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12:千里の道も一歩から(1)

 豪華絢爛な装飾をあしらった馬車が、ガタゴトと一定のリズムで心地よく揺れている。ふかふかのソファと、窓の外から差し込む暖かい日差しは、疲れていなくても眠気を誘われる何かがあった。


 社交界デビューが近づいて来たと気づいた翌日、アイラとシオンの二人はさっそく出かける事にした。もちろん、同じ馬車に乗ってだ。


 以前までなら、どこか堅苦しい空気で包まれていた車内も、今は穏やかな空気で満ちている。アイラは緊張を隠さなくても良いと言う安心感があり、シオンもアイラの考えている事がおおよそ分かるようになった、と言う精神的安定が生まれた事で、お互い変に探り合う必要がなくなったからだ。


 特に会話はないのだが、そんな空気すら心地いいと思えてくる。アイラは小さくアクビまでしている。


「アイラちゃん、眠たかったら寝てもいいよ」


 そんな様子を見たシオンは、愛おしそうに目を細めながら言った。アイラははっとして、恥ずかしそうに、ごめんなさいと口を押さえた。


「まだ時間もかかるし、着いたら起こすよ?」

「ありがとうございます……でも、一度寝てしまったら起きたくなくなりそうなので、我慢します」


 アイラの発言に、シオンはなるほどと納得した。たしかに、こんなにも穏やかな空気の中で眠ってしまったら、もう動きたくなくなるのも分からないでもない。


「そっか、残念だな。アイラちゃんの寝顔見てみたかったんだけどな」


 アイラに嫌がられてないと分かったシオンは、どんな甘い言葉も簡単に口にできた。現金なやつだ。しかしながら、軽そうな発言ではあるが、シオンも本心で言っているため咎める事もできない。


 そんな事言われると思ってもみなかったアイラは、さっきの何倍も恥ずかしそうに顔を背けて、本能的にシオンの視線から逃れようとした。


「……そんなの見て、どうするんですか」

「んー、可愛いかなって」


 冷たく返したアイラにも、負けじとシオンはとんだ生暖かい発言をしたため、アイラはただ俯くしかなかった。頭から湯気が出そうになりながら。


「またそうやってからかって……もう、最近シオン様は意地悪です」

「ごめんごめん、そんなつもりはなかったんだけどね、気をつけるよ」


 もう眠気もどこかへ行ってしまったアイラは、少しだけむくれて、頬を膨らせながら外の方を向いてしまった。それを見たシオンはまた謝りながらも、楽しそうに笑った。


 そんな二人は今、決して意味もなく出かけているわけではない。パーティーへ参加するための、ドレスとタキシードを作るために、王族御用達の洋服店まで向かっているのだ。


 デザイナーを城へ呼べば済む話ではあるのだが、二人のデートも兼ねているため、こうやってわざわざ時間をかけて馬車で向かっている。


 そんなわけで、側から見ると山盛りの砂糖が見えるほどの甘い空気の中、馬車はただ一定のリズムで目的地まで向かっている。


 こういう時間も悪くない、そんな事を思いながら二人はぼんやりとしていた頃、ガタンと大きな音を立てて馬車が傾いた。


「アイラちゃん!」


 敵襲からの攻撃も想定して、シオンは突然の揺れからも体制を立て直し、アイラを庇い座らせた。そんな素早い行動に、アイラは声を上げる間もなく守られてしまい、きょとんと目を丸くするしかなかった。


 次に何が起こるのかと、シオンは周囲に気を張り巡らせて臨戦態勢を取っていたが、馬車は傾いたまま静寂が保たれている。


 張り詰めた空気だけが車内を支配する中、少し曲がった扉をガタリとこじ開ける音がした。


「……王子殿下!アイラ姫!大丈夫でしたか?」


 誰だと一瞬ピリリとしたが、そこには馬車を走らせていた従者が焦りながら駆け寄る姿があった。


「……うん、大丈夫だけど、何があったの?」

「それが、馬車の車輪が突然壊れたようでして、申し訳ございません。今朝も点検はしたのですが……」


 青ざめて声を震わせながらながらそう言う従者に、シオンは落ち着いてと慰めた後、様子を見に外に出た。


「あー、これは……大変な事になってるね」


 苦笑いをしながらシオンはそう言った。目の前には、応急処置ではどうにもなりそうにないほど車輪が外れた馬車があった。


「……申し訳ございません。今、別の馬車を用意いたしますので……」

「あー、そうだよね、どうしようかな……」


 それを聞いたシオンは、たしかに暇ではあるがそれ程時間があるわけではないな、どうしたものかと一人思案していると、後ろからひょっこりとアイラが顔を出した。


「あらら、これは大変ですね」


 アイラも壊れた車輪を見て、あらあらと言ったように口を押さえている。そんな二人の様子を見て、従者はまた気まずそうな顔をしているのだが、二人は別に特段何の感情もなかった。


「アイラちゃん、動物好き?」

「えっ、はい、好きですよ?」


 そんな従者を他所に、シオンはアイラにこの場とはそぐわない質問をした。アイラも突然何を聞かれたのかと思い、疑問を疑問で返す様な返答をしてしまう。


「馬、乗ったことある?」

「……馬は、ないですね」


 まさかとアイラは思う。眉を顰めて、次の言葉が頭に浮かんでいるものとは違います様にと願うが、シオンは悪戯を思いついたかのように笑っている。


「乗っていこうか、馬に」

「え!そんな、何を言ってるんですか!」


 キラキラとした笑顔で言ったシオンに対して、アイラは驚き遠回しに否定するが、シオンの笑顔が消えることはない。


「大丈夫だよ、案外楽しいかもしれないし、俺しょっちゅう乗ってるから安心してよ」


 戸惑っているアイラの背中を、まあまあと言いながら押してシオンは馬の方まで向かっていく。


「うんうん、良い馬だ。この子なら二人くらい簡単に乗せてくれるよ」


 馬車をひいていたのは、王族の馬らしく真っ白な立髪に、綺麗な黒い瞳をした馬だった。たしかに、突然の事故にも驚く事なく静かに佇んでいる。


 シオンはその馬の背を頼むよと言うかのようにトントンと撫でて、何の躊躇もなく飛び乗った。そして、すっとアイラに手を伸ばして言った。


「さ、アイラちゃん、行こうか」


 馬の上に乗ったシオンの金髪はキラキラと輝き、その眩しさには目を瞑りそうになってしまう程だった。優しげな笑顔も、少しだけ低いその声も、伸ばされた手も、まさに絵本の中の王子様そのものだった。


 アイラはその姿に、大きく心臓が高鳴ったのが分かったが、初めての乗馬のせいだと言い聞かせて、ゆっくりとシオンの手を取った。

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