43.
公爵夫人室に戻り鏡を見つめる。
水色のふんわりとしたロングヘア。長い睫毛に縁どられた紫の瞳。
日に当たる事を知らないような白い肌に桜色の唇。
薔薇を象った銀色の髪飾り。
「エリカ・アベニウス……」
私は鏡に映る彼女の名前を呟く。
間違っていない筈なのに違和感が拭えなかった。
前世の記憶を頼りに漫画の中の彼女がよくしていた笑顔を浮かべてみる。
屈託なく口を開けて笑って見たが何故か似合わなくて困り顔で唇だけ吊り上げた。
「これじゃ太陽のような笑顔なんて絶対言われないわね……」
別に本物のエリカに今更なりたいと思っている訳じゃない。寧ろ戻りたくない。
なのに昔のエリカを知っている人物が変化に全く気づかなければモヤモヤとして、原作と現実の境目を踏み外しそうになる。
結果カーヴェルに不躾な質問までしてしまった。
「わけがわからないくらい、不安定だわ」
そう鏡に額を押し付け呟く。途端部屋の外からノック音が聞こえた。
「私だよ、奥様」
「レイン先生……」
私が扉を開けると最早見慣れた男装の麗人が笑顔で立っていた。
そして斜め後ろにはティーセットをトレーに載せたアイリが控えている。
「勝手だけどお茶の用意はこちらでさせて貰ったよ」
「構わないわ」
そう言って二人を部屋に招き入れる。
応接用のテーブルにアイリは紅茶と茶菓子を置き私とレインは対面に座る。
「このクッキーは先程買って来たお土産、ハーブティーは私のお気に入りだよ」
「ハーブティー……だから花の香りがするのね」
「そう、薬程強くは無いけれど自律神経の鎮静……じゃなくてリラックス効果がある」
ティーカップに触れた私の指先が止まったことに気付いたのか、レインが途中で言葉を変えた。
「別に言い換えをしなくても構わないわ。病人扱いするななんて怒る気はありませんから」
それにちゃんと自覚もある。私はそう続けるとハーブティーを口にした。
砂糖を入れ忘れた為、植物の根を煎じたような独特の香ばしさとほろ苦さを舌に感じる。
ハーブティーというより薬草茶だなと思った。後味でふわりと菊に似た香りがした。
これは砂糖を入れなくて正解だったかもしれない。
前世、中年以降はこういう薬草茶をよく飲んでいたなと懐かしく思う。
ある程度年を重ねると頂く土産物や贈り物に健康を案じる物が多くなっていくのだ。
息子達なんて前に寄越した物を飲み切る前に旅行先の名物だと別の薬草茶を押し付けてきたものだ。
(目に良いとか、肩こり腰痛に効くとか、冷え性に効くとかそんなのばかりだったけれど……)
懐かしさに知らず微笑むと対面のレインも笑みを浮かべる。
「良かった、そのハーブティーはエリカ嬢と相性が良いようだね」
「ええ、確かに落ち着いた気分になりました」
「じゃあ、診察に入っても良いかな」
穏やかな微笑みのままレインが言い出す。私は驚くことも無く侍女のアイリに目配せして退室させた。
わざわざハーブティーまで用意させたのだから私の精神状態が余程気になったのだろう。
「ええ、その前に私から一つ質問させて頂いても」
「どうぞ」
「伯爵家のメイドの手当をした本当の理由は何だったのかしら?」
「医師として怪我人を見過ごせなかったでは信じて貰えない?」
「それだけでは無いでしょう」
私が言うとレインは口だけで笑ってハーブティーを飲んだ。
そして眉を僅かに顰める。彼女にとっては好みの味では無かったらしい。
それでも飲んだということは彼女は自身に落ち着きを欲しているということだ。
「あのメイドはあの場所では誰も味方が居なかった。雇い主である伯爵夫人からも見捨てられた」
「ええ、そうね」
「そこに優しくしてくれる存在が現れたら……心を許してくれると思わないかい?」
感情の読めない笑顔でレインは言う。
私は少しの沈黙の後口を開いた。
「彼女は恐らく解雇されるわ。利用価値があるかしら?」
それにスパイということならアイリの知り合いを伯爵家に潜り込ませる算段は付いている。
私の質問にレインはあるよと答えた。
「今後の伯爵家のことはわからなくても、これまでの伯爵家のことはわかるだろう?」
「それは……」
「エリカ嬢がアベニウスに嫁いでから今まで伯爵家に何か変わったことが無かったか、知りたくなってね」
手当一つで教えてもらえるなら安いものだよ。
そう澄ました顔でレインは言い薬草茶を再度飲んでは苦い顔をした。




