8:お妃教育(3)
分厚い本を机に置き、アイラはぶつぶつと独り言を言っている。数百年前の偉人が今の自分にどう関係すると言うのか、微妙な貴族間の位の違いが何だって言うんだ、諸々と言いたい事はあるが、いちいち突っ込む暇もないくらいアイラは忙しかった。
「古代史……は覚えた、文学も完璧、現代史はあとちょっと……」
あまりの量に、こんな付け焼き刃で良いかとニナに尋ねたところ、とりあえず覚えてあとは実体験を重ねる事で身につくのだとピシャリと言われ、確かにそうかと納得するしかなかった。
「あと一時間で歴史は完璧にしないと……」
正午ぴったりに理解度テストをすると言われているため、アイラは頭をフル回転させて暗記に徹している。
ここで満点を取れなかったとしても、何があるわけではない。しかしながら、ニナからは、一つ失敗する度に、この後の計画を全て練り直さなければなりません、わざわざ一日がかりで立てた計画を練り直さなければなりません、と冷たい目をして言われてしまったため、失敗は許されなかった。
「満点取れたらお昼ご飯、エレンに美味しいもの作ってもらっているの……」
突然のお妃教育を気の毒に思ったエレンが、せめて食事くらいは好きな物をと気を利かせてくれており、毎食リクエストを聞いた上で、見た目まで拘った食事を用意してくれているのだ。
とは言っても、社交界最デビューまでに太ってしまっては本末転倒なため、カロリーには最大限気をつけたものではあるが。
「全部終わったらチートデイするの、甘いものも辛いものも食べたいものを食べるの」
それだけを楽しみに、これから約一ヶ月の再教育とワンシーズンの社交界を乗り切ろうとアイラは頑張っていた。
欲望と願望と、覚えなければならない事柄を口にしていると、冷酷な声が降って来た。
「アイラ様、お時間です」
「…………はい」
溢れ出しそうな知識をこぼさないように、アイラはそっと返事をした。
「では別室に移動しましょう。こんな事は十代の頃に全て覚えておくべきことですからね、もし満点取れなかったら……分かっていますね?」
「分かってるわ!分かってるから早く行くわよ!」
余計な事を話しているとせっかく覚えた知識が抜けていってしまうと、アイラは素早く椅子から立ち上がり、ほぼ駆け足で目的地まで向かっていった。
場所は変わり、シオンは部屋で一人、どの招待状に参加の返事を出すか頭を悩ませていた。
「うーん……あんまり参加させるのも可哀想だし……とは言え無視できないところもあるし……」
今までは適当に行きたいところに行っていたが、今後はそうもいかない。自分も色んな思惑が絡んでくる立場になってしまったからには、そう簡単に決めることもできない。
おまけに、そんな面倒ごとにアイラちゃんまで付き合わせる事になってしまう。なるべく負担の少ないようにしなければ。
自分の思いと、それとは別にのし掛かる利権などが頭に浮かんでは消え、ぐるぐると雁字搦めになってしまっている。
「嫌味のようにやってきたルベルト家からの招待状は……断るわけにはいかないか。西と東の隣国からもそれぞれ来てるな……ここも断れないし、まあもうこれだけ数があるとなると侯爵家以下は全部断るか」
今まで来なかったようなところからも招待が届いており、現金な奴らだと鼻で笑いたくなった。王位継承の可能性が高くなったと思ったらこれか。
そんな事を考えながらシオンは珍しく若干イライラしていると、部屋の扉が叩かれた。
「はい、どうぞ」
誰だろうか、面倒な人ではないといいな、これ以上厄介ごとは持ち込まないでくれと思ったが、願い叶ってか入ってきたのはアイラに就けた侍女の一人だった。
「ああ、君か。どうかした?」
「お忙しいところ恐れ入ります。アイラ様のご様子をお知らせしようかと思いまして」
シオンは侍女を就かせた時に、アイラの様子を定期的に教えてほしいと依頼していた。別に監視をしたいとか、怪しんでいるとかではなく、何か自分には言いにくそうな事や気付けていない事があったら教えてほしいと伝えていたため、その報告のようだ。
就けた二人の侍女も頭の良い女性だったため、その意図を察してよく動いてくれている。
「今、お妃教育中だよね。大丈夫?大変そうにしてない?」
「はい、とても立派にこなしておられます。自信がないと言われておりましたが、そんな事は全く感じさせません。今のところは座学ですが、全て完璧ですよ」
「そうか、それは良かった」
シオンはほっとして言った。今までほとんど社交界に出ていないと不安気に話していたため、どうだろうかと思っていたが無駄な心配だったようだ。
「殿下も一度顔を見せて頂けたらアイラ様も喜ばれるかと思います。次からはダンスの練習なども始まるようですので、ぜひ」
「……そっか、考えておくよ」
自分が行ったら逆に嫌がられてしまうのではないか、余計に緊張させてしまうのではないか。そんな事を思うと、素直に喜んで返事をすることができなかった。
「他に気になるところはございましたか?」
不安そうな顔をしていたシオンに気遣ってだろう、侍女が尋ねたがシオンは静かに首を横に振った。
「いや、大丈夫だよ。彼女のこと、引き続きサポートしてあげてね」
「はい、承知致しました」
そう言って侍女は部屋を出て行った。一人残されたシオンは、再び招待状へと向き合ったが、どうにも考える気になれず伸びをした。
一度、気分転換に会いに行ってみようかな。そっと見るだけでも、そう思いペンを片付けて立ち上がった。
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