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9:すれ違う(3)

 アイラはソファから立ち上がれずにいた。シオンから言われた言葉が現実であると言うことが信じられなかった。いや信じたくなかった。


 結婚なんてしたくないと、男の人となんて暮らしていけないと、家に戻りたいと、何度も願っていたはずなのに、実際に言われてしまった別れの言葉は、アイラの胸に重たくのしかかった。


「一緒にいない方が、お互いのため、よね」


 言われた言葉を、言い聞かせるかのようにアイラは呟いた。そう思わせてしまったのは、そう言わせてしまったのは、自分であるにも関わらず、アイラは胸が痛かった。身勝手だと分かっていながらも、傷ついていた。


「否定されるのは、こんなにも悲しいのね」


 今までアイラは、男の人が苦手なのだからしょうがないと自分で言い訳をしていた。トラウマになった原因を作ったのはたしかに男ではあるが、それを理由に人を傷付けていいわけではない。


 そんな反省と、後悔と、生まれて初めて感じる悲しみと虚無感で、アイラは心がぽっかりと空いてしまったような気がした。


 この感情は、昨日よりもずっと泣きたい気持ちにさせたのだが、自分に泣く権利はないと、ぐっと奥歯を噛み締めて涙を堪えて言った。


「……ニナ、入ってきていいわよ。側にいてくれてるんでしょう?」


 それに驚くでもなく、扉の近くの物陰に立っていたニナはすっと姿を現した。


「お気づきでしたか」

「……いつだって、背後に注意しなさいって言ったのはニナじゃない」

「そうでしたね、さすがですアイラ様」

「そんな事思ってもないくせに」


 アイラは悲しみを誤魔化すかのように軽口を叩いてはみたが、顔は全く笑えていない自覚があった。ただ、口が動いただけ。頭と体が全く別の位置に存在している感覚だった。


「アイラ様、大丈夫ですか?」

「……珍しく心配してくれるのね、ありがとう。大丈夫だと言いたいのだけど、どうかしら、分からないの」


 そんなアイラの発言に、ポーカーフェイスを貫きながらもニナは数十分前の出来事を思い出していた。


 シオンを部屋に招き入れ、廊下に出たニナは、呼ばれたらすぐに出ていけるようにと待機していた。中でどのような話がなされているのかは分からない。ただ、部屋から大きな声がしないことから、怒声が飛び交うようなことはなっていないのだろうと言うことだけだ。まあ、あの二人に限ってそんなことはあり得ないのだが。


 どうしようか、仕事がないわけではないため、ここを離れたい思いはあるのだが、あの二人を残してもいいだろうか、そんな事を考えていると、アイラの部屋の扉が開きシオンが現れた。


 ご挨拶をと思いニナが口を開こうとしたところ、いつも柔和に飄々と笑っているシオンが苦々し気な顔をしていたため、少しだけ目を見開き固まってしまった。


「あ……アイラちゃんの事、お願いしてもいいかな?ごめんね、君のご主人様、泣かせてしまったかも」


 そう言いながらも、シオンの方が何倍も泣きそうな顔をしていたため、ニナも責める気にはならず、ただ立ち尽くす事しかできなかった。


 それに対して何を言うでもなく、シオンは早足で立ち去ってしまった。不可抗力ではあるがその姿を見届けた後、ニナはアイラの側に控え、この状況だ。


 シオンの想定とは違い、主人は泣いてはいないのだが、くるくると感情豊かな常とは違い、何も読み取れない無表情で、ただぼんやりと空中を見ている。


「……私、お別れを告げられてしまったわ。もう一緒には居たくないと、言われたの、」


 そう途切れ途切れに言葉にすると、自らの身に起こった事を改めて実感したのか、ポロポロと泣き出してしまった。


 今までアイラは、勉強が嫌だとか社交界に出たくないだとか、子供じみた我が儘で泣くことはあっても、悲しいとか、寂しいとか言う感情で泣いたことはなかった。


 幼い頃から客観的に見てきたニナは、それがよく分かるのだが、引きこもってばかりいたアイラは自分の感情の変化に気付いていないのだろう、溢れてくる涙に戸惑っているようにも見えた。


「私が悪いのは、ちゃんと、分かっているの……優しかった、シオン様を傷つけてしまったことも、分かっているの」


 アイラは、ぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。うまく表現できない感情を、それでも何とか伝えようとするかのように。


「こんな私は、お別れを……受け入れなければならないことも、理解してるの。でも、どうしても、何故か、受け入れることができないの……」


 そこまで言うとアイラは、堰を切ったように溢れ出す涙を止めようともせず俯いてしまった。


「アイラ様、本当は分かっているのではないですか?どうしたいかも、どうしなければいけないかも」

「…………………………」


 ニナは、ここまで言っても分からないのかこの困った姫様はと内心愕然とするが、今までの経歴を考えるとどうしようもないかと無理やり納得させる。


「……嫌いではないのでしょう。そうであれば、正直に伝えるべきです」

「……でも、それで、国にも迷惑をかけたら、」


 ニナがため息混じりに言うと、アイラはようやく反応はしたがいまだにはっきりとしない返答だ。それに嫌気がさしたニナはもう面倒臭いと思いはっきりと告げた。

 

「ここで離婚になったらそれこそ迷惑ですよ」

「………………確かにそうね」


 元も子もないことを言われてしまったアイラは、涙をピタリと止めて言った。あんなに溢れて止まなかった涙が、嘘のように止まった。


「返事は待ってもらえてるんですから、さっさと気持ちを整理して、次はアイラ様から訪ねるべきです」


 そこまで言うと、アイラの目にやっと力が宿ったように見えた。覚悟を決めてくれたようだと思ったニナは、ここから先は自分で乗り越えるべきだとアイラの側を静かに離れた。


 先ほどまで弱々しく泣いていたアイラは、もうどこにもいなかった。

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