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8:お妃教育(2)

 シオンからショッキングなお知らせを受け、アイラは一人、テラスのチェアから立ち上がれずにいた。


 思い返してみれば、最後に社交界になんて出たのは十代の前半だった気がする。気がするとしか言えないくらい、いまいち覚えていない。


 あの頃は、何か少々失敗したとしても、まあ子供だからと許してもらえたが、今は絶対に失敗は許されない。ガナンシェ王国第一王子の妻であり、メルテナ王国の姫であり、聖女でありと、いくつもの重圧がアイラにのしかかっている。


 おまけに、暫く社交界でお目にかかっていないときたら、もう格好の的でしかない。嫌だ、どうしよう。老若男女問わず、数多の視線に触れることを想像して、アイラは今から動悸で呼吸が荒くなる。


「うわー、どうしようどうしよう。うまく立ち振る舞う自信がない、微塵もないわ」


 お妃教育は一通り受けたし、社交界のマナーも全て学んだが、年頃になってから実践したことはない。シオンはフォローすると言ってはくれたが、片時も離れず面倒を見てもらうことはできないし、そもそもそれすら緊張する。


 ダンスは踊れるだろうか、程よくお酒を嗜めるだろうか、表面上の会話を差し障りなくできるだろうか。どれもできる気がしない。アイラはひたすらに自問自答するが、答えは全く出ない。


「どうしよう、今からめっちゃ仕事して聖女の力を使い尽くしてみる……?いや、使い尽くせるのかな……」


 何か逃げられる方法はないかと、ぐるぐると頭を悩ませながら考えていると、後ろから声をかけられた。


「アイラ様、お話はお伺いしました」

「ひゃっ!なに!」


 必死に考えていたアイラは、誰かが近寄っていたことなんてもちろん気づくはずもなく、そっと忍び寄ってきたニナに驚かされた。


「アイラ様、王族として外にいる時は背後からの気配にも注意しておかなければなりませんよ」

「ニナ!もう、驚かせないでよ……」


 お茶の時くらい良いじゃないと、アイラは少しむくれなから言った。しかし、そんな事は関係ないと、ニナは言葉を続けた。


「約十年ぶりの社交界への参加ですね。アイラ様、ちゃんとできますか?」


 ニナは直球でいきなり確信を突いた。その発言にアイラはすっと目を逸らす。それをニナは厳しい目で見つめ返す。


「で、できるわよ……一応、一通り教養は覚えたし……たぶん……きっと……」


 段々と自信がなくなるアイラに、より一層厳しい目でニナが見つめる。ほとんど睨んでいるようにも見える。


「覚えただけですよね?実践した事はないですよね?」

「それは……」


 ずいっとニナは前に出て、アイラに詰め寄る。その行動に、アイラは居心地が悪そうにまた目を逸らす。


「誤魔化してもダメです。結婚して一発目の社交界ですよ、もちろん注目されるに決まっています。それもガナンシェ王国なんて大国の第一王子と参列するなんて、権威も欲望も野次馬根性も嫉妬も嫌味も恋慕も、色んな思惑が集まりますよ。もし、万が一、変な行動でもしたりしたら……国威を落とす大問題にも発展しかねませんよ」


 脅すかのように、つらつらとニナは厳しい言葉を投げかける。それに嫌な汗をかきながらアイラは聞いている。


「聞いてますか、アイラ様?この問題からは、生きてる限りどうしたって逃げられませんよ?」

「そ、そんなの……そんなの分かってるわよー!」


 アイラがとうとう大声で言った。勢いよく声を出したため少しだけ息を切らしながら、アイラは考えていた。


 そう、分かってはいるのだ。逃げられないことも、参加するしかないことも。姫として生まれてきた時点で諦めなければいけないことも、この年までのらりくらりと向き合わず、その皺寄せが今来ている事くらい分かっているのだ。


「そうですかそうですか、分かって頂けているなら何よりです。それではさっそくですが、今日から再教育致します」

「再教育……?」


 色々と後悔しているアイラを置いて、ニナがはっきりと告げた。あまりに断言されたため、アイラは思わず聞き返してしまう。


「はい。時間はないので簡単にではありますが、ダンスの練習、立食形式の立ち居振る舞い方、話し方、他国家系図の暗記、世界史の復習などを約一ヶ月で叩き込みます」

「……え?」


 思考停止し、聞き返すアイラを他所にニナはテキパキと計画を伝えていく。


「既に各分野の指導者は手配しています。どなたも一流の方です、良かったですね。これでもう心配いりませんよ」

「えっ、ええっ?」


 アイラはただひたすら口をぱくぱくと開けたり閉じたりしているだけだ。戸惑っているアイラを勢いで丸め込んでしまおうと、ニナも攻撃の手を緩めない。


「まずは座学からです。一週間で、覚えなければならない事は全て覚えて頂きます。各国貴族との会話で、話題を出されたとしても恥ずかしくない程度の知識は付けて頂きます。こう言うのは幼い頃から経験で覚えていくものですが、今更そうも言っていられません。最低限は覚えて、あとは笑顔で乗りこてください。大丈夫です、アイラ様のその顔であればなんでもやり過ごせます」

「………………は、い」


 まんまと丸め込まれたアイラは、途切れながら返事をする事しかできない。


「シオン様にも先程説明しておきましたので」

「……………………」


 もう逃げられないやつだと悟ったアイラは、ぼんやりと宙を見つめて現実逃避してみる。しかし、それすらニナは見逃さない。


「アイラ様、返事は?」

「……はい」


 蛇に睨まれた蛙の様に、アイラは首を垂れて頷くしかできなかった。

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