第111話 戦友の告白、帰らなかった父の背中
第111話 戦友の告白、帰らなかった父の背中
帝政歴347年11月14日、午前8時12分。
帝国軍中央特別編成基地、第一庁舎。
夜明け前から降り続いていた小雨は、レイブン・S・クロウ軍曹が基地へ到着する頃には止んでいた。灰色の雲の隙間から朝日が差し込み、濡れた駐車場には軍用車両の影が長く伸びている。正門では警備兵が通行証を確認し、庁舎前では整備兵たちが輸送車両の点検を進めていた。
レイブンは受付で出頭手続きを済ませると、指定された会議室へ向かった。
昨夜、クロウ家本邸で眠っているルナの枕元に手紙を残した後、彼は短い仮眠を取って基地へ戻っていた。
妹との喧嘩は、まだ解決していない。
しかし、エリシアが間に入ってくれることになった。
ルナ自身が何を考え、どのような道を選ぼうとしているのか。まずは彼女の話を聞いてほしいと、レイブンは婚約者に頼んでいた。
今朝も、出発前にルナの部屋を覗こうか迷った。
けれど、ようやく眠れた妹を起こすことはできず、結局、手紙を残したまま屋敷を後にした。
その判断が正しかったのか、まだ分からなかった。
「……仕事に集中しろ、俺」
レイブンは小さく呟き、会議室の扉を叩いた。
「クロウ軍曹、入ります」
「入れ」
室内には、帝国軍と連邦共和国軍の関係者が既に集まっていた。
帝国軍側の技術調査責任者、オットー・ハルトマン大尉。共和国軍側の技術調査官、ナターリヤ・ソコロワ中尉。さらに情報部門の将校や工兵部隊の担当者が席に着いている。
中央の大型机には、ヴァルトハイム旧貨物駅の見取り図と、第二保管区画の外扉を撮影した写真が並べられていた。
レイブンは指定された席へ着き、資料を開いた。
会議の議題は、旧貨物駅で確認された原因不明の発光現象と、ヴァルターが異界から持ち帰った物体との関連性だった。
現時点では、両者の関係を示す確実な証拠はない。
だが、青白い発光、類似した紋様、そして父の義肢に生じた原因不明の反応が、調査の必要性を高めていた。
午前8時30分。
「それでは、会議を始める」
ハルトマン大尉の声とともに、室内が静まった。
レイブンは姿勢を正した。
まず、ヴァルトハイム旧貨物駅での調査経過が確認された。
第二保管区画の扉は、依然として封鎖されたままだった。
未知の配線や設備が残されている可能性があり、無理な開扉は許可されていない。
共和国軍側から提出された記録にも、保管物資の正確な内容は記されていなかった。
「……クロウ軍曹」
ハルトマン大尉が顔を上げた。
「君の父親、ヴァルター・A・クロウ氏から聞き取った内容について説明してもらいたい」
「了解しました」
レイブンは立ち上がり、持参した資料を開いた。
「父が異界へ迷い込んだのは、私が生まれる以前のことです。当時、帝国軍の調査任務中に原因不明の空間異常へ遭遇し、異界側へ移動したと証言しています」
彼は、父から聞いた内容を順序立てて説明した。
異界の空。
黒い岩石地帯。
巨大な人工構造物。
青白い光を放つ設備。
そして、そこで発見した掌ほどの黒い多面体。
「父は、その物体を私的に《境界晶》と呼んでいます。ただし、これは正式な物質名ではありません。性質や用途についても、現段階では不明です」
ソコロワ中尉が手を挙げた。
「その物体は、現在どこに保管されていますか?」
「クロウ家本邸です。父が施錠した保管箱で管理しています」
「軍の研究施設へ移送する予定は?」
「現段階ではありません。父本人の証言確認と、専門機関による安全評価が必要だと考えています」
ハルトマン大尉が頷いた。
「妥当な判断だ。未知の物体を不用意に移送するべきではない」
レイブンは続けた。
「また、父の右腕義肢には、その物体を研究する過程で得られた技術が一部応用されています。ただし、境界晶そのものが義肢へ組み込まれているわけではありません」
ソコロワ中尉は資料へ目を落とした。
「義肢の反応と、旧貨物駅の発光現象との関係は?」
「不明です」
レイブンは、はっきりと答えた。
「父は、私が旧貨物駅の現象を説明した際に義肢の異常な反応を感じたと証言しています。しかし、それが発光現象と直接関係するのか、偶然なのかは確認されていません」
ハルトマン大尉は、静かに頷いた。
「憶測と事実を分けている点は評価できる」
レイブンは、軽く敬礼して着席した。
その後も会議は続いた。
旧貨物駅の第二保管区画については、専門工兵による安全確認を優先し、開扉の可否は追加調査の結果を待って判断することになった。
境界晶についても、ヴァルター本人への正式な聞き取りと、保管状況の確認を先行させる方針が示された。
午前10時56分。
会議が終了した。
レイブンは資料をまとめ、椅子から立ち上がった。
「クロウ軍曹」
ハルトマン大尉が声を掛けた。
「父君への連絡は、君を通じて行っても構わないか?」
「はい。ただし、正式な調査依頼については軍の所定手続きをお願いします」
「承知した」
レイブンは敬礼し、会議室を後にした。
廊下へ出ると、基地特有の乾いた空気が頬を撫でた。
遠くから訓練部隊の号令が聞こえてくる。
彼は、壁際で一度立ち止まった。
軍務に関する報告は終わった。
少なくとも、今のところ重大な判断ミスはなかったはずだった。
しかし、胸の奥に残っている問題は別にあった。
妹との喧嘩。
レイブンは通信端末を取り出した。
エリシアから短い連絡が届いていた。
《ルナちゃんは朝食を食べたわ。今は私と一緒に、志願兵学校の資料を見ているところ。心配しないで》
レイブンは、安堵したように息を吐いた。
「……よかった」
その時だった。
「おーい、レイブン!」
聞き慣れた声が廊下に響いた。
振り返ると、少し離れた場所からガイル・ベッカーが歩いてきた。
帝国軍の野戦服を着た犬系亜人の青年は、いつものように片手を上げている。
「何だよ、その顔。会議で絞られたのか?」
レイブンは苦笑した。
「……違うよ」
「じゃあ、何だ? 朝飯でも抜いたか?」
「……それも違う」
ガイルは、レイブンの顔をじっと見た。
そして、少しだけ眉を寄せた。
「……お前、何かあっただろ」
レイブンは、思わず視線を逸らした。
「……別に」
「嘘つけ」
ガイルは、即座に答えた。
「お前がそう言う時は、大体何かある」
レイブンは、静かに息を吐いた。
「……分かる?」
「何年の付き合いだと思ってんだよ」
ガイルは笑った。
「志願兵学校の頃から一緒なんだぞ」
レイブンは、少しだけ口元を緩めた。
「……そうだったね」
ガイルは、廊下の奥へ視線を向けた。
「休憩室、空いてるぞ。少し話すか?」
レイブンは、しばらく考えた。
そして、静かに頷いた。
「……うん」
午前11時08分。
帝国軍中央特別編成基地、第二休憩室。
室内には、古い木製の机と数脚の椅子が置かれていた。
窓の外では、訓練場を横切る兵士たちの姿が見える。
ガイルは飲み物を二つ用意し、一つをレイブンの前へ置いた。
「ほら」
「……ありがとう」
二人は向かい合って座った。
ガイルは椅子の背もたれへ身体を預けた。
「で?」
レイブンは、カップを両手で包んだ。
「……妹と喧嘩した」
ガイルの動きが止まった。
「……は?」
「ルナと」
ガイルは、しばらくレイブンを見つめていた。
そして、思わず吹き出した。
「お前が!? ルナちゃんと!?」
レイブンは、少しだけ眉を寄せた。
「……そんなに変?」
「いや、変っていうか……」
ガイルは笑いをこらえながら続けた。
「お前ら、あんなに仲良かったじゃねえか。ルナちゃんなんか、昔からお前の後ろをくっついて歩いてただろ」
「……うん」
「それが喧嘩って、何があったんだよ」
レイブンは、少しだけ目を伏せた。
「……ルナが、軍に入りたいって言い出した」
ガイルの笑顔が消えた。
「……軍に?」
「うん」
レイブンは、昨夜の出来事を話し始めた。
ルナが帝国軍への志願を希望したこと。
兄のようになりたいと言ったこと。
志願理由を尋ねたものの、具体的な答えが返ってこなかったこと。
そして、問い詰めるうちに言い争いとなり、最後には妹から「大嫌い」と言われたこと。
ガイルは、途中で一度も口を挟まなかった。
普段なら冗談を交えて話を聞く男だったが、今は違った。
レイブンが話し終えると、ガイルは静かにカップを置いた。
「……なるほどな」
レイブンは、苦笑した。
「……情けないだろ」
ガイルは、すぐには答えなかった。
そして、窓の外へ視線を向けた。
「……レイブン」
「……何?」
「俺の親父の話、したことあったっけ?」
レイブンは、少し考えた。
「……軍人だったってことは聞いた。でも、詳しくは」
ガイルは、静かに頷いた。
「そうか」
彼は、しばらく黙っていた。
いつもの軽い口調は、そこにはなかった。
「……俺の親父も、帝国軍の兵士だった」
レイブンは、静かに聞いていた。
「家じゃ、そんなに喋る人じゃなかったな。帰ってきても、まず装備を片づけて、それから母さんに『ただいま』って言うような人だった」
ガイルは、少しだけ笑った。
「でも、休みの日はよく遊んでくれた。俺が小さい頃なんか、庭で木の棒を振り回してたら、親父が相手してくれてさ」
レイブンは、穏やかに微笑んだ。
「……いいお父さんだったんだね」
「ああ」
ガイルは、静かに頷いた。
「……いい親父だった」
その声が、少しだけ低くなった。
「でも、ある日、帰ってこなくなった」
レイブンの表情が変わった。
ガイルは、窓の外を見つめたまま続けた。
「戦死したんだ」
室内が静まり返った。
遠くから、訓練場の号令が聞こえてくる。
ガイルは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……俺、あの日のこと、今でも覚えてる」
レイブンは、何も言わなかった。
「母さんが玄関で軍の人と話しててさ。俺は何が起きたのか分からなくて、ただ親父が帰ってこないってことだけ聞かされた」
ガイルは、カップへ視線を落とした。
「最初は信じなかった。だって、親父はいつも帰ってきてたからな」
彼は、少しだけ苦笑した。
「遅くなっても、怪我してても、必ず帰ってきた。だから、今回も帰ってくると思ってた」
レイブンは、静かに息を吐いた。
「……ガイル」
「でも、帰ってこなかった」
ガイルは、ゆっくりと目を閉じた。
「……それだけだった」
しばらくの沈黙が流れた。
レイブンは、初めて見る戦友の表情に戸惑っていた。
ガイルは、普段から明るく、冗談を言って仲間を笑わせる男だった。
どれほど厳しい戦況でも、軽口を叩きながら周囲の緊張を和らげる。
そんな彼が、今は静かに過去を語っていた。
ガイルは、ゆっくりと目を開けた。
「……俺さ」
「……うん」
「親父が死んだ後、ずっと思ってたんだ」
彼は、レイブンを見た。
「……俺がもっと強かったら、親父を助けられたんじゃないかって」
レイブンは、息を止めた。
「……そんな」
「分かってるよ」
ガイルは、静かに笑った。
「子供だった俺に、何ができたって話だ」
しかし、その笑顔には寂しさがあった。
「でもな、そういう理屈じゃねえんだよ」
レイブンは、何も言えなかった。
ガイルは続けた。
「家で待ってるだけって、結構きついんだ」
その言葉に、レイブンの胸が小さく痛んだ。
「親父が戦場にいる間、俺は毎日、帰ってくるのを待ってた。新聞に軍の損害が載ってたら、親父の部隊じゃないかって心配した。軍の車が家の前に止まるだけで、何か悪い知らせが来たんじゃないかって思った」
ガイルは、静かに息を吐いた。
「……でも、何もできなかった」
レイブンは、昨夜のルナの言葉を思い出した。
兄さんが戦場にいる間、私たちは待つことしかできなかった。
その言葉が、今になって違う重さを持って胸へ響いた。
ガイルは、少しだけ顔を上げた。
「だから、俺も軍に入りたいって思ったんだ」
レイブンは、驚いたように戦友を見た。
「……お父さんのために?」
「ああ。最初はな」
ガイルは、静かに頷いた。
「親父みたいに強くなりたかった。誰かを守れる人間になりたかった。もう二度と、何もできずに待つだけの自分でいたくなかった」
レイブンは、言葉を失った。
それは、ルナが口にした志願理由とよく似ていた。
兄のように強くなりたい。
誰かを助けたい。
もう、ただ待っているだけなのは嫌だ。
レイブンは、ゆっくりと目を伏せた。
ガイルは、静かに続けた。
「でも、志願兵学校に入ってから分かったんだ」
「……何が?」
「軍人になるって、親父の後を追うだけじゃ駄目なんだってこと」
ガイルは、少しだけ笑った。
「訓練はきつかったし、教官には怒鳴られるし、お前らには置いていかれるしな」
レイブンは、わずかに口元を緩めた。
「……そんなことなかったよ」
「いや、あったって」
ガイルは、少しだけ肩をすくめた。
「でも、そこで仲間ができた。自分が何をしたいのかも、少しずつ分かってきた」
彼は、レイブンをまっすぐに見た。
「……最初から立派な志願理由を持ってる奴ばかりじゃねえんだよ」
レイブンは、静かに息を呑んだ。
ガイルは続けた。
「もちろん、軍に入るなら覚悟は必要だ。適性もあるし、訓練もある。誰でも好き勝手に入っていいわけじゃねえ」
彼は、少しだけ声を落とした。
「でも、何かを守りたいって気持ちが、最初の理由でもいいんじゃねえか?」
レイブンは、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
ガイルは、カップを持ち上げた。
「ルナちゃんだって、今から考えていけばいいんだろ」
レイブンは、静かに目を閉じた。
昨夜の自分の言葉が、頭の中で繰り返された。
軍に入って何をしたいのか。
誰と戦うのか。
なぜ軍でなければならないのか。
それらは、確かに大切な問いだった。
しかし、自分は妹の答えを待っていなかった。
答えられないことを、未熟さの証拠として扱ってしまった。
そして、妹が抱えていた恐怖や寂しさを、理解しようとしなかった。
「……俺、軍曹として話してたんだな」
レイブンは、小さく呟いた。
ガイルは、静かに頷いた。
「……多分な」
レイブンは、両手を見つめた。
「部下に志願理由を確認するみたいに、ルナへ質問してた」
ガイルは、何も言わなかった。
「……あいつは、俺の部下じゃないのに」
レイブンの声が、少しだけ震えた。
「ただ、兄さんに話を聞いてほしかっただけなのに」
ガイルは、静かにカップを置いた。
「……レイブン」
「……うん」
「お前がルナちゃんを心配する気持ちは、分かるよ」
ガイルは、穏やかに続けた。
「でも、心配だからって、相手の気持ちまで決めつけちゃ駄目なんだろうな」
レイブンは、静かに頷いた。
「……そうだね」
ガイルは、少しだけ笑った。
「俺だって、親父が生きてたら軍に入るなって言われたかもしれねえ」
レイブンは顔を上げた。
「……そう思う?」
「ああ。多分、反対されたと思う」
ガイルは、窓の外へ視線を向けた。
「でも、最後には俺の話を聞いてくれたと思うんだ」
レイブンは、静かに聞いていた。
「……そういう親父だったから」
その言葉には、深い懐かしさが込められていた。
午前11時46分。
休憩室には、穏やかな沈黙が流れていた。
レイブンは、冷めかけた飲み物を口にした。
ガイルの話を聞いて、ようやく理解できた気がした。
ルナが軍に入りたいと言った理由。
兄のように強くなりたいという言葉の裏にあったもの。
そして、待つ側が抱える恐怖。
それらは、単なる憧れではなかった。
自分が大切な人を失うかもしれないという恐怖から生まれた、切実な願いだった。
レイブンは、静かに息を吐いた。
「……ガイル」
「ん?」
「話してくれて、ありがとう」
ガイルは、少しだけ照れくさそうに笑った。
「……別に、大した話じゃねえよ」
「いや」
レイブンは、まっすぐに戦友を見た。
「俺には、必要な話だった」
ガイルは、しばらく黙っていた。
そして、穏やかに頷いた。
「……そっか」
レイブンは、通信端末を取り出した。
エリシアからの連絡を、もう一度読み返す。
《ルナちゃんは朝食を食べたわ。今は私と一緒に、志願兵学校の資料を見ているところ。心配しないで》
彼は、静かに微笑んだ。
「……ルナ、頑張ってるんだな」
ガイルは、少しだけ首を傾げた。
「妹ちゃん?」
「うん」
レイブンは頷いた。
「今、エリシアが話を聞いてくれてる」
ガイルは、納得したように笑った。
「なるほどな。そりゃ安心だ」
レイブンは、少しだけ苦笑した。
「……俺より、ずっと上手に話を聞いてくれるから」
「そりゃそうだろ」
ガイルは、いつもの調子で笑った。
「お前、戦場じゃ冷静なのに、家族のことになるとすぐ熱くなるからな」
レイブンは、少しだけ眉を寄せた。
「……そんなに?」
「かなり」
ガイルは、即答した。
レイブンは、思わず笑った。
「……ひどいな」
「事実だろ?」
二人の間に、久しぶりに軽い笑い声が戻った。
しかし、レイブンの胸には、ガイルの言葉が深く残っていた。
待つ側の恐怖。
大切な人を失うかもしれない不安。
そして、何もできない自分への悔しさ。
それらを理解せずに、妹の志願理由を否定してしまったことを、彼は深く悔いていた。
午後0時03分。
帝国軍中央特別編成基地、第二休憩室前。
レイブンとガイルは、休憩室を出た。
廊下には、昼食へ向かう兵士たちの姿が増えていた。
ガイルは、軽く伸びをした。
「さて、俺は午後の訓練に戻るかな」
レイブンは頷いた。
「……うん」
ガイルは、少し歩いてから振り返った。
「レイブン」
「何?」
「ルナちゃんに、ちゃんと謝れよ」
レイブンは、静かに微笑んだ。
「……もちろん」
ガイルは、少しだけ真剣な表情になった。
「それと、もしルナちゃんが本当に軍へ入りたいって決めたら……」
レイブンは、黙って聞いていた。
「今度は、兄として応援してやれよ」
レイブンは、しばらく考えた。
そして、静かに頷いた。
「……うん」
ガイルは、満足そうに笑った。
「よし。それでこそレイブンだ」
彼は片手を上げ、廊下の向こうへ歩いていった。
レイブンは、その背中を見送った。
普段は冗談ばかり言っている戦友。
しかし、その胸には、自分が知らなかった悲しみがあった。
父を失った少年が、何もできずに待つ苦しさを知り、やがて軍人になった。
その過去を聞いた今、レイブンにはルナの言葉が以前とは違って聞こえていた。
兄さんみたいになりたい。
もう、ただ待っているだけなのは嫌だ。
レイブンは、静かに目を閉じた。
「……ごめんな、ルナ」
小さく呟いた。
そして、通信端末を開いた。
エリシアへ短い文章を送る。
《ガイルと話した。ルナの気持ちが、少し分かった気がする》
《俺が帰ったら、今度こそちゃんと話を聞く》
送信を終えると、レイブンは端末をしまった。
その表情には、朝よりも少しだけ落ち着きが戻っていた。
帝政歴347年11月14日。
レイブン・S・クロウ軍曹は、旧貨物駅と《境界晶》に関する会議を終えた後、戦友ガイル・ベッカーと再会した。
妹ルナとの喧嘩について打ち明けたレイブンに対し、ガイルは戦死した父の思い出と、何もできずに帰還を待ち続けた少年時代の苦しさを語った。
その告白は、レイブンに大きな気づきを与えた。
軍曹としての正しさを妹へ押しつけるのではなく、兄として彼女の気持ちを受け止めること。
それこそが、今の自分に必要なことだった。
レイブンは、妹が自分自身の道を選ぶ日が来たなら、その決意を尊重しようと心に決めた。
そして、帰らなかった父の背中を追い続けたガイルの言葉は、レイブンの胸に長く残ることになった。




