第137話 夜空への命令と迎えに来る者
第137話 夜空への命令と迎えに来る者
連邦共和国内地・陸軍航空隊基地
滑走路の向こうで、大型機の発動機が回っていた。
レイブンは車両を下り、風に舞う砂埃から目を庇った。海岸で聞き慣れた波の音はなく、広い構内を車両と人が絶えず行き交っている。
SHADOW LADYへの招集命令は、前日の夜に届いていた。
目的の説明は、到着後に行うとだけ伝えられていた。
ガイルが荷物を肩へ掛け、駐機場を見た。
「あれに乗るのかね」
「まだ分からん」
レイブンが答えると、先に下りたエリシアが振り返った。
「案内が来たわ」
連邦軍の将校が、構内の建物へ彼らを導いた。
扉の前で所属と氏名を確認され、室内へ入る。窓は覆われ、壁には大和国の海岸線を示す地図が掛かっていた。
レイブンはその前で足を緩めた。
今いる連邦共和国の地図ではなかった。
席に着いた隊員たちへ、説明役の将校が向き直った。
「諸君には、ここから大和国へ向かってもらう」
室内が静かになった。
将校は地図の一点を示した。
「目標は、海岸要塞だ」
続いて、上空から撮影された写真が掲げられた。
岬に沿って施設が築かれ、砲座と掩体が海を向いていた。建物の間を通る道は、ところどころ岩陰へ消えている。
「この要塞は、周辺海域へ進出する艦艇にとって脅威となる。航空攻撃だけでは、機能を失わせたことを確認できていない」
レイブンは写真を見つめた。
壊れたように見える場所と、影で判別できない場所が混じっていた。これだけでは、内部に何が残っているか分からない。
「SHADOW LADYは航空機で大和国上空へ進入。HALO降下によって地上へ入り、要塞を破壊する」
椅子の軋む音がした。
ガイルが背筋を伸ばした。
レイブンも地図から将校へ目を移した。
高高度から降り、地上へ近づいてから開傘する。言葉として知っていることと、実際に夜の空へ踏み出せることは違った。
エリシアが口を開いた。
「降下資格と、直近の訓練状況は確認されているのでしょうか」
「これから航空隊の担当者と照合する。招集された全員を、そのまま搭乗させるわけではない」
将校は机上の書類へ手を置いた。
「必要な再訓練と装備の適合確認を行う。任務を受けたことを理由に、未修了の者を降下させることはない」
エリシアは頷いた。
続いて、別の隊員が尋ねた。
「破壊対象の範囲は」
「要塞の戦闘機能を失わせることが目的だ。詳細は、確認済みの情報と未確認の箇所を分けて説明する。施設すべてを無差別に爆破するという意味ではない」
写真の隣へ、別の図面が置かれた。
説明が続く間、レイブンは手帳へ書き込んだ。
任務の目的、現時点で分かっていること、まだ答えのないこと。
その中に、異界素材の使用状況を確かめる項目もあった。
「この要塞にも、使われている可能性が?」
レイブンが尋ねると、将校は首をわずかに振った。
「否定はできない。だが、確認は取れていない。車両と航空機で見つかったからといって、すべての施設へ使われているとは判断するな」
「了解」
ガイルが隣で鉛筆を動かした。
「帰りについては」
その問いに、何人かが顔を上げた。
将校は地図を替えた。
「撤収についても、任務の一部として説明する。現地へ送り込んだあとは各自で帰れ、という作戦ではない」
帰還に必要な支援と、状況が変わった場合の判断について、説明が続いた。
レイブンは最後まで聞いた。
目的地へ届くことばかり考えれば、その先で身動きが取れなくなる。要塞を壊すことと、隊員を連れ戻すことは、どちらも省けなかった。
質疑が終わると、資料は回収された。
将校が部屋を見渡した。
「本日の説明はここまで。これより身体状態と降下経験の確認を行う。出発時刻は、各担当の報告を受けて決定する」
隊員たちが立ち上がった。
廊下へ出ると、発動機音が再び大きく聞こえた。
ガイルはしばらく黙って歩き、それからレイブンへ顔を寄せた。
「海まで来たと思ったら、次は海の向こうか」
「ああ」
「しかも、上から」
レイブンが頷くと、ガイルは天井を見た。
「今夜は、ちゃんと寝たいな」
「眠れるうちに寝とけ」
「お前もな」
案内された格納庫には、降下装備が整然と並んでいた。
担当者が一人ずつ名前を呼び、記録と照合している。航空用の装備を扱う整備員が、隊員の身体と携行品を見ながら説明を始めた。
レイブンは机へ荷物を置いた。
地上で使いやすい配置が、そのまま降下にも適しているとは限らない。担当者の指示を受け、装具の位置を見直していく。
エリシアも少し離れた場所で、確認を受けていた。
一段落したところで、二人の目が合った。
彼女が近づき、声を落とした。
「大和国へ行くことになるのね」
「ああ」
レイブンは格納庫の開口部へ目を向けた。
滑走路の先には、まだ明るい空があった。
「まずは、降りられる状態にしないとな」
「ええ。私も、確認してもらう」
エリシアは彼の腕へ軽く触れ、自分の担当者のもとへ戻った。
レイブンも荷物へ向き直った。
整備員が留め具を示し、彼の返答を待っていた。
説明を聞き直し、レイブンは自分の手で確かめた。
連邦共和国内地・陸軍航空隊基地、作戦当日。
封筒が届いたのは、朝の確認を終えたあとだった。
レイブンは格納庫の脇で呼び止められ、通信担当の兵からそれを受け取った。
「移動前の所属先から転送されてきた。お前宛だ」
「ありがとう」
礼を言い、裏を見る。
父の名前があった。
封を切ろうとして、表へ返す。宛名には、自分だけでなくエリシアの名前も並んでいた。
レイブンは封筒を上着へ収めた。
彼女はまだ、装備の確認を受けていた。
格納庫へ戻ると、ガイルが腰を下ろして靴紐を結び直していた。
「何だった?」
「父さんからだ」
「妹さんの返事か?」
「まだ開けてない」
ガイルは顔を上げ、レイブンの視線を追った。
「なるほどな」
それ以上は何も言わず、靴紐へ手を戻した。
エリシアの確認が終わるまで、レイブンは待った。
彼女が担当者へ礼を言って離れたところで、封筒を見せる。
「二人宛だ」
エリシアは父の筆跡を見ると、微笑んだ。
「一緒に読みましょう」
二人は格納庫の外へ出た。
風を避けられる壁際に立ち、レイブンが封を開いた。中には、折り畳まれた便箋が入っていた。
最初に、二人の身体を気遣う言葉があった。
続いて、送った報告は届いていること、母も変わりなく過ごしていることが書かれていた。
レイブンは便箋の端を持ち直した。
『ルナが舟艇志願兵学校を卒業した』
隣で、エリシアが小さく息を漏らした。
「卒業したのね」
「ああ」
レイブンはその行をもう一度読んだ。
入学の報せを受け取ったときには、妹が家を離れて訓練を受けている姿を、うまく思い浮かべられなかった。
それから、自分たちはいくつもの町を通り、海岸まで進んだ。
その間も、ルナの時間は止まっていなかった。
便箋には、訓練を終えた娘を母が迎えたときのことが短く書かれていた。久しぶりに帰ったルナは、食卓で学校の話をしていたという。
レイブンの口元がわずかに緩んだ。
だが、その先を読んだところで、表情が止まった。
『卒業後の配属を受け、ルナはお前たちの作戦を支援する舟艇部隊に加わる。担当は撤収だ』
エリシアも黙った。
レイブンは続きを追った。
詳細は任務上の経路で確認するように、と父は書いていた。家族への手紙に、日時や場所、部隊の動きを並べることはしていなかった。
それでも、二人には分かった。
昨夜から説明を受けている作戦。
今夜、大和国へ向かう自分たちを、海から迎える側にルナがいる。
「……迎えに来るのか」
レイブンの声に、エリシアが頷いた。
「そういうことね」
彼は便箋へ目を落としたまま動かなかった。
卒業を喜ぶ気持ちが、消えたわけではなかった。だが、その直後に妹の姿を暗い海へ思い浮かべることになるとは、考えていなかった。
訓練を終えたばかりだ。
そう思い、すぐに、自分もかつて同じ立場だったことを思い出した。
エリシアが便箋の端へ手を添えた。
「お父様、まだ何か書いてあるわ」
レイブンは先を読んだ。
『心配するだろうが、任務中は所属部隊の指揮に従うよう、本人にも伝えてある。お前も、兄としての心配だけで動かないように』
レイブンは息を吐いた。
「先に言われたな」
エリシアが彼の顔を見た。
「今、何を考えていたの?」
「どの艇に乗るのか、何を担当するのか。誰と一緒なのか」
「私も知りたいわ」
彼女はそう言い、便箋へ視線を戻した。
「でも、確認するなら、作戦に必要なこととして聞きましょう」
「ああ」
最後には、母からの伝言があった。
二人とも、帰ってきたら顔を見せること。
短いその一文を、レイブンはしばらく見つめた。
手紙を畳んでから、二人は作戦担当者のもとへ向かった。
撤収を担当する舟艇部隊について尋ねると、担当者は資料を確かめた。
「クロウという隊員は配備されている。君の妹か」
「はい」
「所属部隊の一員として任務に就く。君たちも、撤収時は誘導と指示に従ってもらう」
「了解しています」
レイブンは返事をした。
尋ねたいことはまだあった。
だが、確認すべき事項を聞き終えると、エリシアとともに部屋を出た。
廊下の窓から、駐機場が見えた。
整備員が機体の下を行き来し、輸送車から装備が下ろされていた。自分たちが準備を進めている間、別の場所ではルナたちも出発に備えているのだろう。
「会えるかしら」
エリシアが言った。
「分からん。同じ作戦でも、顔を見るとは限らない」
「そうね」
レイブンは上着の内側を押さえた。
そこに父の手紙があった。
「会えたら、卒業おめでとうって言ってやってくれ」
「あなたも言うのよ」
「ああ」
格納庫へ戻ると、ガイルが顔を上げた。
「何かあったか」
レイブンは彼のそばへ腰を下ろした。
「ルナが卒業した」
「そりゃ、よかったじゃねえか」
「今夜、撤収を担当する部隊にいる」
ガイルの顔から笑みが消えた。
少しして、彼は駐機場の方へ目を向けた。
「……そうか」
レイブンは頷いた。
ガイルは何か考え、それから手元の装備を引き寄せた。
「なら、迎えを待たせないようにしねえとな」
レイブンは彼を見た。
いつもの軽口に似ていたが、その声は静かだった。
「ああ」
レイブンも装備へ手を伸ばした。
確認を終えた箇所を、焦って弄り直すことはしなかった。担当者から受けた説明を思い返し、次に必要なものを揃えていく。
夕刻、出発前の呼集が掛かった。
エリシアが隣へ来る。
レイブンは立ち上がり、二人で格納庫の出口へ向かった。
今夜、自分たちは空から降りる。
ルナは海で、帰ってくる者たちを待つ。
滑走路の向こうで、機内へ入るよう誘導する手が上がった。
レイブンは肩の帯を確かめ、歩き出した。
作戦当夜、大和国上空。大型輸送機の床が、絶えず細かく震えていた。
赤い機内灯の下で、SHADOW LADYの隊員たちが向かい合って座っている。飛行装備に包まれた顔からは、普段の表情が読み取りにくかった。
レイブンは固定具を確かめ、顔を上げた。
全員に声が届くよう、機内通話へ切り替える。
「地上へ降りたら、まず仲間を確かめろ。予定と違っても、一人で取り戻そうとするな」
隊員たちの目が、彼へ向いた。
「分からないことは伝えろ。怪我も、装備の不調もだ。黙って抱えたまま進まれる方が困る」
ガイルが顎を引いた。
その隣で、隊員の一人が握っていた手を開き、手袋を確かめた。
「要塞を潰して、全員で撤収する。海まで行けば迎えがいる。だが、迎えに無理をさせるための作戦じゃない。帰れる状態を、互いに守れ」
レイブンは一人ずつ顔を見た。
エリシアと目が合った。
彼女は黙って頷いた。
「以上だ。確認が始まったら、担当者の声を聞け」
ほどなく、降下担当の搭乗員が立ち上がった。
合図が回り、隊員たちも順に動き始める。
固定具が鳴った。装備を確かめる手が伸び、隣の者へ身体を向ける。酸素供給の確認、携行品の点検、呼び掛けへの応答が重なり、静かだった機内が瞬く間に騒がしくなった。
「こちらを向け」
「異常なし」
「待て、もう一度見る」
レイブンも担当者の前で動きを止めた。
指示された箇所へ手を添え、確認を受ける。
その途中で、機内通話に別の声が入った。
「指揮担当、司令部から通信」
レイブンは顔を上げた。
通信担当が受け取った内容を伝える。
「作戦中止。退却せよ。繰り返す、作戦を中止し、帰投せよとの指示です」
近くにいたガイルの手が止まった。
エリシアもこちらを向いた。
レイブンは一瞬、相手の言葉を理解できなかった。
すでに敵国の上空にいた。
ここまで飛び、海上では撤収部隊が動いている。眼下には、これから向かうはずの土地があった。
「退却? ふざけるな、今行くとこだぞ!」
声が機内通話を突き抜けた。
隊員たちの動きが止まる。
発動機音だけが、床と背中を通して響いていた。
通信担当は返答せず、レイブンを見た。
エリシアが一歩近づいた。
「レイブン。理由を聞いて」
彼は彼女へ顔を向けた。
「海の部隊にも関わるわ」
その言葉に、レイブンは唇を結んだ。
暗い海で待つルナの姿が浮かんだ。進めば必ず助けられるわけでも、戻れば必ず見捨てることになるわけでもない。
レイブンは通信担当へ向き直った。
「……中止の理由と、撤収部隊への指示を確認してくれ。俺は作戦継続を求める。こちらは降下前、確認を続けている」
通信担当が頷き、送信した。
搭乗員が声を上げる。
「全員、その場で待機。確認中の者は動くな」
レイブンは握り込んでいた手を開いた。
ガイルが隣へ寄った。
「全員、聞いてたぞ」
「分かってる」
「なら、次も聞かせろ」
レイブンは顔を上げ、隊員たちを見た。
「今のは俺の返答だ。各員は待機。搭乗員の指示に従え」
返事が戻った。
誰も装備を外さなかった。勝手に降下口へ進む者もいなかった。
通信を待つ時間は長く感じられた。
輸送機がわずかに傾き、レイブンは足を踏み直した。通信担当が片手を上げ、届いた言葉を聞き取る。
「司令部より。中止指示は、支援状況の再確認に伴うもの。現在、関係部隊と照合中。降下待機を継続せよ」
レイブンは頷いた。
怒鳴ったところで、欠けた確認が埋まるわけではなかった。
それでも、ここから進むつもりで来た気持ちは変わらなかった。
やがて、通信担当が再び顔を上げた。
「支援部隊との確認完了。作戦継続。以後、機長および降下担当の指示に従え」
レイブンは息を吐いた。
「了解」
待っていた搭乗員が、すぐに確認を再開した。
止まっていた手が動き出す。互いの装備を見直し、短い応答が機内へ戻った。
ガイルがレイブンの前へ立った。
「退却?」
咎めるような声ではなかった。
レイブンは彼を見た。
ガイルの目元に、いつもの笑みが戻っていた。
「クソ喰らえ、だろ」
近くの隊員が小さく笑った。
張りつめていた肩が、わずかに下がる。
レイブンも短く息を漏らした。
「ああ。だが、降りたら俺の声も聞けよ」
「そいつは内容によるな」
「聞け」
エリシアが二人を見て、首を振った。
それからレイブンの装具を確かめ、手を離す。
「異常なし」
「そっちも、異常なし」
二人は頷き合った。
機内の後方で合図が出た。
開かれた先には、地上の形も判別できない夜が広がっていた。
隊員たちが並ぶ。
レイブンは振り返り、全員の顔を見た。
「行くぞ」
ガイルが拳を上げた。
「退却?」
「クソ喰らえ!」
返ってきた声が、発動機音へ重なった。
後に、それはSHADOW LADYの掛け声となった。
命令を聞かずに突き進むためではなく、恐怖に足を止められそうな仲間を、もう一度前へ向かせる言葉として。
降下担当の手が上がった。
レイブンは前へ向き直った。
次の合図で、夜空へ踏み出した。




