちは、依然として四方への警戒を維持していた。北側では二名が交互に周囲を監視し、西側では負傷した隊員が応急処置を受けている。通信担当者は暗号化無線で周辺の電波状況を確認していたが、海岸要塞方面から発せられる大和国軍の通信量が急激に増加していることに気づいていた。
『NoX、こちら通信班。敵の無線交信が増加しています。内容は不明ですが、要塞方面から複数の部隊が移動している可能性があります』
「了解。監視を継続しろ」
レイブンは短く返答した。
その時、装甲車の傍らにいた将校が再び拡声器を持ち上げた。
『帝国軍のレイブン・S・クロウに告ぐ! 私は大和国陸軍、沿岸防衛第七連隊所属、黒田正信少佐である!』
「黒田少佐か。話ができるならありがたい」
『貴様らは我が国の領土へ無断で侵入し、我が軍の兵士を殺傷した! これは明白な敵対行為である!』
レイブンの表情がわずかに険しくなった。
「最初に発砲したのはそちらだと報告を受けている。我々は交戦を避けようとした」
『武装した外国軍兵士が、夜間に我が国の軍事施設周辺へ降下しておいて、交戦を避けるつもりだったと?』
「その点については否定しない」
黒田は一瞬、言葉を失った。
レイブンは続けた。
「だが、こちらの隊員が攻撃を受けた以上、部下を守るために反撃する。それは理解してもらいたい」
『貴様……随分と勝手な理屈を並べるものだな』
「そう聞こえるだろうな」
『ならば武器を捨てて投降しろ! そうすれば身柄の安全は保証する!』
レイブンは少しだけ首を傾げた。
「一つ聞きたい」
『何だ?』
「大和国は、帝国と正式に交戦状態に入ったのか?」
その問いに、黒田の表情が変わった。
周囲にいた大和国軍の兵士たちも、互いの顔を見合わせる。
『……その質問に答える義務はない』
「なら、もう一つ。連邦共和国軍との戦闘は始まっているのか?」
『貴様に答える必要はないと言ったはずだ!』
レイブンは黒田の反応を静かに観察した。
帝国と連邦共和国は長年にわたり対立してきたが、大和国の動向は両陣営にとって無視できない問題だった。特に近年、大和国軍が海軍戦力と航空戦力の増強を進めているという情報は、帝国軍情報部にも届いていた。
しかし、今回の作戦でレイブンたちに与えられていた情報は限定的だった。
大和国の軍事施設を調査し、海岸防衛網の実態を確認する。
それが表向きの任務だった。
だが、目の前の大和国軍の反応は、単なる領土侵犯事件に対するものとは思えなかった。
「……なるほど」
レイブンは小さく呟いた。
黒田が拡声器を握り直す。
『最後の警告だ! 十秒以内に武器を捨てろ!』
Houndが石壁の陰から顔を出した。
「おいおい、今度は十秒かよ。随分と短気な野郎だな!」
「Hound、黙っていろ」
「へいへい」
レイブンはゆっくりと右手を上げた。
黒田がその動作を見て、わずかに安堵した表情を浮かべる。
しかし、次の瞬間、レイブンの声が山中に響いた。
「黒田少佐。こちらからも最後の提案をする」
『……何だ?』
「互いに銃口を下ろし、負傷者の救護を認める。その後、双方の指揮官立ち会いの下で状況を確認する。それまでは一時停戦だ」
黒田は眉をひそめた。
『貴様ら侵入者に、交渉する権利があると思っているのか?』
「少なくとも、これ以上死者を増やさずに済む」
その言葉に、黒田は沈黙した。
彼の背後では、衛生兵たちが負傷者を装甲車へ運び込んでいた。先ほどの銃撃戦で大和国軍側にも相応の損害が出ていることは明らかだった。
黒田自身も、それを理解していた。
だが、彼には上級司令部から下された命令があった。
所属不明の外国軍部隊を拘束し、軍事施設への接近を阻止すること。
そして、必要であれば武力を行使すること。
黒田は拡声器を下ろし、副官へ視線を向けた。
「司令部からの返答は?」
「少佐、対象部隊の即時武装解除を要求せよとのことです。抵抗する場合は、現場指揮官の判断で制圧を許可すると」
「……そうか」
黒田はしばらく黙り込んだ。
そして、再び拡声器を持ち上げた。
『レイブン・S・クロウ! 貴様の提案は受け入れられない!』
レイブンは目を細めた。
「理由を聞いても?」
『我が軍の命令は絶対だ! 貴様らは直ちに武装解除し、我々の管理下に入れ!』
「それはできない」
『ならば交渉は終わりだ!』
その瞬間、レイブンの耳がわずかに動いた。
遠くの装甲車両から、金属が擦れる音が聞こえた。
車載機関銃の銃架が動き、銃口がゆっくりとこちらへ向けられている。
レイブンは無線の送信ボタンを押した。
「全員、伏せろ」
Houndが即座に反応した。
「総員、遮蔽に入れ!」
直後、装甲車の機関銃が火を噴いた。
轟音とともに曳光弾が夜空を切り裂き、レイブンの立っていた石壁へ殺到する。
石材が砕け、土煙が舞い上がった。
しかし、そこにレイブンの姿はなかった。
彼は最初の銃声が響く直前に身を翻し、石壁の裏側へ滑り込んでいた。
「クソッ! やっぱり撃ってきやがった!」
Houndが怒鳴った。
「NoX! 無事か!?」
「問題ない」
「ったく、あの野郎! 交渉だの何だの言っといて、結局これかよ!」
レイブンはBPSG-12を構え直した。
「Hound、全員の状態を確認しろ」
「了解!」
Houndが無線を開く。
「こちらHound! 全員応答しろ! 負傷者は!?」
『北側、異常なし!』
『西側、異常なし!』
『南側、軽傷者二名、状態変化なし!』
『通信班、異常なし!』
全員の応答を確認したHoundは、レイブンへ親指を立てた。
「全員生きてる!」
「よし」
その時、南側から大きな爆発音が響いた。
装甲車両の一台が煙幕弾を発射し、旧監視所の周囲へ白煙が広がり始めた。
同時に、大和国軍歩兵が斜面を下り始める。
「煙幕を使って接近してくるぞ!」
Houndが叫んだ。
レイブンは周囲の地形を思い浮かべた。
北西側には深い森林が広がり、その先には海岸要塞を見下ろせる尾根が存在する。南側は敵の装甲車両によって封鎖されているが、北側の山道にはまだ突破の余地があった。
「全員、撤収準備」
『了解!』
「負傷者を優先しろ。装備は必要なものだけ持っていけ」
隊員たちが素早く動き始めた。
Houndは弾倉を交換しながら、レイブンへ顔を向ける。
「で、どうやって抜ける?」
「北西の尾根を目指す」
「敵が追ってきたら?」
「足を止めずに応戦する」
「なるほど。いつものやつか」
レイブンは小さく笑った。
「お前が先頭だ。頼んだぞ」
「任せろ!」
Houndは銃を構え、北西側の山道へ視線を向けた。
しかし、その時だった。
通信担当者が突然声を上げた。
「NoX! 緊急通信です!」
「内容は?」
「帝国軍統合司令部からの暗号通信! 優先度は最上位です!」
レイブンの表情が変わった。
「読み上げろ」
通信担当者は受信内容を確認し、息を呑んだ。
「……大和国海軍の複数艦隊が、連邦共和国の太平洋方面軍事拠点へ接近中。さらに、大和国航空部隊による大規模な発進が確認されたとのことです」
Houndが眉をひそめた。
「……おい、ちょっと待て」
通信担当者は続けた。
「大和国政府からの正式な宣戦布告は、現時点で確認されていません」
レイブンは黙って通信内容を聞いていた。
その背後では、大和国軍の銃声が再び激しさを増している。
「さらに、連邦共和国軍の複数の基地で警戒態勢が引き上げられています。帝国軍統合司令部は、各方面軍に対して情報収集を強化するよう命令しています」
Houndは思わず舌打ちした。
「……まさか、こいつら」
レイブンは海岸要塞の方角へ視線を向けた。
月明かりの下、巨大な砲台群が海へ向けて砲身を伸ばしている。
その背後には、停泊する軍艦の影がいくつも見えていた。
「……始まるのか」
レイブンの呟きに、Houndが振り向く。
「何がだ?」
レイブンはゆっくりと答えた。
「第二次世界大戦だ」
その言葉が発せられた直後、遠くの海岸要塞から低い警報音が響き始めた。
続いて、港湾施設の探照灯が一斉に点灯する。
大和国軍の車両が次々と移動を開始し、沿岸砲台では兵士たちが慌ただしく走り回っていた。
そして、遠い水平線の向こうから、複数の航空機のエンジン音が聞こえてきた。
Houndは空を見上げた。
「……冗談だろ」
レイブンは無線を開いた。
「SHADOW LADY、全員に告ぐ」
隊員たちが彼の声に耳を傾ける。
「作戦状況が変化した。大和国軍による大規模軍事行動が確認された。これより我々は、敵の包囲を突破し、海岸要塞周辺の情報を収集した後、指定地点へ撤収する」
『了解!』
「ただし、最優先は全員の生還だ。誰一人置いていくな」
Houndが笑った。
「へっ。そういう命令なら大歓迎だぜ」
レイブンはBPSG-12を構え直し、北西側の森林へ視線を向けた。
「SHADOW LADY、行動開始」
その号令とともに、隊員たちは一斉に動き始めた。
背後では、大和国軍の機関銃が再び火を噴き、曳光弾が夜の山林を切り裂いていた。
しかし、彼らはまだ知らなかった。
この夜、大和国の航空母艦から発進した航空機群が、連邦共和国軍の太平洋方面拠点へ向かっていることを。
そして、その攻撃が成功すれば、長年にわたって維持されてきた世界の軍事的均衡が崩れ去ることを。
帝政歴350年07月18日、午後23時21分。
第二次世界大戦の開戦まで、残された時間はわずかだった。




