8:お妃教育(4)
長い廊下をシオンは一人歩いている。この時期にしては珍しく雨が降っており、空はどんよりとした雲で覆われているが、城内は暖かい光で包まれていた。
そんな天気と同様に、シオンの気持ちもどこか曇りがかっていた。気持ちを入れ替えようと、一つため息を吐いてはみたものの、どうにも晴れてはこない。
「気にはなるけども……」
会いに行ってもいいだろうか。言ってしまえばもっと暗くなってしまいそうで、そんな言葉は口にすることができなかった。
シオンの悩みの種はたった一人、アイラの事だった。嫌われてはいない事は分かったが、未だに壁は二、三枚ある気がする。そんな自分のために社交界の指導を受けさせてしまい、そんな自分と参加させなければならない。夫婦だから当然だと言われてしまえばそうなのだが、シオンは申し訳ない気持ちを拭うことができなかった。
そんな晴々とは程遠い心情で色々と考えながら歩いていると、アイラがダンスの練習をしている部屋の前まで来ていた。
「ここかな……?」
邪魔をしてはいけないと、シオンはそっと扉を開けた。忙しそうだったらこのまま姿だけ見て帰ろうと思ったからだ。
どうだろうか、苦しそうにしていなければいいけれど、そんな事を思いながら中を見てみるとそこには、シオンの考えとは全く違ったアイラの姿があった。
「さすがです、アイラ様。踊られたことがないなんて本当ですか?今すぐ社交界の場に立たれても恥ずかしくないと思いますよ」
厳しいと言われている指導者に笑顔を向けられ、少し嬉しそうに微笑むアイラは、自分の前で弱々しく倒れた時とも、話しかけた時にするひどく驚いた顔とも違い、自然で端麗な笑顔だった。
「そんな……この年になって教えて頂いて恥ずかしい限りですが、そう言ってもらえて嬉しいです」
「いえいえ、いくつになっても学ばれる姿はご立派だと思いますよ」
「ありがとうございます。本番、絶対に失敗しないようにまだまだ頑張りますね」
シオンは、そんな前向きに取り組んでいる姿を見て衝撃を受けてしまった。手を取れば怯えられ、近づけば離れられ、俯きがちでが弱くて。アイラの事は、何故か一人では生きていけない子だと思っていた。
いや、せめてそうであって欲しいと思っていた。そうでなければ、自分の存在は全くの邪魔でしかない気がしてしまうからだ。聖女の力もあり、謙虚な姿は侍女や騎士達からの評判も良く、その上王族としての知識も振る舞いもマナーも完璧になってしまえば、あの子にとって自分こそが欠点になる気がしてしまう。
「じゃあ、もう一度初めから通しましょうか。自然に動けるようになるまで練習を続けることが、自信になりますからね」
「はい!よろしくお願いします」
自分には向けられたことのない笑顔で取り組むアイラの姿を見て、そう言えばそうだったとシオンは思い返した。
自分の意見なんて言えないのかと思いえば、無礼を振る舞った王妃に噛みつき、ただの箱入りの姫かと思いえば、王国内の浄化体制の改革に切り込みと、強い子でしかなかった。
自分を頼って欲しいと思い、アイラの弱い面ばかりを捉えていたが、彼女は誰よりも芯があったではないか。今まで関わってきたどんな令嬢よりも、強く賢く強かだった。考えを改めさせられ、シオンは足元から床が崩れていくような感覚を覚えた。
「あれ、シオン様?いらっしゃっていたんですね」
ぼんやりと部屋の中を見ていたシオンに、アイラから声をかけられた。少し動いた後だからだろう、いつもより桃色の頬も彼女に対しての思い込みを変えさせられた。
「シオン様……?」
返事の返ってこないシオンを不思議に思ったのだろう、アイラは再び名前を呼んだ。それにはっとして顔を上げると、心配そうにしているアイラの姿があった。
「あっ……いや、ごめんね、ぼんやりしていたよ。すごいねアイラちゃん、自信なさ気だったから心配していたんだけど、全く問題なかったね」
シオンは言った後に、嫌味っぽくなってしまっただろうかと後悔したが、アイラは特に気にする様子もなく恥ずかしそうに微笑んでいた。
「そんな、まだまだです。シオン様の隣に立っても見劣りしないようになるまで頑張りますね」
「……うん、それは心強いね」
シオンは何と返答していいのか分からなくなってしまった。正統な王子ではない自分の方が、可憐で賢い彼女の横に立つべきではないのかもしれない。
きっと彼女には何の意図もなく、ただ素直に頑張るから心配しないでくれと言いたいのは分かっている。悪意なんて全くないことも分かっている。しかし、それを曲がって受け止めてしまう自分を正すことが、今のシオンにはできなかった。
「殿下、お時間がございましたら一度アイラ様と踊られてはいかがですか?」
「えっ、まだ駄目です!自信もないですし、足とか踏んでしまったら申し訳ないです……」
気を利かせて言った指導者の言葉に、いち早くアイラが否定した。シオンはそれに対しても、きっと本当に自信がないのだろうと言うことは分かっているが、自分とは手も取りたくないのかもしれないと穿った見方をしてしまう。
これ以上ここにいては、意味もなく彼女を傷つけてしまうかもしれないと、最後の冷静さを振り絞ってシオンが言った。
「そっか、それは残念だな。本番楽しみにしているから、頑張ってね」
「はい!ありがとうございます」
こんな真っ黒な気持ちには絶対に気付かれたくないと、シオンはいつもの笑顔を必死に思い出して再現してみせた。
久しぶりに体を動かし、どこか高揚していたアイラもそんなシオンに気づくはずもなく、また練習に取り掛かっていった。
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