兆しからはじまる 02
冷や汗を感じる余裕もなく、ラトスは亀裂を避け、飛び越え、駆け抜けた。
先を走っていくセウラザも器用に亀裂を避けていく。メリーを抱えて走っているとはとても思えないほどの身のこなし。悪夢の回廊に何度も来ているというのは、嘘ではないのだろう。頼もしさを感じるには十分で、危機的な状況にもかかわらず、ラトスは身体が少し軽くなったような気がした。
ひたすらに駆けつづけていると、先を行くセウラザとペルゥの進む速度が遅くなりはじめた。どうしたのだとラトスは足元に目を向ける。するといつの間にか亀裂の入った石畳が無くなっていて、振動も収まりはじめていた。
「もう安全のようだな」
振り返ったセウラザが、メリーを石畳に下ろす。ふらつく細身の身体が石畳に四肢を突き、何度か荒い呼吸を繰り返した。
「い、いったい、なにが……?」
「あんたが景気の良い花火を一発打ち上げたらしい」
「わ、私が……!?」
呼吸を荒げながら、メリーの顔が上がる。
薄暗闇の空間に、煙のように立ち上がる黒い塵。その直下には、崩壊しつづけている黒い石畳の道があった。ラトスたちが最初に辿り着いた泉も崩れ落ちたのか、どこにも見当たらない。
「……帰り道が」
立ち昇る黒い塵を見上げたメリーの声が、曇った。
引き返す予定など無かったが、いざ退路を絶たれてみれば怖れを抱かずにはいられないだろう。震える細い肩を見て、ラトスはどのように声をかけるべきか迷った。励ますにしても、怒るにしても、メリーの気を晴らせられるとは思えない。
「ごめんなさい、私……まさか、こんなことになるなんて」
謝ってくるメリーを見て、ペルゥの小さな身体がそわそわと揺れている。お道化てはいても、多少の反省をしたらしい。その様子を見て、ラトスは小さく息をついた。
「……あんただけのせいじゃない。そこの猫も同罪だからな」
「確かに……そう!」
「……ふざけた猫は置いておくとして。まあ、些細な過失なんて、誰でもやっちまうもんだ。それがとんでもない災害になることもな。俺だってそうさ」
そう言ってラトスは、狼のような夢魔に襲われているメリーの姿を思い出した。
白剣を伸ばしている最中、脳裏に過ぎった気の迷いに振り回されていたらどうなっていたことか。最悪、メリーを死なせてしまったかもしれない。そうならずに済んだのは、メリーがラトスの力量を信じていてくれたからだ。
ラトスは未だに這いつくばっているメリーへ手を伸ばした。ラトスの手を見て、メリーの目が泳ぐ。しばらく逡巡したのち、ようやくメリーの手がラトスを掴んだ。弱々しく、かすかに震えている細腕を、ラトスは勢いよく引き上げる。
「ラトスが励ますなんて。悪夢の回廊に花が咲いちゃいそうだよ」
ふわふわと宙を浮いていたペルゥが、ラトスの頭の上に降りた。鬱陶しさを感じて、ラトスはペルゥを鷲掴みし、薄暗闇へ放り投げる。
「励ましちゃいない。そういう安い関係は、もう終わりってことだ」
長く息を吐くラトスに、メリーの細い肩がびくりと揺れた。叱られるのだと、心の準備をしているようにも見える。その姿を見て、ラトスはもう一度長く息を吐きだした。ざんばらの髪を掻き上げ、片眉を上げる。次いで腰の短剣を引き抜き、胸の前で構えてみせた。




