第130話 届いた要請
第130話 届いた要請
大和国軍奇襲から三日後、帝国
クロウ家を出るとき、エリシアはもう一度だけ実家へ電話を掛けた。
そのときは、まだ両親の声が聞けた。
次の連絡は約束した時刻に繋がらず、その後も、呼び出しの先から返事はなかった。
基地へ戻った彼女は、所属先への報告と指示の確認を繰り返していた。レイブンも帰還を報告し、休暇を切り上げて任務へ戻っていた。
誰も、以前と同じ予定では動いていなかった。
廊下を行き交う兵が増え、夜になっても司令部の窓には灯りが残った。車両が構内へ入り、荷を下ろし終える前に別の車両が来た。
連邦共和国から正式な戦闘参加要請が届いたのは、奇襲から三日後だった。
帝国側の担当者へ渡された文書には、連邦共和国政府の名で、大和国軍に対する共同戦闘への参加を求める内容が記されていた。
受領した将校は、添えられた戦況図を広げた。
東部の港と沿岸地域は、すでに敵の支配下を示す色で覆われていた。そこから内陸へ伸びた線が、各地の都市と交通路を繋いでいる。
「この範囲が、現在の保持地域か」
「連邦側が確認できている範囲では」
返答した担当者が、地図の西側を示した。
残された領土は、全体の五分の一にまで縮小していた。
首都ラ・カスタを含む東部は陥落し、後退する部隊と避難民が、まだ連邦側の管理下にある地域へ流れ込んでいた。失われた土地の中にも抵抗を続ける部隊はあったが、その位置と状態をすべて把握できる者はいなかった。
将校は文書へ視線を戻した。
「政府と軍上層部へ、直ちに回せ」
書類を受け取った担当者が部屋を出た。
残された者たちは地図を囲み、連邦側と繋がる道路、鉄道、飛行場を順に確かめ始めた。
基地では、レイブンたちにも集合が命じられた。
部屋へ入ると、ガイルがすでに座っていた。隣の椅子を少し引いて場所を空ける。
「何か聞いたか」
レイブンが尋ねると、ガイルは首を振った。
「正式な説明は、これからだ」
机の前に立った将校が、集まった兵を見渡した。
「連邦共和国政府より、帝国に対する戦闘参加要請が届いた」
椅子の軋む音がした。
「現時点で、この部隊の出動命令が下ったわけではない。各員は装備と携行品を確認し、直ちに動ける状態を維持しろ。今後の命令は、指揮系統を通じて伝える」
レイブンは膝の上で手を重ねた。
向かいの壁に掛けられた地図は、三日前まで見ていたものと同じだった。だが、説明のために書き加えられた線は、大きく西へ寄っていた。
将校の指が、その内側を示す。
「連邦側が現在保持している領土は、およそ五分の一。東部の主要地域は失われている」
誰かが息を吸った。
ガイルも地図を見たまま動かなかった。
説明が終わると、兵士たちは静かに立ち上がった。廊下へ出たところで、ガイルがレイブンの腕へ軽く触れた。
「エリシアは?」
「まだ、連絡を取ってると思う」
「そうか」
ガイルは少し考え、装備庫の方を見た。
「お前の分まで勝手に触りはしないが、受け取るものがあったら預かっとく」
「頼む」
レイブンは通信の取り次ぎを受ける部屋へ向かった。
扉のそばに、エリシアが立っていた。
椅子は空いていたが、座ろうとはしていなかった。手には、何度も開き直した跡のある紙を持っている。
レイブンに気づくと、彼女は顔を上げた。
「正式に、要請が来たのね」
「ああ。今、聞いた」
エリシアは頷いた。
それから二人とも、何も言わずに立っていた。
室内では係員が回線の状態を確かめていた。別の連絡を待つ兵が、壁際の椅子で両手を組んでいる。
「ご両親は」
レイブンが尋ねると、彼女は首を振った。
「まだ。繋がらないの」
持っていた紙が、指の間で少し曲がった。
「所属先にも聞いたわ。でも、家のある地区までは確認できないって」
レイブンは紙へ目を落とした。
そこには、実家の所在地と連絡先が書かれていた。
あの家の玄関を思い出した。荷物を置いた廊下と、四人で囲んだ食卓。結婚したいと告げた自分に、すぐ頷いたクラウンの顔も。
「連絡が取れないことと、何かあったことは、まだ同じじゃない」
言いながら、レイブンは彼女を見た。
エリシアは小さく頷いた。
「分かってる。……でも、何も分からないままなのが」
「ああ」
彼はその隣へ立った。
無事だと言い切ることはできなかった。だが、ここで一人で待たせたくはなかった。
しばらくして、係員が顔を上げた。
「ヴォルハラムさん。照会は継続します。何か分かれば、こちらからお知らせします」
「お願いします」
エリシアは頭を下げた。
部屋を出ると、廊下の窓から構内が見えた。
兵士たちが車両の脇へ荷物を並べていた。担当者が書類と数量を照合し、足りないものを指で示す。まだ行き先を告げられていない者も、受けた指示に従って手を動かしていた。
エリシアが紙を畳んだ。
「私も、準備をしておく」
「ああ」
「指示が来たときに、探し物をしていたくないから」
レイブンは頷いた。
彼女は紙を上着へ収め、その上から一度押さえた。
分かれ道で、二人は足を止めた。
「何か分かったら、教えてくれ」
「ええ。あなたも」
レイブンが返事をすると、エリシアは一歩近づき、彼の手を握った。
短い間だった。
手を離して歩き始めた彼女を見送り、レイブンも装備庫へ向かった。
中ではガイルが、受領簿を机へ戻すところだった。
「来たか」
「ああ」
レイブンは自分の装備の前へ腰を下ろした。
留め具を開き、中身を確かめる。
廊下の向こうで、新たな呼集を知らせる声が響いた。




