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黒鴉年代記 ~戦火を超えて、受け継がれる意志~  作者: @12
第二部:戦火の終焉と新たなる時代 第一章 交わる軍旗、影と戦乙女
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第112話 父への辞令、受け継がれる教壇

第112話 父への辞令、受け継がれる教壇


帝政歴347年11月14日、午後4時26分。

帝国軍中央特別編成基地、第一庁舎。

午後の業務を終えたレイブン・S・クロウ軍曹は、第一庁舎の廊下を歩きながら、手元の通信端末に表示された帰還予定を確認していた。

ヴァルトハイム旧貨物駅の第二保管区画に関する調査会議は、午前中に終了している。午後には追加の証言記録と装備報告書を提出し、現地の共同特別任務分遣隊へ引き継ぐ事項も整理した。

今後、専門調査班が封鎖区域の安全性を評価するまでは、現場への立ち入りを制限する方針が維持されることになっている。

父ヴァルターが異界から持ち帰った《境界晶》についても、本人への正式な聞き取りと保管状況の確認が予定されていた。

もっとも、レイブンの頭を占めていたのは、それらの軍務だけではなかった。

昼前、ガイル・ベッカーから聞いた話が、何度も思い返されていた。

戦死した父親の帰りを待ち続けた少年時代。

軍の車両が自宅の前に止まるたび、悪い知らせではないかと怯えたこと。

そして、何もできない自分が悔しくて、父と同じ軍人の道を選んだこと。

レイブンは、廊下の窓から見える訓練場へ視線を向けた。

夕暮れが近づく演習場では、訓練生たちが整列し、教官の号令に合わせて駆け足を始めていた。

その光景を見ながら、彼は小さく息を吐いた。

「……最初から、全部分かってる奴なんていないよな」

自分自身も、志願兵学校へ入った頃から今と同じ考えを持っていたわけではない。

軍人としての責任も、命令を下すことの重さも、仲間を失う恐怖も、訓練と実戦を通じて少しずつ理解してきた。

それなのに、妹には入隊前から完成された答えを求めてしまった。

その矛盾が、今になって胸に刺さっていた。

「クロウ軍曹」

背後から声を掛けられ、レイブンは振り返った。

そこには、帝国軍の事務担当下士官が立っていた。

「人事局から、ヴァルター・A・クロウ教官宛ての書類を預かっています」

「……父宛てですか?」

「はい。ご自宅へお戻りになるのであれば、こちらをお渡しいただけますか」

下士官は、厚手の封筒を差し出した。

封筒には帝国軍人事局の印章が押され、宛名欄には父の氏名と所属が記されている。

レイブンは、受取簿に署名した。

「承知しました。父へ渡します」

「よろしくお願いします」

下士官は敬礼し、廊下の向こうへ戻っていった。

レイブンは封筒を見つめた。

表面には《人事異動関係通知》と記されている。

「……人事異動?」

父は長年、帝国軍の志願兵教育に携わってきた。

自分が志願兵学校へ入学した頃も、父は指導教官として訓練課程に関わっていた。

今さら人事局から何の通知が届いたのだろう。

レイブンは少し首を傾げたが、その場では開封せず、鞄の書類入れへ収めた。

午後5時03分。

帝国軍中央特別編成基地、正門。

基地を出ると、空は薄い橙色に染まっていた。

正門前の道路では、勤務を終えた兵士たちが駅へ向かい、反対側からは夜間勤務の交代要員を乗せた輸送車が入ってくる。

レイブンは外套の襟を整え、駅へ向かって歩き始めた。

途中、通信端末が振動した。

エリシアからだった。

《ルナちゃんと、少しずつ話を進めているわ。今日は軍の仕事について一緒に調べたの》

その下には、もう一通の短い文章が続いていた。

《まだ答えを急がせないつもり。あなたも、帰ったら落ち着いて話してあげてね》

レイブンは、思わず微笑んだ。

「……本当に、かなわないな」

エリシアは共和国軍の少尉であり、異なる軍に所属する将校だった。

それでも、彼女はレイブンの家族の問題に真剣に向き合ってくれている。

自分なら、ルナに何を言っただろう。

昨日までの自分なら、志願理由を明確にするよう再び求めていたかもしれない。

だが、今は違う。

妹がどんな思いで軍に入りたいと考えたのか、まずは最後まで聞こうと思っていた。

レイブンは端末へ返信した。

《ありがとう。帰ったら、俺も話してみる》

送信を終えると、彼は駅へ向かって歩き出した。

午後5時21分。

帝国領中央部、軍用連絡駅。

夕方の駅構内には、帰宅する軍人や職員たちの姿が多く見られた。

駅員の案内放送が響き、蒸気と魔力補助機関を併用した旅客機関車が、低い唸り声を上げながらホームへ入ってくる。

レイブンは乗車券を提示し、指定された車両へ乗り込んだ。

窓際の席へ腰を下ろすと、鞄を膝の上へ置いた。

列車は定刻通りに発車した。

車輪が継ぎ目を越える規則的な音が響き、基地周辺の建物がゆっくりと後方へ流れていく。

レイブンは窓の外を眺めていたが、やがて鞄から先ほどの封筒を取り出した。

帝国軍人事局。

人事異動関係通知。

父ヴァルター・A・クロウ宛て。

封筒の表面を見つめながら、彼は眉を寄せた。

「……父さん、異動するのか?」

封筒は厚く、複数の書類が入っているようだった。

レイブンは一度、鞄へ戻そうとした。

しかし、封筒の端に小さく記された注意書きが目に入った。

《受領者確認用写し同封》

父宛ての通知とは別に、受領者が確認するための書類が含まれているらしい。

レイブンは、封筒の口を慎重に開いた。

中には、宛名の異なる二つの書類束が収められていた。

一つはヴァルター宛ての正式な辞令。

もう一つは、レイブン本人宛ての人事通知だった。

彼は、自分宛ての書類を取り出した。

そして、そこに記されていた内容を読んだ瞬間、動きを止めた。

午後5時34分。

中央部幹線鉄道、第三旅客車両。

レイブンは、書類の冒頭をもう一度読み返した。

《帝国軍人事局発令》

《対象者:ヴァルター・A・クロウ》

《現職:帝国軍志願兵教育課程・指導教官兼訓練教官》

《新任:帝国軍兵器開発局・特殊兵装研究部門》

《異動理由:異界由来物質及び特殊兵装技術に関する専門的知見の活用》

レイブンは、目を細めた。

「……兵器開発局?」

父が兵器開発に関する知識を持っていることは知っていた。

義肢の改良にも関わっており、特殊な魔力回路や機械構造について独自の研究を続けていた。

しかし、長年務めてきた教官職を離れるとは聞いていない。

まして、異界由来物質の研究部門へ正式に異動するなど、初耳だった。

レイブンは、次の項目へ視線を移した。

《異動発効日:帝政歴347年11月17日》

《引継期間:同年11月15日から11月16日まで》

《備考:特殊研究任務への配置転換に伴い、教育課程における現職を解く》

彼は、静かに息を吐いた。

「……急すぎるだろ」

わずか数日後には、父は教官職を離れることになる。

だが、本当に驚くべき内容は、その下に記されていた。

《後任配置に関する特別人事命令》

《対象者:レイブン・S・クロウ軍曹》

《現所属:帝国軍中央特別編成基地・共同特別任務分遣隊》

《新任:帝国軍志願兵学校・実技訓練教官》

《任務:志願兵教育課程における戦闘基礎、射撃、野外行動及び実戦経験に基づく訓練指導》

《配置発効日:帝政歴347年11月17日》

レイブンは、書類を持ったまま固まった。

「…………は?」

思わず声が漏れた。

向かいの席に座っていた年配の男性が、少し驚いたように顔を上げる。

レイブンは、慌てて口を閉じた。

しかし、視線は書類から離れなかった。

父が教官職を離れる。

その後任に、自分が配置される。

しかも、既に正式な人事命令として発令されている。

レイブンは、もう一度最初から読み返した。

誤字ではない。

同姓同名の別人でもない。

軍籍番号も、階級も、所属も、すべて自分のものだった。

「……俺が、教官?」

彼は、思わず額へ手を当てた。

つい数年前まで、自分は志願兵学校の訓練生だった。

父をはじめとする教官たちから指導を受け、同期のガイルやユリウス、フェリックスたちとともに厳しい訓練を乗り越えてきた。

それが今度は、自分が教える側になるという。

レイブンは、窓の外へ視線を向けた。

列車は夕暮れの田園地帯を走っていた。

遠くの丘には、帝国軍の通信塔が見える。

「……冗談だろ」

小さく呟いた。

しかし、書類の印章は本物だった。

さらに下部には、配置転換の理由が記されていた。

《第一次世界大戦における実戦経験、特殊任務遂行能力、近接戦闘及び射撃技術、ならびに志願兵教育課程における成績を総合的に評価し、実技訓練教官として適任と認める》

レイブンは、しばらく黙っていた。

確かに、戦場では多くの経験を積んできた。

塹壕戦。

市街地戦。

異界軍との交戦。

共同作戦。

仲間の指揮や救出。

それらの経験が、志願兵の教育に役立つ可能性はある。

しかし、実戦経験が豊富であることと、人に教えることが上手であることは別の問題だった。

レイブンは、静かに書類を下ろした。

「……人に教える、か」

その言葉を口にした瞬間、昨夜の出来事が頭をよぎった。

ルナとの喧嘩。

軍への志願理由を尋ね、答えられない妹を追い詰めてしまったこと。

そして、ガイルから聞いた話。

戦死した父の帰りを待ち続けた少年が、何もできなかった自分を変えたいと願い、軍人になったこと。

レイブンは、書類を見つめた。

「……俺に、できるのか?」

自分は、妹一人の気持ちすらうまく受け止められなかった。

それなのに、これから軍へ入ろうとする若者たちを指導する立場になるという。

彼は、深く息を吐いた。

午後5時49分。

列車は、中央市街地を抜けて郊外へ入っていた。

車内の照明がともり、窓ガラスには乗客たちの姿が薄く映っている。

レイブンは、人事通知を膝の上へ置いたまま考えていた。

父は、長年にわたって志願兵を育ててきた。

時には厳しく、時には穏やかに。

訓練生の適性を見極め、危険な行動を正し、必要な時には相談に乗っていた。

自分も、その一人だった。

父は教官としてだけでなく、親としても多くのことを教えてくれた。

戦場で生き残るための知識。

仲間を守るための判断。

そして、家族のもとへ帰ることの大切さ。

レイブンは、静かに目を閉じた。

父が昨日、ルナに何を話したのか、詳しくは聞いていない。

しかし、ルナは父と話した後、少し落ち着いたと聞いている。

同じ軍人でありながら、父は妹の気持ちを受け止めることができた。

自分には、それができなかった。

「……まだまだだな、俺」

レイブンは、小さく苦笑した。

その時、ガイルの声が記憶の中で蘇った。

《最初から立派な志願理由を持ってる奴ばかりじゃねえんだよ》

レイブンは、ゆっくりと目を開けた。

確かに、その通りだった。

軍へ志願する理由は、人によって違う。

国を守りたい者。

家族を守りたい者。

生活のために安定した職を求める者。

自分の能力を試したい者。

そして、ガイルのように、大切な人を失った経験から軍人を志す者。

最初の動機が曖昧でも、訓練や経験を通じて、自分の進む道を見つけることはできる。

もちろん、軍人として必要な適性や責任を軽視してよいわけではない。

だが、志願理由が未完成であることだけを理由に、その人の可能性を否定するべきではない。

レイブンは、静かに頷いた。

「……そういうことか」

自分が教官になるのなら、まず学ばなければならないことがある。

人を指導するとは、ただ正しい答えを教えることではない。

相手が何を考え、何に悩み、何を目指しているのかを理解すること。

その上で、必要な知識と技術を伝えること。

レイブンは、書類を見つめた。

「……父さん、ずっとそれをやってたんだな」

彼は、少しだけ微笑んだ。

午後6時07分。

中央部幹線鉄道、クロウ家最寄り駅方面。

車内放送が流れた。

『まもなく、クロウ中央駅に到着いたします。お降りのお客様は、お忘れ物のないようご注意ください』

レイブンは、顔を上げた。

窓の外には、見慣れた町並みが広がっている。

夕暮れの街灯がともり、駅前の商店には買い物客の姿が見えた。

彼は、膝の上に置いた人事通知をもう一度見た。

父の異動。

自分の教官任命。

どちらも、まだ家族へ伝えていない。

レイブンは、静かに息を吐いた。

「……父さん、驚くだろうな」

いや、もしかしたら父は既に知っているのかもしれない。

人事局から何らかの内示があった可能性もある。

しかし、少なくとも自分は何も聞かされていなかった。

レイブンは、書類を丁寧に揃えた。

父宛ての辞令と、自分宛ての人事通知を元の封筒へ戻す。

封筒の口を閉じ、鞄の内側へ収めた。

そして、窓の外を見つめた。

ルナは、今頃どうしているだろう。

エリシアと一緒に、志願兵学校の資料を読んでいるのだろうか。

自分が軍へ入った頃のことを、少しでも知ろうとしているのだろうか。

レイブンは、静かに微笑んだ。

「……ルナ」

小さく呟いた。

「……お前が本当に軍に入りたいなら、今度はちゃんと話を聞くよ」

そして、心の中で続けた。

もし妹が志願兵学校へ入学することになったら。

自分が、そこで教官として働いている可能性がある。

その事実に気づいた瞬間、レイブンは再び顔を引きつらせた。

「……いや、待て」

彼は、鞄の中の封筒へ視線を向けた。

「……ルナが入学したら、俺が教官?」

想像してみた。

訓練場に整列する志願兵たち。

その中に、妹ルナの姿がある。

自分は教官として、全員へ指示を出す。

そして、妹も他の訓練生と同じように扱わなければならない。

レイブンは、思わず額へ手を当てた。

「……絶対、ややこしくなるだろ」

近くの乗客が、少し不思議そうに彼を見た。

レイブンは、慌てて口を閉じた。

しかし、頭の中では既に様々な問題が浮かんでいた。

兄妹という関係。

教官と訓練生という立場。

公私の区別。

そして、昨夜の喧嘩。

どれも、簡単に整理できるものではなかった。

レイブンは、静かに息を吐いた。

「……まずは、父さんに相談だな」

列車が減速を始めた。

車輪が線路を擦る音が響き、ホームの照明が窓の外を流れていく。

レイブンは立ち上がり、鞄を肩へ掛けた。

午後6時12分。

クロウ中央駅。

列車が停車し、扉が開いた。

レイブンは、他の乗客とともにホームへ降りた。

冷たい夕方の空気が頬を撫でる。

彼は、駅の時計を見上げた。

午後六時十二分。

まだ、屋敷へ戻るには十分な時間だった。

レイブンは、改札へ向かって歩き始めた。

鞄の中には、父と自分の未来を変える二通の人事命令が入っている。

そして、胸の中には、ガイルから聞いた過去と、ルナの気持ちを理解しようとする新たな決意があった。

父のような教官になれるかどうかは、まだ分からない。

だが、もし本当にその職に就くのなら、ただ戦い方を教えるだけの人間にはなりたくなかった。

志願兵たちが何を思い、何を恐れ、何を守ろうとしているのか。

それを理解できる教官になりたい。

レイブンは、駅の出口で一度立ち止まった。

そして、静かに呟いた。

「……父さんの後任、か」

少しだけ苦笑した。

「……荷が重いな」

しかし、その表情には、先ほどまでの戸惑いとは違うものが浮かんでいた。

責任を引き受ける覚悟だった。

レイブンは、再び歩き始めた。

家では、父ヴァルターと母セレナ、そして妹ルナが待っている。

エリシアも、まだ屋敷に滞在しているはずだった。

まずは、父へ辞令を渡す。

そして、ルナと向き合う。

その順番を心の中で確認しながら、彼は夕暮れの町を歩いていった。

帝政歴347年11月14日。

レイブン・S・クロウ軍曹は、基地での任務を終えた帰路、父ヴァルター・A・クロウ宛ての人事異動通知を預かった。

その内容は、父を長年の教官職から兵器開発局へ異動させ、空いた実技訓練教官の職へ息子レイブンを配置するというものだった。

予想外の命令に驚きながらも、レイブンはガイルの過去とルナの気持ちを思い返し、教官として人を育てることの意味を考え始めていた。

そして、父への辞令と自分への任命通知を鞄へ収めた彼は、クロウ中央駅へ到着した。

この人事異動が、レイブン自身だけでなく、軍への志願を考え始めたルナの未来にも深く関わることになるとは、まだ誰も知らなかった。

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