泉からはじまる 04
「さっきの水の輪は、どこへ消えたんだ?」
もしや引き返すことができないのかと、かすかな焦りが胸をよぎる。
「扉である水の輪は、番人が管理している」
「じゃあ、どうやって帰るんだ」
「安全を確保して、泉に触れるだけでいい」
「安全を……?」
「そうだ。今は安全ではない。ラトス、メリー、道の先を見てみるといい。先ほどから、夢魔がこちらをうかがっているぞ」
翻ったセウラザの声が静かにひびいた。
ラトスは目を見開いて、黒い道の先に目を向ける。メリーも同様にしてから、ラトスの傍に立った。動揺しているのか、メリーの息が徐々に荒くなっていく。
薄暗闇の中に揺れる、黒い道。
夢魔とやらが道の何処にいるのか、ラトスには分からなかった。というより、夢魔というものがどんな姿なのかも詳細に聞いてはいなかった。獣か、怪物のようなものだと、大雑把に教えられていただけである。ラトスは首をかしげつつ、セウラザに声をかけようとした。
「来るぞ」
セウラザが背の大剣を抜いた。それは剣幅の広い、深紅の剣であった。剣身に淡い赤色の光が宿っている。光は意志あるように揺れ動き、辺りをじわりと照らしだした。
黒い道の一部が、赤く照る。
すると赤い光の中で、赤黒い影が踊った。
「……あれが、夢魔か!?」
ラトスは腰の両剣を引き抜き、構える。
赤い光とともに揺れる赤黒い影が、しとりと近付いてくるのが見えた。
「……狼、です?」
メリーの震える声。先ほどよりもさらに息が荒い。
「あんな狼がいてたまるか」
「です、よね……大きいですし」
「大きいだけなら、良かったのだがな」
薄暗闇から現れた夢魔の姿は、狼のようで、狼ではなかった。
前足が短く、地に足が付いていない。しかし地に付いているかのようにして、四つ這いの格好で歩いていた。頭を見ると、右にひとつ、左にふたつの目があった。口は閉じていたが、収まりきらない長い舌が三本垂れ下がっている。
「……ひっ」
異様な獣の姿に、メリーの声が引き攣る。腰の銀剣に伸びる手も、大きく震えていた。
「メリーさん、大丈夫か」
「……だ、大丈夫に、見えます?」
「いいや」
「……ラトスさん、伝えておきたいことが……あるのですが」
「なんだ」
「私、たぶん……あ、あの獣が、あと数歩近寄ってきたら、その、腰が抜けると思います」
「それは、貴重な情報だな」
メリーの言葉を受け、ラトスは上体を下げる。
狼の夢魔を見据え、二振りの短剣を構え直した。
ひたひたと近寄ってくる夢魔。三つの目が各々動き、三人の姿をしっかり捉えている。セウラザが紅い剣を左右に振ると、ひとつの目だけが機敏に左右へ振れた。その不気味さにラトスの目が細くなった瞬間、夢魔が駆けだした。
夢魔が駆ける方向に、メリーがいる。弱そうな相手を選んだのだろう。わずかに口を開き、三本の舌を蠢かせている。
「メリーさん、行けるか?」
「え、わああ! う、わ、わ? ……あ、足が……!?」
「ダメそうだな」
焦るメリーに向かって、ラトスは走った。しかし先に駆けだした夢魔のほうが速かった。このままではラトスが辿り着く前に、夢魔の牙がメリーに届くだろう。ラトスは奥歯を強く噛み締め、白剣の剣先を夢魔へ向けた。
自在に伸びるはずの、白剣。
駆けながら、強く握り締める。直後、空気を切り裂くような音が鳴り、白剣の剣身が一気に伸びた。鋭く突きだされる剣先が、メリーの一歩前まで迫っている夢魔へ飛ぶ。




