第126話 ラカエアの朝
第126話 ラカエアの朝
連邦共和国東部・ラカエア軍港、奇襲当日
最初に聞こえた発動機の音を、港の者たちは味方のものだと思った。
ラカエア軍港では、夜明けから作業が続いていた。岸壁には補給を待つ車両が並び、係留艦の甲板では乗員が朝の点検を始めていた。炊事場から運ばれてきた食事を受け取ろうと、食缶を抱えた水兵が通路を曲がった。
低い音が、次第に大きくなる。
見張り員が双眼鏡を上げた。
海の上に、機影があった。
一機ではない。朝の光を背にした航空機が、編隊を組んで港へ近づいていた。
「接近機、複数。方位――」
報告の途中で、見張り員の声が変わった。
翼に描かれた標識が見えた。
「大和機だ!」
伝声管へ向かって叫ぶ。
直後、編隊の一部が高度を下げた。
彼らは、沖合の大和国航空母艦隊から発艦した攻撃隊だった。艦上で受けた命令に従い、搭乗員たちは眼下に広がる港と、事前に示された図面を照合していた。
先頭の雷撃機が、海面近くへ降りていく。
操縦席の風防越しに、防波堤と係留艦の輪郭が大きくなった。後席の搭乗員が港内を見渡す。その向こうでは、まだ荷役の腕が動いていた。
操縦員は操縦桿を握り直した。
標的の舷側が、前方へ収まった。
投下装置が作動した。
一発の航空魚雷が機体を離れ、海面へ落ちた。
水が白く跳ねた。
機体は上昇へ移り、その下を、細い航跡が港内へ伸びていった。
「魚雷!」
係留艦の見張り員が叫んだ。
甲板にいた水兵が海面を見た。何を示されたのか理解したときには、白い筋はすでに艦へ迫っていた。
舷側で水柱が立ち上がった。
爆発音が軍港を叩いた。
艦体が大きく揺れ、甲板にいた者たちが倒れた。食缶が手を離れ、蓋を飛ばしながら滑っていく。岸壁では荷を持っていた作業員が身を屈め、窓ガラスが震えた。
遅れて、警報が鳴り始めた。
連邦共和国と大和国の戦争は、この一発の航空魚雷によって始まった。
「総員戦闘配置! 対空戦闘用意!」
艦内へ号令が走った。
寝台から飛び起きた水兵が上着を掴み、通路へ出た。反対側から走ってきた当直兵とぶつかりかけ、壁へ肩を打つ。
「空襲だ、急げ!」
「どこのだ!」
「大和だ!」
問い返した男が、一瞬だけ足を止めた。
次の爆発が、その場にいた全員を動かした。
港へ入ってきた後続機が、係留艦と施設へ分かれていく。高い位置から降下する機影を追い、対空砲座の兵が銃座へ飛び込んだ。
砲口が空へ向く。
給弾を担当する水兵の手が滑り、隣の兵が肩を掴んだ。
「落ち着け。こっちへ寄こせ」
受け渡された弾薬が装填される。
射撃指揮の声に続き、対空砲火が上がった。
薬莢が甲板を跳ね、砲声が重なった。照準を追う兵の頬を汗が流れる。横切った機体へ砲口を振った直後、上方から別の発動機音が迫った。
「伏せろ!」
爆弾が岸壁の向こうへ落ちた。
土煙と破片が吹き上がり、照明柱が傾いた。荷役用の車両が横倒しになり、積まれていた木箱が路面へ散った。
最初に被雷した艦では、機関区画から浸水の報告が上がっていた。
「下に、まだいる!」
隔壁の前で水兵が叫んだ。
開口部の向こうから、二人が負傷した仲間を引きずってきた。片方は靴を失っていた。水の押し寄せる床を踏みしめ、扉の縁へ手を掛ける。
待っていた兵が負傷者の腕を取り、引き上げた。
「ほかは!」
「奥を確認してる!」
頭上で鋼材の軋む音がした。
艦内灯が一度消え、非常灯が通路を赤く照らした。伝声管から呼ぶ声と、応答を求める声が重なる。
救護所へ続く通路では、担架を持った兵が足を止めた。前方からも負傷者が運ばれてくる。
「道を空けろ!」
壁へ寄った水兵の袖を、担架の上の男が掴んだ。
「俺の班は」
「今、調べてる」
答えた兵は男の手を包み、ゆっくり袖から外した。
軍港の指揮所では、途切れた電話へ何度も呼び掛けていた。
窓の外に黒煙が上がっている。別の回線へ移った通信兵が受話器を握り、ようやく繋がった相手へ身を乗り出した。
「ラカエア軍港、空襲を受けています。大和国軍機を確認。艦艇、港湾施設に被害――」
近くへの着弾で室内が揺れた。
机上の書類が落ちる。通信兵は頭を低くしたまま、受話器を離さなかった。
「繰り返す。これは演習ではありません」
沖合の大和国航空母艦隊では、攻撃隊からの報告が受信されていた。
通信員が書き取った紙を差し出す。
指揮官はそこへ目を落とした。
「第一撃、実施。港内艦艇への命中を確認」
艦橋の窓の向こうには、穏やかな海が広がっていた。飛行甲板では、帰投する機体を迎える準備が進んでいる。
報告書を受け取った指揮官は、次の報告を待った。
ラカエアでは、再び警報の中を叫ぶ声が上がった。
「上空、後続機!」
砲座の水兵が顔を上げた。
煙の切れ間に、新たな機影が見えた。
足元では、空になった弾薬箱を運び出し、代わりの箱を抱えた兵が走ってくる。手すりにぶつけた指から血が出ていたが、本人は気づいていなかった。
「持ってきたぞ!」
砲手は短く頷き、照準器へ顔を戻した。
港内に燃料が広がり、炎が水面を這っていた。
その向こうで、救助艇が舵を切った。海へ落ちた水兵が差し出された手を掴み、二人掛かりで艇内へ引き上げられる。
艇長は次の漂流者へ目を向けた。
「まだいる。右へ寄せろ!」
爆煙に朝日が遮られる中、艇は再び港の奥へ進んでいった。




