第138話 月下の呼び声
第138話 月下の呼び声
作戦当夜、大和国上空から海岸山地
貨物搬入用の後部ハッチが開くと、機内へ夜空が広がった。
レイブンは列の前方で足を踏み直した。装備の重みが肩と腰へ掛かっている。酸素マスク越しの呼吸音を聞きながら、降下担当の手を見た。
隊員たちの準備は終わっていた。
ガイルが一度だけこちらへ顔を向ける。レイブンが頷くと、彼も顎を引いた。
エリシアは前を見ていた。手袋に包まれた指が、最後に装具へ触れる。
合図まで、二分。
床の振動が靴底から伝わっていた。ハッチの向こうには、踏み出せる場所などない。それでも、その先へ進むために全員が並んでいた。
降下担当の手が動いた。
列が前へ進む。
レイブンは駆け出し、そのまま機外へ身を投じた。
足元が消えた。
高度一万五千メートルの夜空へ、SHADOW LADYが続いていく。
輸送機の機影が遠ざかり、全身を風が押した。レイブンは姿勢を整えた。装備に預けていた呼吸を乱さず、視界と計器を確かめる。
暗い地表に、海岸の線が浮かんでいた。
海は山よりも淡く、月の光を受けた一角だけが鈍く輝いている。
周囲にいた隊員たちが、それぞれの予定した地点へ離れていった。近くに見えていた影が横へ流れ、やがて夜に紛れる。
レイブンも、自分の向かう山腹へ身体を向けた。
空中にいる間、地上はひどく静かに見えた。
道路も、森も、海へ突き出す岬も、音のない模型のようだった。だが、あのどこかに敵がいて、その向こうの海では、撤収部隊が動いている。
高度が落ちていく。
やがて開傘の衝撃が身体を引いた。
レイブンは傘の状態を確かめ、迫ってくる山の斜面へ目を向けた。
木々の梢が一本ずつ判別できるようになる。
着地の衝撃を受け流し、地面へ身体を落とした。湿った土と落葉が、頬のそばで擦れた。
すぐには立ち上がらなかった。
息を整え、周囲の音を聞く。
風が枝を揺らしていた。近くに足音はない。少し離れたところで、小石が斜面を転がった。
自分の装備が触れて落ちたものだった。
レイブンは身体を起こし、垂れた傘布を手繰った。枝へ引っ掛かった部分を外し、散らばらないよう押さえながら丸めていく。
冷えた指先に土がついた。
まとめたパラシュートを背嚢へ収め、留め具を閉じた。銃と携行品を確かめ、ようやく顔を上げる。
降りた場所は山中だった。
木々の切れ間から、海岸が見えた。
月明かりの下に要塞が横たわっていた。岬に沿った施設と、海へ向けて突き出す砲身。事前に見た写真では平たく重なっていたものが、地形の高低を伴って眼下に現れていた。
レイブンは膝をつき、位置を確かめた。
近くの尾根と道路を見比べる。着地した地点は想定から大きく離れてはいなかった。
無線へ手を伸ばす。
「こちらノックス。着地、異常なし」
声を落として送信した。
雑音が返った。
その向こうで、銃声がした。
『……クソッ、しつけえんだよ!』
ハウンドだった。
レイブンの手が止まる。
もう一度、短い銃声が響いた。無線越しの音と、山の向こうから届く音が、わずかにずれて重なった。
『こっちまで来てみろ、クソ野郎!』
「ハウンド、位置を」
レイブンはすぐに送信した。
返答までの数秒が長かった。
『予定地点の南。石造りの小屋、その裏だ。二人いる――いや、増えた!』
「負傷は」
『まだ、ねえ!』
「了解。向かう」
レイブンは立ち上がった。
斜面の先へ目を走らせる。樹木の隙間に低い屋根が見え、その脇で銃火が瞬いた。
続いて、エリシアの声が入った。
『こちらヴァルキリー。着地したわ。状況は?』
「ハウンドが交戦中。俺は南の小屋へ向かう」
『了解。こちらも移動する』
レイブンは銃を身体へ寄せ、斜面を下り始めた。
落葉の下で土が滑る。足を置き直し、幹へ手を添えて身体を支えた。枝を払いのけたい衝動を抑え、隙間を抜ける。
眼下の要塞では、まだ全面的な警報は鳴っていなかった。
だが、小屋の付近では灯りが動いていた。
誰かが叫び、光が木々の間を横切る。
レイブンは幹の陰で一瞬止まった。光が過ぎるのを待ち、次の窪みへ移る。
無線から、ガイルの荒い息が聞こえた。
『おい、ノックス。来るなら右から来るな。そっちは撃ってる』
「分かった。もう近い」
『なら、土産に弾でも――』
銃声が言葉を切った。
レイブンは腰を落とし、小屋を見た。
壁際に伏せた人影が、射撃の合間に姿勢を変えた。見慣れた肩の動きだった。
その先で、別の人影が木から離れる。
レイブンは銃を構えた。
「ハウンド、こちら側へ出るな」
照準の先に動く影を捉え、引き金へ指を掛けた。




