第116話 朝の呼集
第116話 朝の呼集
帰隊翌日の朝
廊下を歩く靴音で、レイブンは目を覚ました。
窓の外はまだ薄暗かった。寝台の上で身体を起こし、しばらく耳を澄ませる。隣室で誰かが欠伸をして、水場の方では蛇口をひねる音がした。
いつもの兵舎の朝だった。
身支度を整えたあと、机の上の便箋を手に取った。昨夜書いた短い手紙を読み返し、封筒へ収める。宛名を書いていると、扉が二度鳴った。
「起きてるか」
「今行く」
封筒を上着の内側へ入れ、扉を開けた。
ガイルが立っていた。こちらの顔を見るなり、わずかに眉を上げる。
「今日は早いな」
「お前が来たからだろ」
「感謝してくれていいぞ。朝飯を食い損ねずに済む」
並んで廊下を歩くと、開いた部屋の中で靴紐を結んでいた兵士が顔を上げた。短く挨拶を交わし、そのまま階段を下りる。
食堂はすでに混み始めていた。
食器の触れ合う音と、眠そうな声が低い天井の下に重なっている。配膳を受けて席についたところで、レイブンは持ってきた包みを卓上へ置いた。
「母さんからだ。皆で食べろって」
ガイルが包みを覗き込んだ。
「お前、昨日のうちに言えよ」
「夕飯を食ったあとだっただろ」
「菓子は入る」
すぐ隣の兵士が笑い、ガイルの手元へ視線を向けた。
「一人で抱えるなよ」
「まだ取ってねえだろ」
レイブンは包みを開き、卓の中央へ押した。
菓子は端から順に手渡され、ほどなく半分ほどになった。ガイルはひとつ齧り、口の中のものを飲み込んでから言った。
「うまいな。礼を言っといてくれ」
「ああ」
その一言を、手紙に書き足そうと思った。
食事を終える頃、食堂の入口に当直の下士官が現れた。
「食後、各班で人員を確認。午前の予定に変更がある。装備点検を済ませて待機しろ」
近くの席から返事が上がった。
ガイルが残っていた飲み物を飲み干し、器を置いた。
「帰ってきた途端、これか」
「昨日から決まってたんじゃないのか」
「だったら昨日の俺に、もう少し休んどけと言ってやりたい」
口ではそう言いながらも、立ち上がる動作は早かった。
食器を返し、兵舎へ戻る途中で、レイブンは郵便の集積場所へ寄った。封をする前に、便箋の最後へ一文を足す。
『菓子は好評だった。ガイルも礼を言っていたと、母さんに伝えてくれ』
今度こそ封を閉じ、所定の箱へ入れた。
指を離すと、封筒はほかの手紙の間へ滑り込んだ。
「出したか」
少し先で待っていたガイルが声を掛けた。
「ああ」
「なら戻ろうぜ。俺たちだけ点検が終わってないと面倒だ」
部屋へ戻ると、レイブンは装備を順に机へ並べた。
休暇前に整備してあったものでも、確認は省かなかった。金具の緩み、帯の傷み、留め具の動き。携行品を戻しながら、手を伸ばした位置に必要なものがあるかを確かめる。
ガイルも隣で作業をしていたが、途中で眉をひそめた。
「……何だ、これ」
「どうした」
「誰か俺の帯、触ったか?」
レイブンは顔を向けた。
ガイルが持ち上げた帯は、途中で半回転していた。
「自分で外したときに捻ったんだろ」
「決めつけるなよ」
「昨日の俺に聞いてみたらどうだ」
ガイルがこちらを見た。
レイブンは留め具へ視線を戻しながら、口元だけで笑った。
点検を終え、指定された部屋へ向かうと、すでに何人かが集まっていた。壁際には丸めた地図が立て掛けられ、机の上には書類が揃えられている。
レイブンとガイルは空いている席へ座った。
後から入ってきた兵士が扉を閉める。ほどなく説明役の下士官が机の前へ立ち、集まった顔を確かめた。
「全員いるな」
返事を待ってから、地図を広げる。
基地周辺の道路と、その先にある集落が記されていた。いくつかの箇所に印が付いている。
「補給車両の通行路を確認する。先日の雨で路肩が崩れた区間がある。工兵が入る前に、現地の状態と迂回できる道を調べる」
指が地図の上を動いた。
「途中の集落にも立ち寄る。道路に関する話を聞き、報告に上がっていない支障がないか確認しろ。住民の通行を塞ぐな。私有地へ入る必要があれば、先に話を通せ」
ガイルが地図へ身を寄せた。
「車両はどこまで入れます?」
「この分岐までだ。そこから先は現地で判断する。無理に進めて車両ごと道を塞ぐなよ」
「了解」
続いて、人員と役割が割り振られた。
レイブンは自分たちの担当区間を目で追った。短い橋を渡り、林の脇を抜けて集落へ続く道だった。
説明が終わると、椅子を引く音が一斉に重なった。
外へ出た頃には、朝日が構内まで差し込んでいた。車両のそばで整備員が手を拭きながら、運転手へ何かを伝えている。
ガイルが荷物を載せ、振り返った。
「昨日は家までの道で、今日は補給路か」
「今日はお前が一緒だな」
「何だ、その残念そうな言い方」
レイブンは返事の代わりに荷台へ上がり、奥へ詰めた。
ガイルも続いて乗り込む。最後の一人が腰を下ろし、後部の板が閉じられた。
車体が低く震え始める。
門へ向かって動き出した車両の上で、レイブンは膝の間の装備を押さえた。昨日くぐったばかりの門が、朝の光の中で近づいてきた。




