泉からはじまる 03
「わ、私たちも行きましょう!」
「その意気だよ、メリー! さあ、飛びこめー!」
囃し立てるペルゥの声に押され、メリーの身体も水の輪へ飛んだ。
輪の内側には薄い膜があるらしく、飛びこんだメリーの指先が触れると、膜が大きく波立った。しかし破れることはなく、波立ちながらメリーとペルゥの身体を吸いこんでいった。途端に騒々しさが消え、周囲に静寂が下りる。
ラトスは二人を追おうとして、泉の淵に足をかけた。
長くは持たないと言ったセウラザの言葉を思い出しつつ、水の輪を見据える。
輪の内にある薄い膜が、かすかに波立った。
同時に泉の水面も揺れ、映っていたラトスの姿を歪めていく。
ひどい顔だと、ラトスも傷のある頬を歪めた。
無理もない。シャーニの命を奪う一端を担ったかもしれないエイスの王族の、王女を救いに行くのだから。無論王女が関与しているとは限らないが、完全に割りきれることではない。
歪んだ水面を見つつ、ラトスは足に力を込めた。すると泉も、輪の内にある薄い膜も、しんと静かになった。待っていたように、隣にいた番人の老人がラトスの顔をのぞき込む。
「……じゃあな、爺さん」
ラトスは老人に声をかけると同時に、飛び上がった。
「……武運を」
老人の声がラトスの背を叩いた。
振り向くことなく、水の輪に手を伸ばす。輪の内に張っている膜に手が触れると、膜の波立ちに合わせて、自らの身体も揺れた。水と一体化したような感覚を覚えた瞬間、ラトスの身体は水の輪に呑まれた。
瞬間、肌に触れる空気が重くなった。
見渡さなくとも、別の場所へ来たのだと全身の感覚が報せてくる。
薄暗い空間が、眼前に広がっていた。黒い筋のようなものがいくらか見え、揺れ動いている。
「あ! 来ましたよ!」
足元からメリーの声が鳴った。
見下ろすと、黒い石畳に立つセウラザとメリーがラトスを見上げていた。ラトスは転ばないように体勢を整えつつ、二人の頭上を越えていく。手足をついて着地すると、黒い石畳から煤のようなものが生まれて浮き上がった。
「ここが、悪夢の回廊か……」
石畳を撫でながら、ラトスは顔を上げる。
炭のように黒い石畳は、道のようであった。薄暗闇の空間をつらぬいて、終わりなく延々と延びている。おかしなことに、道は上下左右に曲がりくねっていた。急斜面になっているところもあれば、ひっくり返っている道もある。
「遠くの景色が、歪んで見えますね」
「そうだな。まるで陽炎のようだ」
終わりの見えない道を眺めながら、ラトスは目をほそめた。
黒い石畳の道の左右には、道に沿って等間隔に柱が並んでいる。それも含め、遠くに見える道はすべて揺らめいていた。絶妙な歪みように、吐き気すら感じる。近くに寄ってきたメリーを見ると、彼女もまた目をほそめ、唇を曲げていた。
「それで? セウラザ、俺たちはこれからどうすればいい?」
少し離れたところにいたセウラザに、ラトスは声をかける。
「この道を歩いていく」
「どこまでだ?」
「終わりまで。ラトスの後ろにある泉と同じものが、道の先にもある」
セウラザの手が、ラトスの後方を指した。ふり返ると、小さな泉が目に映った。
泉の形大きさは、石室にあったものと同じようであった。しかし、水の輪も水球も浮いてはいない。ただ静かに、こんこんと水を湧きあがらせていた。




