第123話 玄関の向こう
第123話 玄関の向こう
連邦共和国到着日の午後
扉を開けた女性は、エリシアの顔を見ると目元を和らげた。
「お帰りなさい」
「ただいま、母さん」
母親の手が、娘の腕へ伸びた。そこに確かにいることを確かめるように触れてから、その視線が隣へ移る。
レイブンは姿勢を正した。
「初めまして。レイブン・S・クロウと申します。本日は、お時間をいただきありがとうございます」
母親は一瞬、彼の左右で色の異なる目を見た。それから顔全体へ視線を戻し、静かに頷いた。
「娘から、お名前は伺っています。どうぞ、お入りください」
エリシアが先に玄関へ入った。
レイブンも続き、扉を閉める。廊下には手入れされた木の匂いと、どこかで湯を沸かしている気配があった。
「長旅だったでしょう。荷物はこちらへ」
「ありがとうございます」
荷物を下ろしていると、奥の扉が開いた。
出てきた男性が、まず娘を見た。
「帰ったか」
「ええ、父さん」
父親は短く頷き、レイブンへ向き直った。
エリシアが二人の間へ半歩進む。
「手紙に書いた、レイブンよ」
レイブンは改めて名乗り、一礼した。
父親も挨拶を返したが、その表情から何を考えているかは読み取れなかった。
「話は、座ってからにしよう」
通された部屋には、窓際に椅子と低い卓が置かれていた。
レイブンはエリシアの隣へ座った。向かいに父親が腰を下ろし、母親は茶を用意するために一度部屋を出た。
扉が閉まると、衣服の擦れる音まで聞こえるほど静かになった。
「道中、支障はなかったか」
父親の問いに、エリシアが答えた。
「ええ。乗り継ぎも予定どおりだったわ」
「そうか」
会話が止まった。
レイブンは膝の上に置いた手を動かさず、相手の顔を見ていた。
やがて父親が口を開いた。
「帝国軍にいると聞いている」
「はい」
「今回の渡航について、所属先は承知しているのか」
「休暇と渡航の手続きを済ませ、許可を受けて参りました」
父親はわずかに頷いた。
そのとき母親が戻り、卓へ茶を置いた。エリシアが手伝おうと立ちかけると、座っていなさいと目で促される。
四人が席に着いたところで、エリシアは背筋を伸ばした。
「父さん、母さん。今日は、手紙のお話をしたくて帰ってきたの」
母親の手が、カップの脇で止まった。
「ええ」
「紹介してくださるという方には、お会いできないわ」
父親はすぐには答えなかった。
エリシアは言葉を続けた。
「私のことを考えてくれたのは分かっている。でも、結婚相手としてお会いするつもりはないの。先方にも、そう伝えてほしい」
「一度会ってから決めてもいいだろう」
父親の声は落ち着いていた。
「こちらも、返事をしたわけではない。話をする機会を設けようとしただけだ」
「その機会を、私が望んでいるか聞いてほしかった」
エリシアの声が、少しだけ硬くなった。
母親が娘の顔を見た。
「驚かせたことは、悪かったと思っているわ」
「……ええ」
「ただ、手紙だけでは分からないことも多いの。あなたがどんな暮らしをしているか、無理をしていないか。帰ってくるたびに、次はいつ会えるのかと考えてしまう」
エリシアは膝の上で指を組み直した。
「心配を掛けているのは分かってる」
「それなら」
父親が言いかけ、娘の隣へ目を向けた。
「彼を連れてきた理由を、聞かせてくれ」
エリシアも一度、レイブンを見た。
彼は黙って頷いた。
「私が、一緒に来てほしいと頼んだの」
彼女は両親へ向き直った。
「私にとって大切な人だから。ほかの方との話を進める前に、二人に会ってほしかった」
父親の視線がレイブンへ移った。
「君も、同じ気持ちだと受け取っていいのか」
「はい」
返事は、考えるより先に出た。
レイブンは続けようとして、一度息を整えた。
「エリシアを大切に思っています。彼女から今回の話を聞き、私も、お二人にお会いしたいと思いました」
「将来については、話しているのか」
隣でエリシアがわずかに動いた。
レイブンは、ここで立派な約束を並べても意味がないと思った。暮らす場所も、仕事も、その先の日々も、二人で具体的に決めたわけではない。
「まだ、十分に話し合えていません」
父親の眉が動いた。
「ただ、今日この場を収めるために、決めていないことを約束するつもりはありません。彼女と、きちんと話したいと思っています」
父親はしばらくレイブンを見ていた。
「君たちの間には、国の違いがある」
「はい」
「軍にいる以上、自分たちの気持ちだけでは決められないこともあるだろう」
レイブンは頷いた。
国境の駅で書類が返されるのを待った時間を思い出した。ここへ来るだけでも、確かめなければならないことがいくつもあった。
「それは、今回も感じました」
「娘に苦労をさせたくないと思うのは、親として当然だ」
「父さん」
エリシアが口を開いた。
「私もここにいるわ。私の将来の話なら、私にも聞いて」
父親は娘へ顔を向けた。
エリシアはその目を見た。
「簡単だと思っているわけじゃない。でも、難しいことがあるからといって、私に聞かずに別の相手を考えないでほしい」
母親が、ゆっくり息を吐いた。
卓の上では、茶の湯気が薄くなっていた。
やがて父親は椅子へ背を預けた。
「……紹介の件は、先方へ断りを入れる」
エリシアの指がほどけた。
「ありがとう」
「ただし、話がすべて済んだとは思わないように」
「分かってる」
父親はレイブンにも目を向けた。
「君にも、まだ聞きたいことがある」
「はい」
レイブンが答えると、母親が初めてカップを手に取った。
「その前に、お茶を飲みましょう。せっかく淹れたのに、すっかり冷めてしまうわ」
エリシアが小さく息を漏らした。
レイブンもカップを持ち上げた。指先に伝わる熱で、自分の手が少し冷えていたことに気づく。
ひと口飲んだところで、父親が尋ねた。
「娘からは、君はあまり喋らないと聞いていたが」
レイブンは隣を見た。
エリシアが、少し困った顔をしていた。
「余計なことまで話したかもしれないわ」
「……今日は、喋るように言われてきました」
「誰に?」
「戦友に」
母親が小さく笑った。
父親もカップへ手を伸ばした。
レイブンは茶をもうひと口飲み、次の問いを待った。




