10:覚悟の時(2)
胃の中がモヤモヤしている。
シオンは、何を食べたわけでもないのに、悪いものでも食べたかの様な胃痛と気持ち悪さをここ何日も抱えていた。
それを振り払うかのように仕事を詰めた事で、疲労からなのか頭痛までしている。いつもより冷たい雰囲気を出してしまっていることも自覚している。そして、それを誰も彼もが不安そうに見ていることも分かっている。しかし、今のシオンにはいつもの柔らかさを醸し出す余裕はどこにもなかった。
「うーん…………」
溜まっていたと言うよりかは、無理やり抱え込んだ仕事に一区切りが付いてしまい、シオンは手を止めた。何も考えたくなくて仕事に打ち込んでいたのに、それが無くなってしまったらどうしたらいいのか、シオンには分からなかった。
あんな言い方、しなければよかった。
シオンはずっと、アイラに言った言葉を後悔していた。アイラが、事務作業を引き受けると言ったとき、嬉しいとか助かるとかよりも先に、これ以上自分の存在価値を奪わないで欲しいと思ってしまった。
聖女の力を持つ彼女は誰からも愛されていて、期待されていて、それだけで素晴らしいのに、その上にこの城の運営まで担うとなると、本当に自分なんていらない気がしてしまったのだ。
「あー、だからってあれは……らしくなかったよな…………」
シオンは、髪の毛を引きちぎりそうになるのを耐えながら頭を抱えて唸った。彼女の仕事を自分が担っているうちは、自分から逃げ出せないだろうと醜い事を思っていたのだ。
不完全な彼女は、自分以外の誰かと付き合ったり、ましてや結婚なんて無理だろうと思っていた。だから、いつまでも気づかないでくれ、不完全なままでいてくれたらそれでいいと思っていた。
それなのに、自ら仕事を引き受けると言い、その上俺の役に立ちたいとまで言わせてしまった。そんな事までできてしまう彼女に、自分は相応しくない、隣にいない方がいい、そう思ったのだ。
なんか、避けられてるし。たぶん嫌われてるんだよな。
シオンはため息を吐きながらそう思った。何もない空中をぼんやりと見つめていると、そんな負の感情ばかりが浮かんできた。
非の打ち所がない彼女に、わざわざ嫌いな自分と一緒にいさせるのは申し訳ない。もしかしたら、言わないだけで、祖国に恋人でもいたのかもしれない。
シオンはそんな思いに苛まれてしまっていた。一度そう思うと、もう事実としか思えなくなってしまったシオンは、これ以上苦しい思いをしたくはない、耐えられないとアイラに別れを切り出したのだ。
「……両陛下になんと伝えるか」
結婚したばかりだと言うのに、妃候補の筆頭に自ら別れを切り出したなんて、どう伝えればいいのか。おまけにそれが聖女ともなると、みすみす聖女の力を手放し、早々に自国に出戻りさせるなんて顔に泥を塗る様な真似をしたら、なんと言われるだろうか。
「最悪、斬首ものかな?」
シオンは嘲笑しながら言った。もうそれでいい。王位継承権がどうなるのかは知らないが、遥か遠い親戚でも連れてくるのか、養子でも取るのか、はたまた弟の子供に期待をするのか、なんでもいい。シオンは、そう思えてしまう程、自暴自棄になっていた。
そんな時、扉が叩かれる音がした。
コンコンと控えめに鳴ったその音は、シオンの態度に周囲の人間が遠慮したのだろう、ここ数日聞いていない音だった。
「うん、どうぞ」
いつもであればもっと優しく答えられたのだが、自虐的になってしまっている今は、ぶっきらぼうにしか返事をすることができなかった。
「失礼します」
そんなシオンの態度をどう思っているのかは分からないが、特段感情が読み取れない表情でアイラに付けた侍女が一人入ってきた。
「お忙しいところ申し訳ございません、ご用件を伝えに伺いました」
「そっか、どうかした?」
大した用事ではないだろうと、正直放っておいて欲しいところに訪れてきたため、少し面倒な気持ちになりながら返事をした。
「アイラ様から本日お伺いしたいとのお言付けを預かっております。いかがいたしましょうか?」
「……えっ?」
どうせ仕事の話だとたかを括っていたため、予想外の人物の名前に驚いてしまう。そんなシオンに対して侍女は、少し不安そうな顔をしながら待っている。
それが、断られるのかもとアイラを心配してのことなのか、自分の機嫌が悪くなったのかもしれないと思ってのことなのかは分からないが、戸惑っているのは事実だ。
「あー……うん、いいよ、適当な時間に来てもらって。仕事もだいたい終わったし」
「承知いたしました。申し伝えます」
ありがとうと言い、シオンは平静を装うが内心とても緊張していた。用事と言うとたった一つ、自分が言ったことに対しての返事をしに来るのだろうと思うが、まさかこんなに早く来るとはと思った。
それに、まさかアイラ本人が自分のところまで来るとは思っていなかった。きっと答えを聞きに行かないと、問い詰めないと答えてくれないような気がしていた。
それが、わざわざ侍女を使って申し入れまでして来訪するとなると、きっと答えは良い方向ではないのだろう。シオンは、死刑宣告を受けるってこんな気持ちなのかもしれないと、ぼんやり思いながら、向かっていた机に顔を埋めた。
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