悪夢の回廊からはじまる 02
「もう三日は走りつづけている気がするな」
ラトスは変化のない石畳の道にため息をこぼしす。先を走るメリーが、力なくうなずいた。
「私は七日ぐらい走っている気がします」
「そんなにか」
「戦っている時以外は疲れないですし……せめてお腹が空けばいいのですけどね」
眉をひそめたメリーが、走りながら自身の腹部を撫でる。
夢の世界と分かってはいても、現実とは違った反応を示す身体に奇妙を感じずにはいられない。偽物の身体を動かしているような錯覚すら覚える。とはいえ先を急ぐラトスたちにとって、進みつづけてくれる身体は都合が良かった。目的を果たすまで動きつづけていられれば、余計な焦燥感を味わずに済む。
「時間の経過なんてもの、現の人間は気にするんだね?」
メリーの肩で休んでいたペルゥが、欠伸をしながら首をかしげた。
「さっさと王女のところまで行ってしまいたいからな。当然だろう?」
「そう言われてみれば……そう!」
「それに、早く現の世界に帰ったほうがいいと、お前が言っていたんだぞ」
「そういえば、そう!」
お道化たようにペルゥの表情が揺れた。釣られてメリーの顔も揺れる。「忘れていたんですか、ペルゥ」とメリーが尋ねると、「ちょっと忘れてた」と笑い飛ばした。
薄暗闇の空間に似合わない笑い声が、こだまする。
しばらくしても、笑い声はひびきつづけ、右へ左へと跳ねて聞こえた。そのうちに笑い声の一部が不気味な音に変わり、まったく別の者が笑っている声となっていった。
「……誰の声です、これ?」
「夢魔だよ?」
メリーの問いに、ペルゥが素早く答えた。
「夢魔って、笑ったり、喋ったり……できるのです……か?」
「ううん? できないよ? ……あー、あれはね、嘲りの夢魔だから」
「嘲り? ですか?」
「そう。笑ってるわけじゃなくて、嘲笑そのもので存在しているんだ。ほら、そこにもいるよ」
ペルゥの小さな前足が、前方に伸びる。見ると、人の頭の形をした夢魔が道の端にいた。頭以外にはなにもなく、手足がないので動くこともできないらしい。ただラトスたちを見て、延々と笑いつづけていた。
「……こわ……夢に見そうです」
「うん、夢だからね!」
ペルゥが笑う。すると道端にいる嘲笑の夢魔もまた、ペルゥの声に合わせて笑いだした。不快に感じて、ラトスは目を背ける。メリーも同様にして、顔を歪めつつ足を速めていった。
「あの夢魔は動けないみたいだから、祓ってしまえばいいんじゃないか?」
足を速めていくメリーを追って、ラトスは腰の短剣に手をかけた。
「やめたほうがいい」
間髪置かずに、セウラザの静かな声が通る。ラトスの隣で駆けていた彼の視線が、嘲笑の夢魔に向けられていた。
「なんでだ? 強いのか、あいつは?」
「強いことがある。同じ行動を繰り返す夢魔は、形成を促す感情の純度が高いからだ」
「単純な奴ほど強いっていうのか」
「そう覚えてもいいだろう」
答えたセウラザの声を掻き消すように、嘲りの夢魔の笑い声がひびいた。すでにはるか後方であるはずなのに、耳元で笑われているように聞こえる。離れれば離れるほどひどくなり、ついには耳の奥を直接弄られているように感じはじめた。
耐えかねたメリーが、奇声をあげる。
仕方なしと、ラトスはふり返って白剣を引きぬいた。同時に力を柄に伝え、剣身を伸ばしていく。剣先には、嘲りの夢魔がいた。飛び込んでくる剣の先を見ながらも、まだ笑いつづけている、しかし白剣が夢魔の身体をつらぬくと、笑い声が歪に変わり、途切れた。
「弱いやつで良かったってところだな」
「そのようだ。だが、出来るかぎり無用な戦闘はしないことだ。ひとつきりの命なのだから」
静かになった薄暗闇の空間に、セウラザの声が凛と鳴る。直後に、メリーが息を飲んだ。最も耐えねばならないのは、幽霊や怪物が嫌いな彼女なのである。気遣いの上で嘲りの夢魔をラトスが祓ってくれたと分かっているらしく、申し訳なさそうな目でラトスの顔色をうかがってきた。
「気にするな。今後は互いに我慢していこうってだけさ」
「善処します……」
「それよりも見ろ。とんでもないものがあるぞ」
うつむくメリーの背を押すように、ラトスは走る先を指差した。




