第106話 兄の背中、妹の決意
第106話 兄の背中、妹の決意
帝政歴347年11月12日、午後9時18分。
帝国領中央部、クロウ家本邸。
父ヴァルター・A・クロウの書斎を後にしたレイブンは、二階の廊下をゆっくりと歩いていた。窓の外では冷たい雨が降り始め、庭園の木々が夜風に揺れている。右手には父から預かった古い手帳の写しが握られていた。
異界へ迷い込んだ父が、そこで何を見て、どのように右腕を失い、何を持ち帰ったのか。長年知らなかった事実を聞かされたばかりのレイブンには、まだ整理しきれないことが多かった。
ヴァルトハイム旧貨物駅の第二保管区画で発見された青白い発光現象と、父が持ち帰った《境界晶》との関係。異界の施設に刻まれていた紋様。そして、父の右腕を動かす魔力伝達技術。
それらは明日以降、軍の専門機関へ報告しなければならない。
しかし、今夜のレイブンには、もう一つ気になっていることがあった。
書斎を出る直前、父が何気なく口にした言葉だった。
「……家族に会えなくなることが、一番怖かった」
レイブンは、その言葉を思い返した。
自分も何度か、帰れないかもしれないと思ったことがある。泥に沈む塹壕で、砲撃を受けた市街地で、異界軍と対峙した海岸線で。
そのたびに、家族の顔を思い出した。
父と母、そして妹のルナ。
彼らが待つ家へ帰ることは、戦場で生き延びる理由の一つだった。
レイブンは手帳の写しを胸元へ寄せ、階段を下りた。
午後9時23分。
クロウ家本邸、一階居間。
暖炉の火が穏やかに燃えていた。
セレナはソファで刺繍をしており、ヴァルターは書斎から持ってきた本を片手に、窓際の椅子へ腰を下ろしている。
その向かいには、ルナ・V・クロウが座っていた。
普段なら兄の姿を見るなり駆け寄ってくる妹だったが、今夜は違った。
背筋を伸ばし、両手を膝の上に置いている。
黒い猫耳も、いつになく緊張したように立っていた。
「……兄さん」
レイブンは顔を上げた。
「どうしたの、ルナ?」
ルナは一度だけ父と母を見てから、兄へ視線を戻した。
「……話があるの」
「話?」
「うん。ちゃんと聞いてほしい」
その真剣な声に、レイブンは少し驚いた。
「分かった」
彼は向かいのソファへ腰を下ろした。
「何でも聞くよ」
ルナは小さく息を吸った。
そして、意を決したように口を開いた。
「……私、軍に入りたい」
レイブンの表情が止まった。
「……え?」
「帝国軍に志願したいの」
暖炉の薪が、小さく音を立てて崩れた。
レイブンは、しばらく妹の顔を見つめていた。
ルナは今年の六月に十六歳になったばかりだった。
帝国では満十六歳を迎えれば、所定の条件を満たした者に志願資格が認められる。年齢だけを理由に、妹の希望を否定することはできない。
それはレイブン自身がよく知っている制度だった。
しかし、実際に妹の口からその言葉を聞くと、すぐには返事ができなかった。
「……軍に?」
「うん」
「本気で言ってる?」
ルナは、少しだけ眉を寄せた。
「本気だよ」
レイブンは、静かに息を吐いた。
「……どうして?」
ルナは、待っていた質問だと言わんばかりに顔を上げた。
「兄さんみたいになりたいから!」
レイブンは黙っていた。
ルナは続けた。
「兄さんって、すごいでしょ? 学校でも優秀だったし、戦争でも活躍して、今は部隊長まで任されてる」
「……それは」
「私も兄さんみたいに強くなりたい。困ってる人を助けたり、みんなに頼られたりしたいの」
ルナは、少し照れたように笑った。
「それに、軍服も格好いいし」
レイブンは、その笑顔を見つめた。
妹が自分に憧れてくれていることは、嬉しかった。
しかし、胸の奥には別の感情が生まれていた。
「……ルナ」
「何?」
「それだけ?」
ルナの笑顔が、少しだけ薄れた。
「……え?」
「志願したい理由は、それだけなの?」
ルナは首を傾げた。
「……だって、人を助けたいって言ったよ?」
「うん。それは聞いた」
レイブンは、できるだけ穏やかに尋ねた。
「でも、軍じゃなきゃいけない理由は?」
ルナは、口を開きかけた。
しかし、すぐに言葉が出てこなかった。
「……それは」
レイブンは続けた。
「軍に入って、何をしたいの? どんな仕事をしたいと思ってる?」
「……兄さんみたいに、戦ったり……」
「誰と?」
「……敵と」
「敵って、誰?」
ルナは黙り込んだ。
レイブンは、妹を責めるつもりではなかった。
ただ、確かめたかった。
軍人という仕事を、どこまで理解しているのか。
自分が経験してきたものを、妹がどれほど知っているのか。
「……ルナ。軍に入るって、格好いい制服を着ることじゃないんだ」
ルナの猫耳が、わずかに伏せられた。
「……分かってるよ」
「本当に?」
「分かってるってば」
レイブンは、少しだけ表情を引き締めた。
「だったら、ちゃんと考えてほしい」
午後9時31分。
居間の空気が、少しずつ変わり始めていた。
セレナは刺繍の手を止め、兄妹の様子を見守っている。
ヴァルターも本を閉じたが、まだ口を挟まなかった。
レイブンは、妹へ静かに問い掛けた。
「ルナ。もし志願して、希望していた仕事に就けなかったらどうする?」
「……え?」
「前線に行きたいと思っても、補給や整備、通信の仕事になるかもしれない。逆に、安全な場所で働きたいと思っても、危険な地域へ派遣されるかもしれない」
ルナは、少し考えた。
「……その時は、頑張る」
「何を?」
「だから、任された仕事を」
「どういう仕事か分からないのに?」
ルナは唇を結んだ。
「……兄さん、さっきから質問ばっかり」
レイブンは一度口を閉じた。
だが、ここで曖昧に終わらせることはできないと思った。
「大事なことだから聞いてるんだよ」
「私だって、ちゃんと考えたもん」
「じゃあ、教えて」
ルナは膝の上で拳を握った。
「……兄さんと同じ軍に入れば、私も何かできると思ったの」
「何かって?」
「……だから!」
ルナの声が、少し大きくなった。
「私だって、人の役に立ちたいんだよ!」
レイブンは、妹の目を見た。
「人の役に立つ仕事は、軍以外にもあるよ」
「それは分かってる!」
「だったら、どうして軍なの?」
ルナは、答えられなかった。
暖炉の火が揺れ、二人の間に沈黙が落ちた。
やがて、レイブンは静かに言った。
「……今の話を聞く限り、志願理由がまだ固まっていないように思う」
ルナの表情が変わった。
「……どういう意味?」
「兄さんみたいになりたいって気持ちは嬉しい。でも、それだけで軍に入るのは……」
「……それだけじゃないもん」
「じゃあ、何?」
ルナは顔を伏せた。
その小さな肩が、かすかに震えていた。
「……兄さんには、分からないよ」
レイブンは眉を寄せた。
「……ルナ?」
「兄さんには、私の気持ちなんて分からない!」
突然の大声に、セレナが顔を上げた。
「ルナ……」
しかし、ルナは母の声にも振り向かなかった。
午後9時38分。
ルナは勢いよく立ち上がった。
「兄さんはいいよね! 何でもできるんだから!」
レイブンは驚いて妹を見た。
「……何でもできるわけじゃないよ」
「でも、みんな兄さんのことを褒めるじゃん!」
ルナの声が震えた。
「学校でも優秀で、戦争でも活躍して、今は共和国軍の人たちまで一緒に動かしてる! 父さんも母さんも、兄さんのことを誇りに思ってる!」
「ルナ、それは……」
「私だって、何かできるようになりたいの!」
レイブンは、ようやく妹の言葉の奥にあるものへ気づき始めた。
しかし、その理解より先に、彼自身の感情が動いてしまった。
「……だからって、軍に入ればいいわけじゃない」
ルナは顔を上げた。
「……どうして?」
「軍は、自分が何者かを証明するためだけに入る場所じゃないから」
その言葉は、レイブン自身が志願兵学校で学んだことでもあった。
しかし、今のルナには違う意味で届いた。
「……じゃあ、兄さんは?」
「……え?」
「兄さんだって、最初から全部分かってたわけじゃないでしょ?」
レイブンは黙った。
「学校に入る前から、戦争の怖さも、軍の仕事も、全部知ってたの?」
「……それは」
「知らなかったんでしょ?」
ルナは、涙をこらえながら続けた。
「だったら、どうして私だけ駄目なの?」
レイブンは、静かに息を吐いた。
「……駄目だって言ってるんじゃない」
「言ってるのと同じだよ!」
「ルナ、落ち着いて」
「落ち着いてる!」
レイブンの眉が寄った。
「……大声を出さなくても聞こえるよ」
その一言に、ルナの表情がさらに険しくなった。
「兄さんが分かってくれないからでしょ!」
レイブンも、つい声を強めた。
「分かってほしいなら、ちゃんと説明してよ!」
居間が静まり返った。
セレナが立ち上がる。
「二人とも……」
しかし、レイブンは妹から目を逸らさなかった。
「俺は、ルナに危険な思いをしてほしくないんだ」
「そんなの、兄さんだって同じでしょ!」
「俺はもう軍人だから」
「だから何!?」
ルナの目に涙が浮かんだ。
「兄さんだけ危ないことをしてよくて、私は駄目なの!?」
レイブンは、言葉を詰まらせた。
妹の問いには、答えにくい部分があった。
それでも、頭に浮かぶのは戦場の光景だった。
泥にまみれた塹壕。
砲撃で崩れた建物。
助けを求める声。
そして、もう二度と帰ってこなかった兵士たち。
レイブンは、低い声で言った。
「……ルナは、戦場を知らない」
ルナは目を見開いた。
「……え?」
「人が死ぬところを見たこともない。仲間を失ったこともない。だから、そんな簡単に軍へ入りたいなんて言えるんだ」
言い終えた瞬間、レイブン自身も少しだけ後悔した。
しかし、もう言葉は戻らなかった。
ルナの表情から、怒りが消えた。
代わりに、深く傷ついたような顔になった。
「……ひどい」
レイブンは、はっとした。
「……ルナ」
「私が戦争を知らないのって、そんなに悪いことなの?」
「……違う」
「じゃあ、どうしてそんな言い方するの?」
ルナの頬を、一筋の涙が伝った。
「……私だって、兄さんが帰ってこないかもしれないって、ずっと怖かったのに」
レイブンは、何も言えなくなった。
ルナは涙を拭わずに続けた。
「兄さんが戦場にいる間、私たちは待つことしかできなかった。ニュースで帝国軍が負けたって聞くたびに、兄さんが死んじゃったんじゃないかって思って……」
声が震えた。
「……でも、兄さんは何も知らないでしょ」
レイブンは、ゆっくりと目を伏せた。
確かに、知らなかった。
自分が戦場にいる間、妹がどんな夜を過ごしていたのか。
どんな思いで帰還を待っていたのか。
そのすべてを、彼は知らなかった。
しかし、ルナの言葉はまだ終わらなかった。
「だから、私も兄さんの隣に立てるくらい強くなりたいって思ったの!」
レイブンは顔を上げた。
「……ルナ」
「もう、ただ待ってるだけなのは嫌なの!」
その声は、居間全体に響いた。
ヴァルターが、静かに椅子から立ち上がった。
「……ルナ」
しかし、ルナは父にも振り向かなかった。
レイブンは、妹の気持ちを理解し始めていた。
それでも、彼の中には譲れないものがあった。
「……でも、俺の隣に立つためだけに軍に入るなら、賛成できない」
ルナは、唇を噛んだ。
「……何で?」
「それは、ルナ自身の人生だから」
レイブンは、できるだけ落ち着こうとした。
「俺の後を追うために、危険な仕事を選んでほしくない」
「……またそれ」
ルナは、悲しそうに笑った。
「兄さんは、いつも私のことを子供扱いする」
「そんなつもりじゃ……」
「あるよ!」
ルナは、拳を握りしめた。
「私、もう十六歳だよ! 帝国では成人なんだよ!」
「分かってる」
「分かってない!」
レイブンも、とうとう感情を抑えきれなくなった。
「だったら、成人として自分の考えを説明してくれよ!」
ルナが息を呑んだ。
レイブンは続けた。
「軍に入りたいなら、俺の妹だからじゃなくて、ルナ自身が何をしたいのかを考えてほしいんだ!」
「……もういい」
ルナは、小さく呟いた。
レイブンは、聞き返した。
「……何?」
「……もういいって言ったの!」
ルナは涙を拭い、兄を睨んだ。
「兄さんなんか、大嫌い!」
その言葉が、レイブンの胸を深く刺した。
「……ルナ」
「もう、兄さんには相談しない!」
ルナは勢いよく居間を飛び出した。
廊下を走る足音が遠ざかり、階段を駆け上がる音が響いた。
やがて、二階で扉が強く閉まった。
居間には、暖炉の薪が燃える音だけが残った。
午後9時49分。
レイブンは、しばらくその場に立ち尽くしていた。
妹から「大嫌い」と言われたのは、初めてだった。
幼い頃から、ルナはいつも自分の後を追いかけてきた。
転べば泣きながら助けを求め、怖い夢を見れば寝室へやってきた。何か嬉しいことがあれば、真っ先に報告してくれた。
喧嘩らしい喧嘩など、一度もしたことがなかった。
その妹が、今夜初めて、自分を拒絶した。
「……俺、何やってるんだろう」
レイブンは、力なく呟いた。
セレナが、静かに近づいてきた。
「レイブン……」
「……ごめん、母さん」
彼は目を伏せた。
「……言い過ぎた」
セレナは、息子の肩へそっと手を置いた。
「そうね。少し、言い過ぎたと思うわ」
レイブンは、何も言わなかった。
母は続けた。
「でも、あなたがルナを心配していることも分かる」
レイブンは、静かに頷いた。
「……あいつには、あんな思いをしてほしくないんだ」
ヴァルターが、暖炉の前から口を開いた。
「……レイブン」
「父さん……」
父は、息子をまっすぐに見た。
「お前の言っていることは、間違いばかりじゃない」
レイブンは顔を上げた。
「軍へ志願する理由は、自分自身で考えるべきだ。志願した後には、本人が責任を負わなければならん」
ヴァルターは、静かに続けた。
「だがな、お前は一つ忘れている」
「……何を?」
「ルナは、お前の部下じゃない」
レイブンは、息を止めた。
ヴァルターは続けた。
「お前はさっき、妹を面接していた。答えが曖昧なら問い詰め、答えられなければ不足を指摘する。志願兵学校の教官が訓練生にするようにな」
レイブンは、ゆっくりと目を伏せた。
「……確かに」
「だが、あいつが最初に求めていたのは、入隊の許可でも適性評価でもない」
父は、静かに言った。
「……兄に、自分の話を聞いてほしかったんだ」
その言葉に、レイブンは何も返せなかった。
セレナが、穏やかに続けた。
「ルナは、あなたに憧れているのよ。でも、憧れだけじゃなくて、置いていかれるのが寂しいんだと思う」
レイブンは、妹が泣きながら叫んだ言葉を思い出した。
もう、ただ待っているだけなのは嫌だ。
あれは、単なる志願理由ではなかった。
妹がずっと抱えていた、不安と寂しさだった。
レイブンは、両手を握りしめた。
「……俺、全然気づいてなかった」
ヴァルターは、静かに頷いた。
「それが分かったなら、次はどうするかだ」
レイブンは、階段の方を見た。
「……謝ってくる」
しかし、セレナが優しく首を横に振った。
「今夜は、少し時間をあげましょう」
「……でも」
「ルナも、あなたも、まだ気持ちが落ち着いていないわ」
レイブンは、しばらく考えた。
そして、静かに頷いた。
「……分かった」
午後10時16分。
クロウ家本邸、二階廊下。
レイブンは、自室へ戻る途中で足を止めた。
目の前には、ルナの部屋の扉があった。
扉の下から、細い光が漏れている。
中にいるのは分かっていた。
彼は、そっと手を上げた。
しかし、扉を叩くことができなかった。
何と言えばいいのか、分からなかったからだ。
ごめん。
その一言だけなら、すぐに言える。
だが、自分が何を間違えたのかを理解しないまま謝っても、妹をさらに傷つけるだけかもしれない。
レイブンは、ゆっくりと手を下ろした。
「……ルナ」
小さく名前を呼んだ。
返事はなかった。
しばらくして、部屋の中からかすかな物音が聞こえた。
何かを机へ置く音だった。
レイブンは、静かに息を吐いた。
「……おやすみ」
それだけ告げて、自室へ向かった。
扉の向こうで、ルナは兄の足音が遠ざかるのを聞いていた。
彼女は机に向かい、開いたままのノートを見つめていた。
表紙には、自分の字でこう書かれている。
《帝国軍志願兵学校について》
ノートには、入学資格や試験内容、必要な書類について調べたことが書き込まれていた。
しかし、志願理由を書く欄だけは、まだ白紙だった。
ルナは、その空白を見つめた。
「……ちゃんと、考えてるもん」
小さく呟いた声が震えた。
彼女は鉛筆を握り直したが、何も書けなかった。
兄の言葉が、何度も頭の中で繰り返されていた。
軍に入りたい理由は、それだけなのか。
何をしたいのか。
誰と戦うつもりなのか。
どれも、答えられなかった。
それが悔しかった。
兄に否定されたこと以上に、自分自身が何も答えられなかったことが悔しかった。
ルナは、袖で涙を拭った。
「……兄さんの馬鹿」
そう呟きながらも、彼女はノートを閉じなかった。
午後10時38分。
クロウ家本邸、レイブンの自室。
レイブンは、机に置いた軍務資料を見つめていた。
旧貨物駅の調査報告書。
父から聞いた異界の話。
境界晶に関する記録。
どれも重要なものだった。
しかし、今夜は文字が頭に入ってこなかった。
レイブンは椅子の背もたれに身体を預け、天井を見上げた。
「……初めてだな」
妹と本気で言い争ったのは、初めてだった。
彼は、戦場で多くの困難を経験してきた。
敵の攻撃を受けても、仲間が倒れても、次に何をすべきかを考えてきた。
だが、妹との喧嘩には、作戦も手順書もなかった。
どうすれば正解なのか、分からなかった。
レイブンは、ゆっくりと目を閉じた。
そして、父が書斎で話していた言葉を思い出した。
帰ってくることも任務の一つだ。
自分は、帰ってきた。
だが、帰ってきた家で、守りたいと思っていた妹を傷つけてしまった。
「……何やってるんだ、俺」
彼は、静かに息を吐いた。
窓の外では、雨が降り続いていた。
その夜、クロウ家の兄妹は、初めて互いに背を向けたまま眠りにつくことになった。
帝政歴347年11月12日。
ルナ・V・クロウは、兄レイブン・S・クロウへ帝国軍への志願希望を打ち明けた。
しかし、兄への憧れと、ただ待ち続けることへの不安を十分に言葉にできなかったルナと、妹を戦場へ送りたくないレイブンの思いは、すれ違ってしまった。
軍人として正しいことを言おうとした兄。
一人の大人として認めてほしかった妹。
どちらも相手を大切に思っていた。
それでも、言葉は互いを傷つけた。
クロウ家で初めて起きた兄妹喧嘩は、二人の心に小さくない傷を残した。
そして、ルナが軍人を志す本当の理由を見つけるまでには、まだ少し時間が必要だった。




