5:嫌な対面(2)
ベロア生地のカーテンを締め切った部屋の中。柔らかいソファに深く腰をかけ、アイラは頭を抱えていた。それはもう、地の底から響くようなうめき声を上げながら、大層悩ましげな様子であった。
そんな様子を物ともせず、ニナは両手を体の前で揃えてアイラの隣でしゃんと立っている。
「ニナ、どうしよう私、すごく酷いことをずっとしてしまっているの。その自覚はあるの。本当にもう全部私が悪いのは分かっているの、理解はしてるし罪悪感もちゃんとあるのよ、でもどうにもならないの」
「そうですか、それは大変ですね」
絶対に大変だとは思っていない口調でニナが答えた。それを聞いたアイラは半泣きでむくれる。こんなに悩んでいるのにと呟きながら。
「シオン様、本当に良くしてくださるの。この住居はもちろん、新しく付けて頂いた侍女も非の打ち所がないし、食事の内容まで気遣ってくださるの」
アイラは俯きながらぽつりぽつりと話し出す。それを一応は真剣な眼差しでニナは聞く。
「今まで出会ってきた男の人達と違って、無理に距離を詰めようともしないの。話す時も、歩く時も適度な距離を保ってくださって、嫌なところはどこにもないの」
「そうですね、本当にアイラ様には勿体ないお方だと思います」
ニナは正直にそう返す。ここで甘やかしてもどうしようもないと知っているからだ。それを聞いて、反論することもなく、悲しむでもなく、アイラはただ言われたことを受け止めて小さく頷いた。
「私が転んでしまいそうになったときもね、咄嗟に支えてくださったの。その手からも、どこにも下心なんてなかったの、ただ助けてくれただけなのは、ちゃんと分かっているの。でも、どんなに頭では理解していても、良い方だと分かっていても、私、怖かった。どうしようもなく、怖かったの」
トラウマになってしまっている事は本人も理解している。過去と今は違うことも、シオンがどれだけ良い人なのかも理解しているが、目の前にするとどうしても体が固まってしまうのだ。
「ああああ……どうしたらいいの……」
机に肘をつき、先ほどより強く頭を抱えて愕然とする。自分でどうにかするしかないのは分かっているが、それができない不甲斐なさで唸るしかできない。
「もう諦めるしかないのでは?そうしたら、いつか旦那様も愛想を尽かして関わらなくなっていきますよ」
ニナが極論を口にした。これで自らに発破をかけてくれたらと言う思いと、これで納得するならそれはそれまでだと思いを持っての発言だ。
アイラもその言葉に思うところはあったのだろう、唇を噛み締めて押し黙ってしまった。
「どうしようもないのでしょう?」
ニナは、何も言わないアイラにとどめを刺すかのように言葉を発した。この尻を叩く様な行為が吉と出るか凶と出るか、まあニナとしてはどちらでも良いのだが。
「それでも……何とかしたいって思いはあるのよ。いつまでも男の人無理だなんて言っていられないし、そもそも結婚してしまったのだし。それに、何より……」
そこまで言ってアイラは固く握っていた手をさらにぎゅっと握り締めた。沈黙が数秒流れる。窓も締め切られた部屋の中には、時計の針の音だけが静かに聞こえるだけだ。そんな中、アイラが深刻そうな顔で沈黙を切り裂き言葉を続けた。
「見た目はすっっごく好みなの」
「………………」
真剣な顔で何を言い出すのかこの人はと思い、ニナは呆れて言葉を失う。
「キラキラした金髪も、目尻の下がった瞳も、長い手足も鍛えられた体も、それに何より優しいところも、全部小さい頃に思い描いた理想の人なの」
「それは……良かったですね」
ニナはぼんやりと感想を告げる。言われてみれば、諸々のトラウマ問題が起きる前は、白馬に乗った王子様と結婚すると言っていた様な気がする。たしかにそうか、旦那様は正に絵に描いたような王子様かもしれない。
「でも駄目なの。シオン様を目の前にすると、どうしたら良いのか分からなくなってしまうの。近づかれると心臓が苦しいの」
「…………なるほど?」
それは恋ではないだろうか、とニナは思う。一度も経験したことのない恋愛感情を、恐怖心と勘違いしているのではないだろうか。ほとんど確信に近い勢いでそう思うが、どうにも伝わらないだろうと思ったニナはそれを自己完結するしかない。
どうしたものか、何かアドバイスでもしてみようか、いや自覚するまで放っておくべきだろうか、そんな事を考えていると、今朝よりも少し小さく控えめにも聞こえる音で扉がノックされた。
「……旦那様ですね」
「ああああ……どうしましょう」
もうそんな時間だったかとニナは思い、はいと返事をしながら扉を開けに向かう。まあ、兎にも角にも慣れるしかないだろう。そこはもう、頑張ってもらうしかないと、密かに心の中だけでエールを送りつつ、扉を開けて部屋の中に迎え入れた。
「お待たせ致しました」
「いつも丁寧にありがとう。そんなに堅苦しくなくてもいいからね?」
シオンはニナにもそう笑顔で言ってみせたが、その表情はどこか寂しげに見えた。
「……アイラちゃん、体調は大丈夫?」
話しかけにくいだろうに、それでも迎えに来てくれて、おまけに体調が思わしくない事にもしてくれていて、アイラは罪悪感でいっぱいだった。
「もう大丈夫です。あの……突然戻ってしまい、申し訳ございませんでした」
「いいよいいよ、気にしないで」
アイラは、嘘をついた事、傷付けた事、無駄に気を遣わせてしまっている事、優しさを仇で返してしまった事など、色々な罪悪感から謝罪をしたが、それにも怒る事なく許されてしまい、より一層申し訳なさが募った。
「じゃあ、さっそくだけど行こうか。両陛下の部屋まで案内するよ」
そう言うだけで、次は手を差し出しては貰えなかった事に気づき、アイラの心はチクリと痛んだのだが、その感情の正体は分からないままだ。
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