第114話 灯りの向こうに
第114話 灯りの向こうに
帰省中の夜、そして翌日の夕刻
話しているうちに、ずいぶん時間が過ぎていた。
レイブンは膝の上で組んでいた手をほどいた。ルナは寝台の端に腰を下ろしたまま、兄の話を聞いていた。途中からは問い返すことも少なくなり、ときおり視線を落としては、自分の中で何かを確かめるように頷いていた。
話せることを、すべて話したわけではない。
言葉にしようとすると、まだ喉につかえる記憶もあった。それでも、軍に入ってから何を感じ、何を失い、どんな人間に支えられて帰ってきたのかは、自分の言葉で伝えたつもりだった。
机の上の灯りが、ルナの横顔を照らしていた。
「……長くなったな」
レイブンが立ち上がると、ルナも顔を上げた。
「ううん。聞けてよかった」
少し疲れた声だった。それでも、話し始める前のように、答えを急いでいる様子はなかった。
レイブンは扉へ向かった。取っ手に手を掛けたところで、背後から呼び止められる。
「兄さん」
振り返ると、ルナは膝の上に置いた両手を見つめていた。やがてゆっくり顔を上げ、兄の目を見た。
「もう一度、自分が何をしたいのか、考えてみる。……ありがとう、兄さん」
レイブンは、ふっと微笑んだ。
「ああ」
それ以上は言わなかった。
せっかくルナが自分で考えようとしているところへ、また兄の答えを置いていく必要はない。
取っ手を回し、扉を開けた。
廊下に、三人いた。
いちばん近くにいたセレナが、こちらへ傾けていた身体を起こしかけた姿勢で止まっていた。その隣ではエリシアが両手を胸の前で重ね、目だけをレイブンへ向けている。さらに後ろにいたヴァルターは、扉から一歩退こうとしていたらしく、片足を引いたまま固まっていた。
誰も口を開かなかった。
レイブンは三人を順番に見たあと、開いた扉へ視線を戻した。
「……よく聞こえたか」
「違うのよ」
真っ先に答えたのは母だった。
「お茶を持ってこようと思って」
レイブンは母の手元を見た。何も持っていなかった。
セレナも自分の手を見下ろし、隣のヴァルターへ視線を移した。
父は一度だけ咳払いした。
「話の途中で入るわけにもいかんだろう」
「それで、三人で待ってたのか」
「……結果としては、そうなるな」
エリシアが唇を結んだ。笑いを堪えたのか、何か弁明しようとしたのか、レイブンには判断がつかなかった。
「エリシアも?」
「私は、お二人を呼びに来たの」
「それから?」
彼女は一瞬、目を逸らした。
「……少し、気になって」
背後で小さく笑う声がした。
振り向くと、ルナが口元に手を当てていた。つい先ほどまで考え込んでいた妹が、困った顔で並ぶ三人を見て肩を揺らしている。
「もう。聞いてたなら、入ってくればよかったのに」
「二人で話していたから、邪魔したくなかったのよ」
セレナの言葉に、ルナは呆れたように笑った。
レイブンも息を漏らし、廊下へ出た。
「今度からは、扉から少し離れてくれ。開けたときにぶつかる」
ヴァルターがようやく足を戻した。
「覚えておこう」
その返事を聞いて、今度はエリシアまで笑い出した。
翌日は、思ったより早く過ぎた。
朝食を囲み、家の中で他愛のない話をしているうちに、窓から差す光の向きが変わっていた。レイブンが帰り支度を始める頃には、庭の影が長く伸びていた。
ルナは玄関まで見送りに下りてきた。
「気をつけてね」
「ああ。お前も、夜更かししすぎるなよ」
「兄さんに言われたくない」
すぐに返ってきた言葉に、レイブンは苦笑した。
ルナはエリシアにも挨拶をして、それから少し迷った末に、彼女の袖を軽く引いた。
「エリシアさん、少しだけ」
レイブンは先に外へ出た。
夕方の空気には、家の中とは違う冷たさがあった。肩の荷物を掛け直していると、玄関から父と母の声が聞こえ、そのあとにエリシアの足音が続いた。
二人で歩き始めてしばらくしてから、彼女が口を開いた。
「ルナ、納得したって」
レイブンは隣を見た。
「昨夜の話か」
「ええ。自分で考え直してみるって。兄さんが話してくれてよかった、って言っていたわ」
「……そうか」
返事をしてから、レイブンは後ろを振り返った。
少し離れたところに、家が見えた。
二階の窓に明かりが灯っていた。ルナの部屋だった。薄いカーテンの向こうに、机へ向かう人影がかすかに見えた。
何を書いているのだろうと思った。
昨夜の話を整理しているのかもしれない。聞きたかったことを思い出したのかもしれない。あるいは、兄の話とは関係のない、明日の用事をしているだけかもしれなかった。
レイブンはしばらく、その窓を見ていた。
エリシアも立ち止まり、急かさず隣にいた。
いずれルナが答えを出したときには、また話を聞こうと思った。その答えが自分の望むものと違っていても、まずは最後まで聞いてやりたかった。
――頑張れ、ルナ。
胸の内でそう声を掛け、レイブンは前へ向き直った。
「行こう」
エリシアが頷き、隣に並んだ。
二人は基地へ続く道を歩き始めた。暮れていく道の先へ足を進めながら、レイブンは肩の荷物を掛け直した。
背後の窓には、まだ明かりが灯っていた。




