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14:見据えた先(1)

 こんなにも重たい一歩があるだろうか。足が地面にくっついてしまったかのように固まって動かない。このまま一生ここに立っていなければいけないのか、なんて馬鹿げた事まで考えてしまうほど、パーティー会場に入る前の一歩が、アイラにとっては苦痛でしかなかった。


 ごくりと生唾を飲み込む。

 空気は乾燥していないのに、喉がカラカラに乾いている。しかしながら、手足は凍りそうなほど冷たいため、何か水分が取りたいわけではない。


 今すぐ逃げ出したい気持ちと、そんな事許されるわけないと理性を保つ気持ちで、頭がどうにかなりそうだ。アイラはレースの手袋越しでも血が出そうなほど、ぎゅっと強く拳を握っていた。


「アイラちゃん、大丈夫だよ。俺が全部助けてあげるから、何にも心配しないで?」


 不安いっぱいで倒れてしまいそうなアイラを見て、シオンは優しく声をかけた。


「はい……ありがとう、ございます」


 しかしながら、アイラはなんとか扉の前に立って、気持ちの入っていない返事をするだけだった。


 シオンも何と言おうかと迷ってはいた。やめておこうか、今日は帰ろうか。そんな言葉もかけることはできた。もちろん、アイラが頷けば本当に引き返す気もあった。


 しかしながら、ここまで頑張ってきた彼女に、逃げの手助けをするのは違うだろうと思い、背中を押せるようにと言葉を選んだのだ。


「アイラちゃん、ちょっとだけ俺の方見て」


 シオンはそう言って、アイラの視線を自分に移させた。綺麗にメイクをしているにも関わらず、緊張で青白く見えるアイラの顔色を見て可哀想な気持ちにはなったが、それをぐっと堪えて言った。


「今日のタキシード、どう思う?アイラちゃんのライトブルーのドレスに合うように、濃いネイビーのデザインにしてもらったんだけど……」


 突然何を言い出したのかと、アイラは目をパチクリせる。たしかにカルメラが気合を入れてデザインした、対になったタキシードとドレスは素晴らしい出来だった。


 銀の糸と宝石を用いて、胸元にたくさんの花が描かれたアイラのドレスは、綺麗な水色をしていた。そして、華やかなそのドレスに引けを取らないように、上質なシルクの生地を使った濃い紺色のタキシードは、整ったシオンの見た目をより一層引き立たせてはいた。


 それがどうしたのか、そう思いながらもアイラは小さく口を開いて答えた。


「あの……えっと?はい、とても似合っていらっしゃるかと、思います」

「うん、ありがとう。アイラちゃんも可愛いよ。絶対に、この会場にいる誰よりもね」


 シオンはにこやかに笑いながらそう言った。褒めたかったのか、褒めて欲しかったのか、何が言いたかったのかと、アイラの頭は疑問でいっぱいだが、それにより表情は先ほどより戻ってきている。


「あ、良かった。少しは緊張もほぐれたみたいで」

「えっ、あ、そのために……?」


 緊張をほぐしてくれようと、よく分からない事を言い出したのかとアイラは理解した。たしかに、意味が分からなさすぎて、緊張よりも疑問でいっぱいになった。


「だから、心配しなくて良いよ。俺を見て平気なら、この会場にいる誰を見たって大丈夫だよ。俺より、見栄えが良い人間がいるわけないからね」


 そう自信満々に言うシオンに、アイラは目を丸くして固まったが、すぐに小さく吹き出してしまった。あまりに自信ありげに言われたせいで、何となく腑に落ちてしまったのだ。


「ありがとうございます。なんだか、大丈夫かもしれません」

「そうでしょ?ほら、じゃあ……行こうか」


 そう言ってシオンはアイラの手をそっと取り、アイラも大人しくそれに従った。この人本気で言ったのか、冗談だったのかどちらだろうと、アイラは内心思っていたが、もちろん言葉にはしなかった。


「…………っ」


 扉を開いたその先は、圧巻という他なかった。床には深い赤色の柔らかい絨毯が一面に敷かれており、よく見ると手縫いで作られているのかアラベスク模様が描かれている。


 大きめに設計された窓ガラスからは、月明かりに照らされたガーデンが見え、そこだけで村が一つできそうな広さだ。


 天井からは重たそうなシャンデリアが、均一にいくつも吊り下げられており、会場をこれでもかと明るく照らしている。覚悟を決めて踏み出したが、煌びやかな会場の雰囲気に、アイラは飲み込まれそうになる。


「大丈夫だよ、アイラちゃん。みんなジャガイモ以下だと思って」

「…………はい」


 そう言われて前を見たが、数多の視線がアイラに注ぎ込み、俯いてしまいたくなった。一国の王子と、最近結婚したばかりの姫が揃って参加し、おまけにそれが長いこと社交界で見かけなかった人物となれば、注目されてしまうことは分かっていた。


 ある程度覚悟はしていたが、いざ目の当たりにすると、足がすくんでしまい動けなくなってしまった。


「アイラちゃん、大丈夫だよ。注目されているのは俺だから。ゆっくり前を向いて、背筋を伸ばして、顎を引いて、少し微笑んだら……ほら、完璧だよ」


 見られているのは、もちろんシオンでもあるだろうが、珍しいものを見るように視線を送られているのは、自分であることは分かっていた。しかし、隣にいるシオンが、何度も安心させようとしてくれている事に背中を押され、アイラはぐっと前を見据えた。隣にいてくれるのだから、大丈夫。そう心の中で自分に言い聞かせて。


「……行こうか、アイラちゃん」

「はい、お待たせして申し訳ございません。もう、大丈夫です」


 そう言うと静かに口角を上げたアイラに、会場にいた誰もが息を呑んだ。二人が歩く様を、幻でも見るかのようにぼんやりと見惚れているのだが、それを悟られないように歩くシオンは別として、意図的に視界に映さないようにしているアイラが、その視線に気づくことはなかった。

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