第121話 彼女の故郷へ
第121話 彼女の故郷へ
帰隊から数日後
扉を叩く音が、いつもより速かった。
レイブンが手入れの道具を置いて立ち上がると、返事をする前に、廊下から声がした。
「レイブン、今、話せる?」
扉を開けた先に、エリシアが立っていた。
急いで来たのだろう。呼吸がわずかに乱れ、金髪が肩の前へ流れていた。片手には、折り畳まれた手紙を握っている。
「どうした」
「……少し、困ったことになって」
レイブンは身体を横へずらし、彼女を部屋へ入れた。
エリシアは勧められた椅子へ腰を下ろしたが、すぐには話し始めなかった。手紙の折り目を指で押さえ、何から説明するか迷っているようだった。
レイブンは机の道具を端へ寄せた。
「急がなくていい」
彼女は一度息を整えた。
「父と母が、私に人を紹介するつもりなの」
「人?」
「結婚相手として」
レイブンの手が止まった。
エリシアは目を伏せたまま続けた。
「帰ってきたら会うように、って。もう相手にも話をしているみたい」
「お前は、何か返事をしたのか」
「していないわ。こんな話が進んでいたことも、今日初めて知った」
彼女は手紙を差し出した。
「読んでもいい?」
尋ねると、エリシアは頷いた。
そこには娘の身体を気遣う言葉と、帰省を待っているという文面があった。その後に、会わせたい人物がいること、将来について一度きちんと話したいことが続いていた。
婚約が成立したとは書かれていない。
だが、エリシアが気軽な挨拶だけで済む話ではないと受け取った理由は分かった。
レイブンは手紙を畳み、彼女へ返した。
「会いたくないんだな」
「ええ」
今度は、すぐに返事があった。
「相手の方に何かあるわけじゃない。まだ会ったこともないもの。でも、私の知らないところで、結婚するかもしれない相手として話をされるのは嫌」
指先が手紙の端を掴んだ。
「帰って、父と母に話そうと思っているわ」
「ああ」
「それで……」
エリシアが顔を上げた。
レイブンは続きを待った。
彼女は一度唇を結び、それから言った。
「一緒に来てくれない?」
廊下を歩く足音が、扉の前を通り過ぎた。
レイブンは彼女の顔を見ていた。
「俺が行って、いいのか」
「あなたに来てほしいの」
その声は小さかったが、迷いはなかった。
「父と母には、私から話す。でも、あなたのことも、ちゃんと伝えたい」
レイブンは視線を落とし、自分の手を見た。整備をしていた指に、油が残っていた。
布で拭ってから、もう一度彼女を見る。
「分かった。休暇を申請する」
エリシアが瞬きをした。
「そんなに、すぐ決めていいの?」
「お前は、俺に来てほしいんだろ」
「……ええ」
「なら、一緒に行く」
彼女の肩から、少し力が抜けた。
けれど、レイブンには続けて確かめておくことがあった。
「ただ、行き先が連邦共和国だ。休暇だけ取って、勝手に出られる場所じゃない」
「必要な手続きは、私も確認するわ。帰省の申請も、まだこれからだから」
「ああ。日程を合わせよう」
二人は机の上へ紙を広げた。
帰省を求められている時期と、移動に要する日数。まず申請しなければならないことを書き出していく。
エリシアが家の所在地を記す手元を、レイブンは黙って見ていた。
連邦共和国。
地図の上では何度も見た国だった。前線で耳にした地名もある。だが、彼女の生家へ行く道として眺めるのは初めてだった。
「遠いな」
「途中で何度か乗り継ぐことになると思う」
「道は任せてもいいか」
エリシアは顔を上げ、ようやく少し笑った。
「そこは、私に任せて」
翌朝、レイブンは有給休暇を申請した。
行き先と目的を確認されたところで、相手の手が止まった。
「連邦共和国へ?」
「はい。私用です」
「私用なのは分かった。渡航に関する確認が要る。所属と身分を考えて、先に手続きを済ませろ」
「承知しています」
休暇が取れることと、渡航できることは別だった。
提出する書類が増え、確認のために呼ばれることもあった。エリシアも自身の帰省手続きを進め、二人は空いた時間に進み具合を伝え合った。
行くと決めたからといって、その日のうちに荷物をまとめられるわけではなかった。
ガイルが事情を知ったのは、レイブンが休暇中の引き継ぎをしているときだった。
「今度は、向こうの実家か」
「ああ」
「親御さんに会うんだろ」
「そのつもりだ」
ガイルは何か言いかけ、少し考えてから口を開いた。
「……最初の挨拶くらい、考えとけよ」
「考えてる」
「本当か? お前、困ると黙るからな」
レイブンは手元の書類から目を上げた。
「お前みたいに喋り続けるよりはいいだろ」
「今回は、ほどほどに喋れって言ってんだ」
その言葉は、覚えておくことにした。
必要な確認を終え、出発の日程が決まった夕方、エリシアが再び部屋を訪ねてきた。
今度は息を切らしていなかった。
「父と母に、返事を出したわ」
「何て?」
「紹介のお話は受けられないこと。帰ったら、自分で説明すること」
彼女はそこで少し間を置いた。
「それから、一緒に会ってほしい人がいるって」
レイブンは頷いた。
机の端には、許可を受けた書類と、準備途中の荷物が置かれていた。エリシアはそれを見てから、彼の隣に立った。
「ありがとう、レイブン」
「礼は、帰ってからでいい」
「帰る前に言いたかったの」
レイブンが顔を向けると、彼女は真っ直ぐこちらを見ていた。
彼は少しだけ照れたように目を伏せ、それから頷いた。
「ああ」
エリシアが荷物の上へ手を伸ばし、畳みかけの上着を整えた。
「向こうは、朝晩冷えるわ」
「もう一枚、入れるか」
「そうして」
レイブンは棚を開けた。
何を話すべきかは、まだ考えていた。彼女の父と母が、自分を見て何を思うのかも分からない。
それでも、出発する日は決まっていた。
取り出した上着を畳み、彼女の示した隙間へ収めた。




