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8:お妃教育(5)

 やり遂げた。頑張った。人生で一番努力した。

 ラベンダーが浮かんだお風呂の中に肩まで浸かりながら、アイラは達成感でいっぱいだった。


 再教育だと言われ、座学から始まり、ダンス、マナー、話し方、立ち方、歩き方、エスコートの受け方などありとあらゆる社交界の立ち居振る舞い方を全ておさらいさせられ、早くも一ヶ月が経った。


 はじめはどうなるかと思っていたが、なんとかニナが立てた計画通りに全てを進めることができた。厳しい指導者もいたが、全員から合格を貰えたときは安堵の気持ちで泣きそうになった。


「明日は美味しいもの作ってもらうんだー、クリームパスタが食べたいなー」


 朝ご飯が終わったらエレンにお願いしよう。アイラは呑気にそんな事を考えていた。


 それと同時にふと、そう言えば最近は一人で食べることが多かったなと思った。バタバタと分刻みで教育を受けていたため、自分以外のことを気にする余裕もなく、ただ言われるがままに食事をしていたが、よくよく思い返してみるとシオンが目の前にいなかった。


「忙しかったのかな……?」


 アイラの疑問に、もちろん誰も返事をすることはないため、一人で考え込む。


 騎士団の仕事もあっただろうし、王子としての役割もあるだろうし、よく考えたら私がしなけらばいけない仕事も任せてしまっていたのかもしれない。


 こんな年になってまで社交界に出た事が僅かしかありませんなんて恥ずかしいことを言い、再教育に甘えていたが、事務的な仕事は妻である自分の仕事ではないだろうか。


 招待状への返信や、諸々来ている手紙や書類の確認、この城内の備品経理関係など、聖女と再教育にかまけて一度もしていないが、もしかして任せっきりにしているのではないだろうか。


 そこまで考えて、アイラは呑気に食事のことばかり考えていた自分が恥ずかしくなった。


「私、なんて申し訳ないことを……明日シオン様に謝らなければ」


 シオンに対して、避けたい気持ちも苦手意識もあるが、人としては好意的に思っているため、迷惑をかけたくない気持ちはあった。身勝手で申し訳ないが嫌われたくはない気持ちもあった。


 このままでは、こんな頼りない姫君だとは思わなかったと離婚されてしまうかもしれない。そう考えてアイラはぞっとした。


 それと同時に、今までこんなにも誰かの気持ちを裏切りたくないと思った事はなかったなと不思議な気持ちになった。ずっと自分のことでいっぱいいっぱいだったけれど、シオンに対しては何か役に立ちたいと思っていた。いやまあ、いっぱいいっぱいな所は今もそうだけれども。


「うん、出よう」


 そんな事をくるくると考えていたらのぼせそうになった。こんなところでまた倒れでもしたら一生の恥だと思い、アイラは湯船から立ち上がった。


 これ以上考え続けたら、また知恵熱でも出しそうだと考えるのを止めようと思ったが、どうにも思考回路が止まらない。


 侍女を呼び、着替えを手伝ってもらっている最中も、色々と考え込んでしまっていた。難しい顔をしていたのだろう、それを察してかアイラに就いている二人の侍女も特段話しかけることもなく、仕事を終えて部屋を出て行った。


「うーん、なんか、モヤモヤすると言うか釈然としないと言うか……」


 着替えが終わった後、少し読書でもしようかと積んであった本に手を伸ばすが、どうにも集中できない。アイラの中で、今まで感じたことのない、なんとも言葉にできない感情が出てきているからだ。


 アイラの頭の中はただ一人、シオンの事でいっぱいになっている。毎日顔を合わせていたときは、避けたい逃げたいと思っていたが、こうも会えないと何故だか気になってしまう。


 悪い人ではないことは分かっている。嫌いでもない、嫌われたくもない。ただ実際に会ってしまうと、きっと反射的に逃げ腰になってしまう。


 アイラはモヤがかかった頭を振り払うかのように、ぶんぶんと首を横に振り立ち上がった。


「カモミールティーでも飲もう!こう言う時はリラックス!」


 自分に言い聞かせるようにそう言って、アイラはお茶を入れ始める。それでも考え込むことをやめられない。


 悪い人ではないんだよなあ。こんな私にも優しくしてくれて、嫌なこともしない、気もつかってくれる。自分が悪いことも分かっている。


「全部正直に話せたら……いや、そんな事したら余計に嫌われちゃうよね……」


 話したい身勝手な気持ちと、これは隠し続けて自分で乗り越えなければならないと言う気持ちと、一方でずっと嘘をついているような罪悪感と、色んな気持ちの中で葛藤している。


「とりあえず……仕事は私が引き受けよう」


 落とし所のない感情にとりあえずの決着を付けるために、アイラは決意をした。これでシオン様の仕事が減れば、会う回数も増えて、自然と慣れていくだろう、そう思いながら入れたばかりのお茶を口にした。


 そんなシオンも、自室で机に向かい一人考え込んでいた。強く前向きに社交界に向けて取り組む姿に衝撃を受けてから、なんとなく忙しさにかまけてアイラを避けてしまっていた。


 会いたくないわけではないのだが、また会ってしまえば、自分の中のこうあって欲しいと言うアイラの姿と、実際の姿の差にまた言いようのない虚しさを覚えてしまう気がしたからだ。


「明日は……会いに行こうかな」


 とは言えずっと会わないわけにもいかない。侍女からは、覚えるべきことは全てやり終えたとの報告が上がっている。その話も聞きたいし、どんな招待を受けるのかも話しておかなければならない。


「いつも通りだ。大丈夫、何も考えるな」


 ぽつりと呟いたシオンの声は、部屋に冷たく響いた。

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