第119話 受け渡すまで
第119話 受け渡すまで
帰隊翌日の午後
工兵の下士官は、広げられた地図へ指を置いた。
「この区間だな」
「はい。橋を渡った先です。外側から見ると、路面の下まで削られています」
レイブンが答える間にも、後ろでは車両から器材が下ろされていた。杭をまとめて担ぐ者、標識を運ぶ者、それぞれが指示を受けて持ち場へ散っていく。
「迂回路は?」
ガイルが手帳を開いた。
「南側に一本あります。土地の持ち主には話を通してありますが、石橋が狭い。途中に水が横切る箇所もあります。今は荷車を一台ずつ通してるだけです」
「軍の車両は入れてないな」
「入れてません」
工兵の下士官は頷き、手帳から顔を上げた。
「分かった。現物を見せてくれ」
レイブンたちは、先ほどまで歩いていた道を引き返した。
通行止めの表示の前では、班の兵士が住民へ事情を説明していた。空の籠を背負った女が迂回路の方向を尋ね、説明を聞いてから礼を言って歩き出す。
工兵の下士官は、そのやり取りにも目を向けた。
「歩きの者も、崩れたところへは入れるな。雨が止んだから安心して寄ってくる」
「了解」
崩落箇所へ着くと、工兵たちは手前で荷物を下ろした。
レイブンは朝に確認した位置を示したが、下士官はそこへすぐ近づこうとはしなかった。道の内側から斜面と地面を見比べ、同行の兵士へ短く指示を出す。
レイブンとガイルは、作業の邪魔にならない位置へ退いた。
先ほど自分たちが残した記録へ、新しい書き込みが加わっていく。道幅だけでなく、土の裂け目や水の流れ、周囲の地形まで確かめられていた。
ガイルが小声で言った。
「俺たちの見た目より、広く止めるんだな」
「ああ」
立入範囲を示す杭が、想像していたよりも手前に打たれた。
レイブンは自分の足元を見た。朝は、このあたりで若いパン屋と話していた。
工兵の下士官が戻ってきた。
「この線から先は入るな。上に残ってる土も、下から支えが抜けてる可能性がある」
その視線を受け、レイブンは頷いた。
「表示を移します」
「頼む。通る者にも、線の意味を説明してくれ」
ガイルと一緒に表示を運び直した。
道が使えないと伝えるだけなら、朝から何度もやっていた。だが、ここから先へ踏み込んではいけないと伝えるには、自分もその境界を理解しておく必要があった。
表示を置き直したところへ、案内してくれた男が戻ってきた。
「どうですか。すぐ直りそうですか」
レイブンは、作業中の工兵へ目を向けた。
「まだ調べているところです。今の段階では、いつ通せるかは言えません」
「そうですか……」
男は道の先を見た。
「向こうに畑がある者もいてね。明日の朝、また皆ここへ来ると思います」
「そのことも伝えておきます」
ガイルが手帳へ書き留めた。
「荷車を使う人が多いですか」
「畑へ行くだけなら歩きだが、収穫したものを運ぶとなるとね」
話を聞き終えると、レイブンは班の下士官へ報告した。
明日も同じ説明が必要になること。畑へ通う者がいること。南の道を使うなら、土地の持ち主と集落側へ、改めて通行の取り決めを知らせる必要があること。
下士官は地図の端へ書き込み、頷いた。
「こっちからも集落へ話す。お前たちは、南側を工兵に案内してこい」
再び、石垣の家へ向かった。
門の前で声を掛けると、年配の女は今度はすぐに顔を出した。
「ああ、さっきの兵隊さんか」
レイブンが工兵を紹介すると、女は道を空けた。
「水のところも見てくれるのかい」
「はい。先ほど伺った場所を確認します」
「それなら助かる。うちの荷車も通るからね」
ガイルが門を押さえ、器材を持った兵士たちを通した。
最後に自分が入り、足元を確かめてから門を閉める。
「鶏は?」
レイブンが尋ねた。
「中だ」
納屋の陰から鳴き声がした。
工兵たちは濡れた路面の手前で立ち止まり、水の来る側と流れていく側を調べ始めた。レイブンは朝の状態を説明し、それから一歩退いた。
自分たちが見つけたものを、次に扱う者へ渡していく。
説明し忘れたことがないか、ガイルと手帳を照らし合わせた。
石橋と街道への出口まで案内を終えた頃には、日が傾き始めていた。
帰還の指示を受け、分岐に待たせていた車両へ戻る。荷台へ上がろうとしたところで、後ろから呼ぶ声がした。
若いパン屋だった。
「今日は、ありがとうございました」
仕事の途中で抜けてきたらしく、袖には白い粉がついていた。
「道のこと、親父にも話しました。明日は南へ回ります」
「橋のところは、今日と同じようにな」
ガイルが言うと、男は頷いた。
「ええ。急がないようにします」
レイブンは、その顔を見てから荷台へ手を掛けた。
「店、開けられたんだな」
「はい。夕方の分も焼けました」
「よかった」
男が笑った。
車両が動き出すと、ガイルは荷台の縁へ背を預けた。
「泥だらけだ」
靴を持ち上げかけ、向かいに座る兵士に睨まれて下ろす。
「戻ったら落とせよ」
「分かってる」
レイブンは自分の靴も見下ろした。縫い目まで泥が入り込んでいた。
基地へ着けば、装備の手入れと報告が待っている。手帳を取り出し、揺れる荷台で今日の記録を読み返した。
隣からガイルが覗き込んだ。
「パンがうまかったってのも書いとけ」
「報告書にか」
「次に行く奴には大事だろ」
レイブンは笑い、手帳を閉じた。
「それは、口で伝える」
幌の隙間から差す西日が、二人の泥のついた靴を照らしていた。




