第118話 パンの届く道
第118話 パンの届く道
帰隊翌日の昼前
畑の先に、低い石垣で囲まれた家があった。
案内の男が門の外から声を掛けると、納屋の陰から年配の女が出てきた。手には、土のついた作業用の手袋を持っていた。
「どうしたんだい、こんな大勢で」
「橋の先が崩れましてね。南の道を通してもらえないか、聞きに来たんです」
女は兵士二人を見てから、来た道へ目を向けた。
「あそこか。昨日、馬車を引き戻していたね」
「ご存じでしたか」
「声が聞こえたから、うちの者も手伝いに行ったよ」
話を聞いた女は、手袋を腰の帯へ挟んだ。
「通るのは構わないよ。ただ、納屋の先で水が出てる。荷車を入れるなら、先に見ておくれ」
レイブンは礼を言い、地図を広げた。
「この道は、どこへ出ますか」
「古い水車小屋の手前。そこから街道へ戻れる」
女の指した場所を、ガイルが横から確認する。
「途中に橋は?」
「石の橋がひとつ。狭いから、大きな車は無理だよ」
レイブンとガイルは顔を見合わせた。
「まず、荷車ですね」
レイブンが言うと、女は頷いた。
「そっちの用事が済んだら、門は閉めておくれ。鶏が出るからね」
ガイルが足元へ目を落とした。
一羽の鶏が、すでに彼の靴のそばまで来ていた。
「こいつは戻した方が?」
「放っておけば戻るよ。追うと余計なところへ行く」
「了解です」
妙に真面目な返事に、レイブンは口元を緩めた。
納屋の先では、斜面から染み出した水が道を横切っていた。
砂利の上を浅く流れているだけに見えたが、レイブンは水の際で足を止めた。ガイルも反対側へ回り込もうとはせず、手前から路面を見ている。
水が集まる端には泥が溜まっていた。その先で、道脇の溝が草と枝に塞がれている。
「流れ先は、あそこか」
ガイルの視線を追い、案内の男が頷いた。
「前はそのまま下へ抜けていたんですが」
二人は道から外れずに確認できる範囲を調べた。水の下にも砂利は残っていたが、道幅の狭い箇所と、荷車の車輪が通る位置は報告しておく必要があった。
さらに先へ進む。
石橋は、荷車一台が通れば余裕の少ない幅だった。欄干には古い欠けがあったが、近づくにつれて新しい崩れや大きな沈み込みは見当たらなかった。橋の下を流れる水は濁り、上流から小枝が流れてくる。
レイブンはそこで立ち止まり、手帳へ記録した。
「俺たちだけで、軍の車が使えるとは言えないな」
「ああ。工兵に見てもらおう」
ガイルも橋の入口を見直した。
「荷車も、一度に何台も入れない方がいい」
街道への出口まで確かめて戻ると、下士官が若いパン屋を連れて待っていた。
二人の報告を聞き、下士官は地図に経路を書き込んだ。土地の持ち主へ改めて使用の了解を取り、濡れた箇所を自分でも確認する。
「荷車は一台ずつ通す。橋の手前では止まって確認しろ。軍の車両は入れない。こちらは工兵の判断を待つ」
若い男が深く息を吐いた。
「ありがとうございます」
「帰りは粉が載る。行きと同じつもりで進むなよ」
「はい」
レイブンとガイルは、街道への出口まで付き添うことになった。
納屋の脇を抜けるとき、ガイルが門を閉めた。先ほどの鶏は、今度は石垣の上からこちらを見ていた。
「そこから出るなよ」
声を掛けても、鶏は首を動かしただけだった。
濡れた箇所では、若い男が歩調を落とした。車輪が泥へ寄らないよう、持ち手を慎重に動かす。ガイルは脇を歩き、狭いところへ差しかかる前に声を掛けた。
石橋を越え、街道へ出ると、男はようやく荷車を止めた。
「ここまで来れば大丈夫です」
額の汗を袖で拭い、二人へ頭を下げる。
「帰りも、この道を使わせてもらいます」
「状況が変わってたら無理はするな。人がいたら声を掛けろ」
レイブンの言葉に、男は頷いた。
「店へも寄ってください。今朝の分は、まだ少しありますから」
「買いに行くときは、ちゃんと金を持ってくる」
ガイルが答えると、男は笑った。
「じゃあ、焼きたてを用意しておきます」
荷車の軋む音が、街道に沿って遠ざかっていった。
レイブンはそれを見送ってから、来た道へ向き直った。
まだ確認する場所が残っていた。
昼過ぎには、基地へ戻った車両を通じて工兵へ報告が送られた。崩落箇所の手前には通行を止めるための表示が置かれ、迂回路についても、通せるものを限って住民へ伝えられた。
レイブンは道の入口で、向かいから来る荷車を止めた。
今度は粉袋を積んでいた。
「戻りました」
若いパン屋が、少し疲れた顔で笑った。
「途中は?」
「ゆっくりなら。橋のところは、降ろして運んだ方がいいかと思いましたけど」
「重かったら、そうしてくれ」
話している間に、ガイルが車輪と荷台を見た。
「店までは遠いのか」
「すぐです。あの屋根の向こう」
男が顎で示した先から、薄い煙が上がっていた。
レイブンたちは持ち場を交代してから、少しだけ店へ寄った。
扉を開けると、温かな空気に包まれた。奥では若い男の父親が粉袋を受け取り、息子へ何か言いながら肩を叩いていた。
棚に残っていた丸いパンを、二つ買った。
店を出たところで、ガイルが自分の分を割った。冷めかけていたが、中にはまだ柔らかさが残っていた。
「うまいな」
レイブンもひと口食べた。
「ああ」
向かいの道を、空になった荷車が納屋へ戻っていく。
ガイルはパンを飲み込み、手についた粉を払った。
「次は、あいつが普通に仕入れに行けるといいな」
レイブンは崩れた道の方を見た。
午後の光の下で、通行止めの表示が立っていた。その手前に集まった兵士たちが、到着した工兵へ地図を広げている。
「戻るぞ。俺たちが見たところも伝えよう」
残りのパンを包み直し、二人は道を渡った。




