エースの誕生 その14
そして数時間後、俺は自室で目を覚まして身支度を整えた。
固い決意を胸に家を出る。
見上げると曇天。
今にも雪が降り出しそうだ。
寺に近づくと、敷地の端にあの男がいる。
役場の男は、余慶が張っているであろう寺の結界内にいるように見えた。
少し訝しく思ったが、合流が先だと思い足を進める。
近づくとあちらも俺に気がつき、こちらに向かって歩いてきた。
「やあ、少しは眠れた?」
「はい……今、敷地の中でしたよね?」
「ん? そんな事はないよ。見つかってしまうからね。敷地に入ったら一気に攻めるよ。門を閉ざされる前にね」
嘘をついているような顔には見えない。
どうやら気のせいだったようだ。ぎりぎり外にいたんだな。
薄い膜の内側にいるように見えたのは、背景に馴染んでいただけで目の錯覚か。
「それよりも、あと数歩で結界内部に入るよ。入ったら走るから、頑張って着いてきて」
「はい……結界、あなたも見えるんですね」
俺だけじゃないのかと、少し嬉しくなった。
同じ視界を共有できる、しかも敵ではない人など、本当に久しぶりだ。
「それじゃ、いくよ!」
ダッと駆け出す役場の男。俺もそれに続いた。
門は少し先に見えていて、閉まる気配はなかった。2人で門を潜り前庭に出る。催事があるはずなのにここには誰もいない事を疑問に思う。
役場の男に声をかけようとして口を開いたが、言葉を発する前に背後の音に気を取られる。
門が閉まろうとしていた。
振り返った俺は、門を背に立つ余慶を見た。
「いらっしゃい、武蔵くん」
にたりと笑う顔は醜悪な狂気に満ちている。門に大きな閂が降ろされた。
焦りを顔に出さないように言った。
「母を返してもらおうか」
「それは君次第だね」
余慶がそう言い終わらないうちに、俺は背後から両腕を絡め取られた。首を捻って見ると役場の男が俺の動きを封じている。
「な、にを……」
何をしているのかと問いかけたかったが、余慶が用意していた罠にかかったことを悟ってそれ以上言葉がでなかった。愕然としていると余慶は愉快そうに笑い始めた。
「ほんと、君ってバカだよねぇ。その男がお母さんを知ってるのを、全く疑問に思わなかったのかい?」
それに気づいたのはほんの数秒前だ。
冷静だと思っていたが、焦りから状況分析もできていなかったらしい。
「母はここにいるのか?」
努めて静かな声を心がけた。
門の前から移動してきた余慶は、動けない俺に顔を近づけて小さな声で告げる。
「いるよ。昨日から泊まり込みで催事のお手伝いだ」
上体を起こすと天を仰いで、やれやれと首を振りながら、額に片手を置きながら続ける。
「君の結界はなかなか厄介だね。どうにも頑丈で面倒だ。でも、まぁ……あと1日もあれば突破できそうだよ。お母さんは人並みのようだけど、まぁ養分にはなるね」
母が危険な事には変わりないのか。騙されなかっとしてもここに来る事は避けられなかった。
それならば、俺には選択肢なんてなかったんだ。
朝、あのまま乗り込んでいたら金属バットくらいはあったのに。
先に余慶が手をあげたとしても、誰もそんな事信じない。
目撃者がいたとしても、誤魔化されてしまう可能性大だ。
どうせそうなるなら、身の安全のためにバットくらい持ちたかった。
この男はそのために配置されていたのか。
それとも俺の監視役?
どちらにせよ、継続して操られているらしい。
「さて、武蔵くん。そろそろ観念したらどうだい? 私に喰われるか、右手になるか、心は決まったかな?」
どっちも願い下げだ。
「それとも、ここで決着と洒落込もうか? 2対1でどこまで頑張れるかな」
ふふふと楽しそうに笑う余慶に、俺は何も返すことが出来なかった。
まだ覚悟が決まってなかったからだ。
犯罪者になってでも抗う覚悟が。
余慶を殺して、役場の男も巻き込んで、それで村が救えるか?
母は助かるが、この村には居れなくなるだろう。
そして息子が犯罪者となった事を嘆き暮らすのだろうか。
もう、何度この自問自答をしただろう。
答えが出ないまま、こんな場面になってしまった。
余慶の手が俺の殻に手をかけるその瞬間まで、決まらないような気がする。
本能が容認するか、拒否するか。
俺は、どっちだ。
決められない俺に、余慶が近づいてくる。
思考が思うように進まない。
何も、考えられない……
「きゃ……」
ふいにどさりと何かが落ちたような音と、女の声が聞こえた。
門のほうからだ。
余慶が訝しげな顔をして門の方に首を捻るから、予定外の客でも来たのかと俺もそちらを見た。
巻毛で高身長の男と、黒髪に白いワンピースの女の後頭部。2人はバランスでも崩したのか、グラグラしながら体勢を立て直しているようだ。
ふと、男は女を片手で抱きかかえたまま体勢を整え、こちらをじっと見ている。ややして、周辺を観察し、遠くの山に目を向けると女を解放して、その裾に付いた土と枯れ草を払っていた。
「随分禍々しい寺だな」
「ここはあの子を助けた……」
上空を見渡していた女は男を手招きした。腰を折った男の耳に、何事かを囁く。
あの少女に似ている気がしたが、その肩にはなにも乗っておらず、側面に僅かばかりか覗く頬は、ふっくらとして艶やかだ。青くもカサカサもしていない。
「なるほど。じゃあ、その現場に飛ばされたのか」
こくりと頷く女。男はその頷きを確認すると、こちらを一瞥してから電話をかけはじめた。
「あ、若月。しばらく戻れそうにない。電波弱いな。もしもし、聞こえてるか? もしもーし。とりあえず、すぐには戻れないから後よろしく」
男を見上げた女の後頭部が、こくこくと頷いていた。
「あぁ、飛ばされた。冬香の話じゃ、ヤバイ奴がいる場所らしい。どっかの山奥ってくらいしか情報ないから、なんとも言えない」
女は聞き耳を立てているようで、今は男を見上げたままじっとしている。
通話が終わったようだ。女から言葉が発せられる。
「撮影の見学、したかったな……」
しゅんと下を向いているようだ。
「またいつでもチャンスあるからな」
女の頭に置かれた手が、優しく左右するのを、羽交い締めにされたまま見ている。
不思議なことに余慶も何も言わず、ただその2人を見守っていた。
「さて、それじゃ冬香を虐めた奴はどいつだ?」
「虐められてなんか……」
その言葉を合図に、女が振り返る。
滑らかな黒髪がたなびき、愛らしい少女の顔が現れた。最初に見た時の、あの顔だ。
成長しているが、口元を覆う呪いが消えている。肩の怨霊もいなくなった。
余慶のように入り込んでいるのではなく、除去されたのだと思う。
よかった。
助けられたんだ。
後ろの男に? 電話の相手に?
「君達は、なんだ」
余慶の声には余裕がなかった。初めて聞くような声音だ。
「何って通りすがりの……えーっと、この場合、何が効果的?」
男は少女を上から覗き込んで問う。キスしそうな距離だな。
「霊能力者? エスパー? エクソシストとかかっこいいかな。どう思う?」
少女は首を傾げて考え、ややして逆に首を傾げて答えた。
「そんな怪しい肩書きが効果あるのですか? 神宝の一当主で良いのでは……」
どうだろうとのんびり答える男。余慶が息を呑んだのと同時に、少女がこちらに目を向けてにっこり微笑んだ。
桜色の唇が魅力的だ。あの恐ろしげなモノはいない。しかも強そうな男まで連れている。俺の味方って訳じゃないだろうが、妙な安堵感があった。
「肩の奴、やっつけたんだな。口の呪いも。よかった」




