泉からはじまる 05
――中てられるか?
一瞬、ラトスの脳裏に不安がよぎった。それはわずかなものであったが、メリーに迫る危機を目の当たりにしているために、永い時にすら感じられた。
弾けるように伸びる真っ白な刃が、夢魔とメリーの間へずれている。
不安のためか。それとも、助けようとする相手が、利用すると決めていた貴族の女であるからか。
――中てるべきなのか。
ラトスは再び、思考した。しかしその逡巡はすぐに打ち払われた。夢魔に迫られているメリーの目が、ラトスと、ラトスから放たれている白剣の刃を捉えていたからである。
メリーの瞳には焦りがあったが、迷いを孕んでいるようではなかった。
ラトスと、ラトスの剣を信じているようにすら見える。
「頭を下げろ!!」
脳裏によぎっていた幾つもの想いを払い除け、ラトスは叫んだ。直後、永い時に感じられていた流れが一気に速まった。伸びていた真っ白の刃も、夢魔とメリーの間へ鋭く突き進んでいく。
ラトスの声を受け、メリーの頭が少しだけ後ろへ傾いた。合わせるようにして夢魔の頭が前へ伸びる。だらりと垂れ下がっている三本の舌も、意志あるように前方へ突き出された。そこにぴたりと、ラトスが伸ばしていた白剣が飛び込む。
石を強く砕くような音が、メリーの眼前で弾けた。
「ギ……ゥガガ……」
歪な鳴き声を落とす夢魔の頭部に、真っ白の刃が突き立っている。赤黒い血と、唾液が、夢魔の下にいるメリーの胸元へ滴りはじめた。間を置いて、言葉にならない悲鳴がメリーの口から捻りだされる。
「早くそこから出ろ、メリーさん」
「あ、わ、わ!? は、はい、いい!!」
「大丈夫? メリー?」
狼狽えているメリーの肩から、落ち着き払っているペルゥが声をかけた。どうやら先ほどのことなど、危機とすら思っていないらしい。それとも、メリーがどうなろうと構わないと考えているのだろうか。ラトスは微笑んでいるペルゥの表情に、背筋が冷たくなった。
「ほらほら。今なら抜け出せるよ。頭を押しのけて……そう、うん、そう! ほおら! やったねー!」
「はっ……はっ……ふう、もう、うう……」
「ラトス、まだ剣を抜いちゃいけないよ。これ、まだ動けるみたいだから」
「こんなになっても生きてるのか? こいつは!?」
「生きてるとか、死んでるとか、なに言ってるの。ほら、そう、分かるでしょ?」
さも当然と言わんばかりの表情をペルゥが向けてくる。ラトスは首をかしげて返事してみせると、ペルゥが一瞬硬直し、ゆっくりと首を傾げ、最後に「ああ!」と声をあげた。
「そう! 分かるわけないよね!」
「お前、わざとじゃないだろうな」
「まさか!」
お道化た仕草をするペルゥが、ようやく立ち上がったメリーの後ろへ隠れた。そのさらに後ろで、白剣から伸びた剣身に貫かれた夢魔が、脈打ちながら蠢いている。まだ動けるというのは間違いないようで、ラトスが握っている白剣の柄にも夢魔の生命力が伝わってきていた。
「セウラザ、こいつは死なないのか?」
紅剣を構えているセウラザを横目に、ラトスは尋ねる。紅いの剣先が頭ひとつ分下がったあと、セウラザの身体が数歩、夢魔へと寄った。すると白剣に貫かれている夢魔の身体が大きく跳ねあがった。
「死ぬことはない。ただ、一時的に不活性化させることは出来る」
「どうすればいい?」
「祓うのだ。剣で撃つのではなく、祓いの力を剣に込め、散らす」
セウラザが紅剣を夢魔に向けて構え直す。再び、夢魔の身体が大きく跳ねた。恐れているのか、セウラザから逃げ出そうとしているらしい。ラトスは夢魔の頭部から剣が抜けないよう、さらに深く突き刺した。
「ラトス。君の今の行為が、祓いに近い。殺そうと想ってはならないのだ」
「……つまり?」
「塵を払うように。消すのではなく、退けるようにすればいい」
セウラザの手が、宙の埃を払うように動く。すると薄暗い空間がぐにゃりと歪んだ。セウラザの手に合わせてなにかが動いている。よく見ると、宙には無数の黒い塵が漂っていた。吸いこんでも咽たりはしないが、分かった途端にひどく居心地が悪く感じる。
ラトスはさっさと終わらせようとして、夢魔を貫いていた白剣を横へ薙いだ。言われた通りに、殺そうとは思わず、掃除をするような気持ちで剣を振るう。直後、肉を切ったような感触が消えて、夢魔の身体が霧散した。宙に漂っている黒い塵となり、薄暗闇へ溶けていく。
「……なるほどな」
「ラトス、次が来る」
「次だと?」




