44.
私たちはその後大した会話も無く飲み物を静かに味わっていた。
気になるのはレインがカップに唇を触れる度に微妙な表情を浮かべていることだ。
(お気に入りでは無かったのかしら?)
そう考えている内にお茶はカップの底を少し濡らす程度になった。
レインも大体飲み終えたようで改めて私たちは視線を合わせる。
唐突に彼女が悪戯っぽくウィンクをした。
「何を考えているか当ててみてもいいかな?」
予想外の質問をされ若干驚きながらも頷く。
「構わないわ」
「この人、お気に入りって言う割には不味そうに飲んでるわね……とか?」
図星だ。
私が言葉で判定を下す前にレインは当たったと楽し気に笑った。
「私ってそんなにわかりやすいかしら……」
「いやわかりやすいのは私の方だね。このハーブティーの風味は何年経っても慣れない」
だからいつも飲むのに勇気が要るのさ。そう告げるレインに私は首を傾げた。
「でもお気に入りなのでしょう?」
「そうだね。厳密にいえばお気に入りというより若干の依存……ライトに言えば頼りにしているって感じだ」
「頼りに?」
「このお茶を飲んでから私に会うまで抱えていた不安や悲観は軽減したのでは?」
そう尋ねられて私はハッとする。
確かに先程までの言葉にするのが難しい不安や焦燥は感じ取れなくなっていた。
「……だからレイン先生はこのお茶がお気に入りなの?」
「そうだね。十年以上お世話になっている。いい加減舌も慣れてくれれば良いのにね」
「そんなに……飲み始めた理由を伺っても?」
私から質問するとレインは良いよとあっさり答えた。
「このお茶は私が男装を始めて少ししてから飲み始めたんだ」
「男装が切っ掛けで?」
「そうだね。厳密には別人レベルの自己変革をしたことが発端かな」
別人という単語が耳に刺さる。
レインはこのお茶は不安や悲観を軽減させると語っていた。
確かに少女時代の彼女はリリーだけをケビン兄弟がちやほやした為居心地の悪い思いをしていた筈だ。
(でも、男装したことで周囲からの扱いや評価は改善したと前言っていた気がするけれど……)
変わったことで新たな悩みが生まれたのだろうか。
「……やっぱり今までと違う格好や言動をすると疲れてしまうのかしら?」
「それもあるけれどね、私が悩まされたのは罪悪感だった」
「罪悪感?」
私は目を丸くする。誰に対しての罪の意識だろう。
寧ろレインは被害者的立場の筈だ。
ケビンの弟はレインという婚約者がいるのに兄の婚約者ばかり見ていたのだから。
そして周囲からその立場を笑われた結果レインは脱却のために男装をしたのだ。
「そう、私は別人のように変わった。そうしたら今までが嘘のように生きるのが楽になった」
この国で貴族令嬢が男装で日常生活を送るのは言う程楽では無いだろう。
けれどレインはそれを全く感じさせない。
「周囲からちやほやされて褒められることも多くなった。だから申し訳なくなった」
「申し訳なくなったって、誰に?」
私がそう問いかけるとレインは長い睫毛を一度ゆっくり伏せた。
「……変わる前の自分に」
その台詞を聞いた瞬間心臓がぎゅっと掴まれたようになる。
「今の自分が周囲から存在を認められる程、昔の自分を切り捨てて否定して失敗作として扱っている気持ちになった」
「それって……」
「だから私は過去の自分が怖くなった。そして皆から以前の自分が忘れ去られることが怖くなってしまったんだ」
変わったこと自体は後悔していないのにね。
そう苦く笑うレインに私は何も言えなかった。
その彼女の後ろにじっとりとこちらを睨みつける少女の幻影を一瞬見る。
それは幼い頃のレインなのかそれとも「本物」のエリカなのか私には分からなかった。




