第117話 雨のあとに残るもの
第117話 雨のあとに残るもの
帰隊翌日の午前
舗装の継ぎ目を越えるたび、荷台が小さく跳ねた。
ガイルは膝に置いた荷物を押さえながら、幌の隙間から外を眺めていた。基地から離れるにつれて建物が減り、雨水の残る畑が見えるようになった。
「思ったより降ったんだな」
畝の間には、まだ空を映す水が溜まっていた。
レイブンは荷台の縁に添えていた手を持ち替えた。道沿いの側溝を、濁った水が流れている。ところどころに枝や枯れ草が引っ掛かり、その上流だけ水位が高くなっていた。
やがて車両が速度を落とした。
前方から短い声が掛かり、停車する。幌の向こうで扉が閉まった。
「ここから徒歩だ」
荷台を下りると、靴底に柔らかい土がまとわりついた。
説明で示された分岐だった。集落へ向かう道の入口には荷車が一台止まり、その脇に、泥のついた外套を着た男が立っていた。
男は近づいてくる兵士たちを見ると、被っていた帽子を取った。
「道を見に来た方々ですか」
班を率いる下士官が頷き、用件を伝えた。男は荷車を振り返った。
「橋は渡れます。ただ、その先が削られていて。昨日も馬車が一台、危うく車輪を落とすところでした」
「怪我人は?」
「出ませんでした。近所から人を呼んで、引き戻したんです」
レイブンは道の先へ目を向けた。
低い木々の間に、小さな橋の欄干が見えていた。
男の案内で進むと、途中から地面に深い轍が現れた。片側だけ大きく蛇行している。車輪が滑り、戻そうとして踏み荒らした跡だった。
「ここです」
橋を渡って少し先で、男が足を止めた。
道の外側が崩れていた。
上から見ると土が残っているように見える箇所もあったが、斜面へ目を下ろすと、その下がえぐられている。露出した根の先から、細かな土が水と一緒に落ちていた。
ガイルが近づきかけた足を止めた。
「こいつは、乗ったら抜けるな」
「離れろ。縁に寄るな」
下士官の指示に従い、一同は道の内側へ移った。
レイブンは少し手前まで戻り、近づく者に声を掛ける位置についた。ガイルたちは安全な場所から崩落の範囲を確かめ、地図と手帳へ記録していく。
やがて、集落の方から空の荷車を引いた若い男が来た。
レイブンが手を上げると、男は不安そうに足を止めた。
「通れませんか」
「この先で路肩が崩れてる。荷車は、いったんここで待ってくれ」
「粉を取りに行かなきゃならなくて」
男は困った顔で道の先を見た。
「ほかに道は?」
「北の畑を回れば出られます。でも、あそこは……」
言いかけて、脇にいた案内の男を見た。
「水が引いてるか、まだ分からん」
代わりに答えた男が、帽子を被り直した。
「歩きなら行けるかもしれませんが、荷車はどうでしょうな」
下士官が話を聞きに戻ってきた。
短く相談し、二人を連れて迂回路の確認へ向かうことになった。レイブンとガイルは崩れた道に残り、通行する者を止めながら、報告に必要な情報を揃えた。
待っていた若い男は荷車を道の脇へ寄せると、腰を下ろさず立ったまま車輪を見つめていた。
「急ぎか」
レイブンが尋ねると、男は頷いた。
「店で使う分です。昨日は残りで何とかしましたけど」
「パン屋か?」
「ええ。親父と二人で」
ガイルが顔を上げた。
「そりゃ困るな」
いつもの軽口とは違う、素直な声だった。
若い男は小さく笑ったが、すぐ道へ目を戻した。
「大きな車が通れなくなるのは分かってたんです。でも、これなら通れると思って」
レイブンは空の荷台を見た。
行きは軽くても、帰りには粉が載る。その重さを受けた車輪が、崩れかけた縁を踏むかもしれなかった。
「止まってくれて助かった」
そう言うと、男はこちらを見た。
「向こうから戻るまで、少し待ってくれ」
「……分かりました」
しばらくして、畑の方から声がした。
戻ってきた下士官の靴は、さっきより深く泥に汚れていた。
「北側は使えん。途中で水が溜まってる」
若い男の肩が落ちた。
案内の男が顎に手を当て、少し考えてから口を開く。
「南の古い道ならどうでしょう。遠回りになりますが、砂利を入れたところです。土地の持ち主に聞けば、通してくれるかもしれません」
「入口まで案内してもらえますか」
「ああ。家も途中です」
下士官は地図を開き直した。
レイブンはその指が追う道を覗き込んだ。補給路として車両が使えるかは、幅や橋も確かめる必要があった。だが、まず荷車を通せるなら、目の前の男は粉を取りに行ける。
「ガイル、クロウ。先方の了解を取ってから、路面を確認してこい。勝手に荷車を進めるな」
「了解」
ガイルが手帳をしまった。
若い男が荷車の持ち手を握り直しかける。
「まだ待ってろよ」
ガイルが声を掛けた。
「通れると分かったら呼ぶ。粉を積んで戻れるところまで、ちゃんと見てくる」
男は手を離し、頷いた。
レイブンは案内の男に続いて歩き出した。
畑の脇へ入ると、ぬかるみに靴が沈んだ。足を抜き、固い地面を探して踏み直す。背後から来たガイルも同じ場所で足を取られ、小さく悪態をついた。
「これでパンが食えなかったら、割に合わねえな」
「買いに来ればいいだろ」
「お前も来いよ」
「ああ」
男が振り返り、初めて少し笑った。
「道が通じたら、案内しますよ。あそこのパンはうまいですから」
レイブンは頷き、先に続く砂利道へ目を向けた。




