第127話 離陸を待つ翼
第127話 離陸を待つ翼
ラカエア軍港近郊・連邦共和国陸軍飛行場、奇襲当日
軍港からの電話を受けた当直兵は、最初の報告を聞き返した。
「空襲だ。大和国軍機が港を攻撃している。そちらも警戒しろ!」
受話器の向こうで、爆発音がした。
当直兵は顔を上げ、部屋の奥へ叫んだ。
「軍港が攻撃を受けています!」
ほどなく、飛行場にも警報が響いた。
待機室の椅子が倒れ、操縦士たちが外へ飛び出した。上着を着ながら走る者、飛行帽の紐を結び直す者が、整備員の待つ機体へ向かっていく。
発動機が始動した。
一機が回り始めると、その隣でもプロペラが動いた。整備員が機体の脇から顔を上げ、操縦席へ手を振る。排気が流れ、朝の冷たい空気に油の匂いが混じった。
「軍港の上か!」
操縦席へ上がった男が尋ねた。
「詳しい状況は、まだ来ていません!」
地上の整備員が声を張った。
「発動機は問題ありません。あとは――」
別の音が、その声へ重なった。
整備員が振り向いた。
飛行場の外縁を越えて、低く飛ぶ機影が現れた。
「伏せろ!」
大和国の戦闘機が機首を向け、射撃を始めた。
土と舗装が連続して跳ねた。
機体の脇にいた整備員が身を投げ出す。工具箱が弾け、散った金具が地面を転がった。操縦席へ片足を掛けていた男は、翼へ腹を打ちながら転げ落ちた。
射線が駐機場を横切った。
始動したばかりの戦闘機に弾痕が走り、発動機の音が不規則に乱れた。操縦士が風防を押し開けようとする。その機体へ、地面を這っていた整備員が引き返した。
「出ろ! こっちへ!」
差し出された腕を掴み、操縦士が身を乗り出す。
二人が翼から離れた直後、発動機の覆いの隙間から炎が噴いた。
上空では、先行機に続く戦闘機が旋回していた。
滑走路へ向かう誘導路にも、まだ機体が並んでいた。先頭の操縦士は地上員の合図を見て、出力を上げかけた。
その前方を、機銃弾が斜めに走った。
地上員が倒れた。
操縦士は咄嗟に制動を掛けた。機首が沈み、機体が激しく揺れる。風防越しに、倒れた男へ走り寄る別の兵が見えた。
「滑走路を空けろ! 機体を散らせ!」
拡声器の声が響いたが、発動機音と銃声に途切れた。
輸送トラックが急に進路を変えた。
荷台の兵士が側板を掴み、何かを叫んでいる。上空の機体が追うように機首を振った。
車体の側面に火花が散り、前輪が崩れた。
トラックは道の端へ乗り上げ、傾いて止まった。助手席の扉が開き、兵士が転げ落ちる。運転席へ戻ろうとするその襟を、荷台から下りた仲間が掴んだ。
「反対からだ!」
二人は車体を回り込み、動かなくなった運転手の扉へ手を掛けた。
戦闘機は飛行場を横切り、再び高度を上げた。
別の機体が、掩体壕の列へ降下してくる。
土盛りの背後へ逃げ込んだ整備員たちが、地面へ身を伏せた。開口部へ銃弾が飛び込み、中に収められた機体の外板を叩く。壁へ当たった破片が降り、奥から叫び声がした。
若い整備員が顔を上げかけると、隣の男が首の後ろを押さえた。
「まだ上げるな!」
機影が過ぎ、二人はようやく這って入口へ戻った。
内部には煙が溜まり始めていた。
管制塔では、机の下へ落ちた送話器を通信兵が拾い上げた。
「発進待機中の各機、誘導路上で停止するな。地上の指示に従い――」
窓の外で、機影が傾いた。
通信兵が身を屈めた瞬間、ガラスが室内へ吹き込んだ。計器盤が砕け、壁から粉塵が噴いた。
床へ倒れた隣の兵が、顔を押さえていた。
通信兵は送話器を置き、その肩を引き寄せた。
「階段まで行けるか」
返事の代わりに、兵は血のついた手で床を押した。
襲撃の合間を縫い、飛行場の端の対空銃座が射撃を始めた。
弾薬を運んできた兵が箱を置き、すぐに次を取りに走る。射手は低空を横切る戦闘機を追ったが、背後から近づく別の音に、班長が振り返った。
「上だ!」
戦闘機より高い位置に、後続の艦上攻撃機が見えた。
軍港で投下できなかった爆弾が、その機体には残っていた。
攻撃機の搭乗員は、煙の上がる駐機場を見下ろした。滑走路には離陸しようとする機体があり、その脇を人影が走っていた。
機体の下から、爆弾が離れた。
最初の一発が滑走路へ落ちた。
轟音とともに舗装が持ち上がり、黒い土が噴き上がった。破片が周囲へ降り注ぐ。誘導路上の操縦士は操縦桿を握ったまま、前方に開いた穴を見た。
続いて、別の爆弾が落ちた。
滑走路の先が土煙に隠れる。
離陸を待っていた機体へ、地上員が両腕を振った。
「戻れ! ここからは上がれない!」
操縦士は合図を認め、機体を横へ向けようとした。車輪が舗装の破片を踏み、機体が跳ねた。
さらに爆発が続いた。
地上員の姿が、巻き上がった土の向こうへ消えた。
飛行場の外れでは、救護兵が負傷者を土手の陰へ運んでいた。
担架が足りず、上着を広げて運ばれてくる者もいた。片腕で仲間の肩を支えながら歩いてきた操縦士が、腰を下ろした途端、もう立ち上がれなくなった。
「俺は後でいい。こいつを先に」
救護兵は返事をしながら、二人の状態を確かめた。
そのそばを、消火器を抱えた整備員が走り抜けた。
燃える機体の近くに、まだ一人残っていた。瓦礫に足を挟まれ、身体を起こそうとしている。
整備員は消火器を置き、そばの兵へ叫んだ。
「手を貸してくれ!」
二人が瓦礫へ手を掛ける頭上を、戦闘機が通り過ぎた。
遠ざかる発動機音に、誰も安心して立ち上がろうとはしなかった。
朝、迎撃のために始動した発動機のいくつかは、まだ回っていた。
だが、その前には炎と瓦礫があり、滑走路には爆弾孔が口を開けていた。
管制塔の階段から下りてきた通信兵が、地上の指揮所へ走った。破れた袖で額を拭き、渡された送話器を握る。
「ラカエア近郊飛行場、攻撃を受けています。滑走路に被害。緊急迎撃は――」
彼は、土煙の残る滑走路を見た。
「発進できません。救護と消火の応援を要請します」
返答を待つ間にも、負傷した操縦士が一人、仲間に抱えられて運ばれてきた。
通信兵は足元の椅子を退かし、そのための場所を空けた。




