19.
「カーヴェル」
画材商を完全に無視してレオは家令に声をかけた。
「はい、レオ様」
「こいつは何で廊下で騒いでいた?」
「怒って部屋を出た際にロン様にぶつかり暴言を発した為、奥様の深い怒りを買ったからです」
「馬鹿なのか?」
カーヴェルの説明を聞いたレオは心底呆れた様に告げた。
自分よりもはるかに年下の子供に侮蔑された画材商は顔を歪める。しかし何も言わなかった。
「どうしてこいつは怒っていたんだ?」
「商談に遅刻した上に笑いながら謝罪した為、奥様に退去を命じられ腹を立てたからです」
「狂っているのか?」
汚物を見るような目でレオは中年男を見た。
「こんな頭のおかしい奴を屋敷に置くな。誰でも良いからさっさと放り出せ」
レオが誰にも目線を合わせず言う。
屈強な使用人たちが数人前に出て来た。
そして画材商とその部下を担ぎ上げる。
「おい、こいつらに用はないな?」
レオがこちらを振り向いて言う。突然話しかけられて私は少し驚いた。
気を抜いていた訳ではないがレオの圧倒的な支配者ぶりに呑まれていたのは否めない。
「え、ええ、私は無いわ……いえ、ちょっと待って」
「何だ?」
「ロン君に謝って」
画材商の男は一度もロンに対し謝罪していない。一方的にロンが謝っただけだ。
「乱暴に歩いてぶつかった事と、その後に気をつけろ小僧と吐き捨てた事にね」
「……何だと?」
私の言葉にレオは信じられないような表情を浮かべる。
しかしすぐその顔は憎悪に変わり画材商を睨みつけた。
「こいつの店を潰せ、アベニウス公爵家なら出来るだろ」
「そんな!」
流石に画材商が悲鳴を上げる。しかしレオの険しい表情を見てすぐに目を逸らした。
「出来るだろう、カーヴェル?」
「……お時間を頂ければ」
私を無視してレオは家令に問いかけた。カーヴェルも緊張した面持ちで答える。
小さい頃のケビンはこのような少年だったのだろうか。
生まれた時から高位貴族で没落する心配もなくずっと高みに居る故の傲慢さと強さ。
レオの泣き顔も笑顔も知っている筈なのに私は彼が怖くなった。
けれどすぐそんな自分を内心で叱咤する。
(私が公爵夫人として甘いからこうなったのよ、迅速な処断をすべきだった)
私は自分の手を握り締めた。
「……ねえ貴方、公爵家に無礼を働き潰されたと知れ渡るのと自分の意志で隠居するのとどちらが良い?」
私は画材商に問いかける。酷薄な笑みを無理やり貼り付けた。
「選択肢を上げるわ。明日までに店主を辞めるか店ごと無くすか選びなさい」
「勝手な事を……まあ早ければ早い程良いか、俺もそれで許してやる」
レオはあっさりと私の提案に同意した。
どちらも選びたくないだろう画材商は顔を青くしたり赤くしたりしながら唇を噛み締めている。
部下がその太い横腹を肘で何度も突いていた。引退すると言えと迫っているのだろう。
「わ、私は……」
まるで拷問に屈して自白する罪人のように画材商が口を開く。
しかしその震える声を別の声がかき消した。
「止めてよっ!」
それはロンの物だった。
彼のそんな大声を聞いたことが無い為私もレオも吃驚する。
「僕、別にそこまでして欲しくないよ、そんな、簡単に潰すとか、言わないでよっ」
「ぼ、坊ちゃま……お優しい」
画材商の目に光が灯りいやらしい笑みが口に浮かぶ。
こいつは利用できるという獲物を見つけた笑みだ。
私は反射的に叫んだ。
「この二人を連れ出して外の馬車に突っ込んで!」
「なっ」
レオが呼んだ男性使用人たちが画材商一味を抱え上げ立ち去る。
喚く声が完全に聞こえなくなると気まずい沈黙が場を支配した。
「弱虫、公爵家の男の癖に商人なんかに見下されて悔しくないのかよ!」
レオが棘のある言葉を発する。ロンの肩がびくりと跳ねた。
「本当は馬鹿にされたお前自身があいつらを裁かなきゃいけなかったんだぞ!」
私に対しても耳が痛い事をレオは弟に叫ぶ。
その顔はどこか悔しそうだった。
弟が侮られ暴言を吐かれた事に強く立腹したのだろう。
今はその怒りの矛先が曲がってロンに向かってしまっている。
「ちょっと、レオ君」
私は彼を止めようと言葉を発する。しかしその言葉も又別の声に遮られた。
「……出来ないよ、僕はずっと奴隷だった、奴隷は商人より下の立場だ!」
「え……」
レオは唖然とした表情を浮かべる。
私も同じように驚いていた。
その隙にロンは全力で駆け出す。
私は彼を追いかけようとした。
しかしカーヴェルがそれを止める。
「奥様はレオ様を、私が向かいます」
その言葉に私はレオの顔を見る。彼は真っ青な顔で弟が消えた先を見ていた。




