表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ひねくれ少女は自分の生きる意味を真剣に考えたい  作者: 日向日向
第二章「奏音の過去と愛の物語」
97/171

「少女にまつわるほんの少しの悪意」

 奏音の絶望の度合いに関わらず否応なしに時は流れていく。

 腫物を見るような下卑た目に晒された彼女は弱々しく震えることしかできなくなってしまった。

 その、最悪の沈黙を壊したのは奏音でも、愛華でも咲来でもなかった。


「篠崎奏音!」


 廊下でぐちゃぐちゃな顔を洗い、教室に戻った彼女に対し、鬼気迫る様子で叫ぶ女子生徒の姿がいた。

 その女子生徒は部屋に突入するや否や、彼女の身体を押し倒した。


「何を――」

「黙れっ!」


 奏音の手を平手打った女の表情は、まるで見ていられなかった。

 目角を上げるのは憤怒故、瞳の光彩をくすませながらも涙を浮かべるは憎悪故――全てが私に対しての負の感情そのものだ。


 彼女にはわからなかった、何故に彼女が斯様な狂気を孕み、自身に注ぐかが――。


「お前が、お前がいなければ――優斗はっ、優斗はああああ!」


 平手打ちは、自然と握った拳の一撃に変化している。

 奏音は抵抗できずにいたが、何となく理解した。

 優斗、苗字は不明だが――斎藤の病院の患者の中に、似た名前がいた。


「私は……何も――」

「あの鞄の中の奴はなんだ――あの薬のせいで、優斗はっ――」


 根本的に会話が通じていない証だ。

 それも仕方ないか、と奏音は即座に背景を理解する。彼女は武力をもって私と相対した時点で、対話の余地なんてなかったのではないか。

 ふと、周囲の風景が俯瞰して見えるようになる。

 この場に……彼女の味方と呼べる人間はいない。未だ愛華と咲来は帰らない。


「許さないっ――許さない!」


 彼女の一撃は次第に深々と私の顔に傷を刻んでいくといのに、誰も止める気配はない。皆が皆、目の前の彼女を是とし、奏音の存在そのものを非としている。

 この空間で私がどれだけ努力して、潔白を訴えても届かない。

 聞く意思を誰も持っていないのだから。


 ――彼女から逃げないと。


 冷静さを失っている彼女は、まさしく復讐に魅入られている。

 正当性だとか、合理性だとか論理性だとか――それらが介在する余地はない。


(逃げ、なきゃ……)


 意識が遠のく。

 このままでは――。


「やめとけ」

「きゃああ!」


 ほとんど目蓋は落ちていた。

 だからこそ、奏音には最初、何が起こったか最初は分からなかった。

 体感として、自分の上にあった女性の重みが突然消えたのだ。

 そう、彼女は窮地を脱したのだ。


 ――誰かが、私を助けた、ということなのか?


 ゆっくりと瞳を開くと、女は真横に倒れていた。その頬は、殴打されたかのように真っ赤に腫れていた。


 ――何が起こったの?


「咲来……君?」

「ちげぇよ」


 違う――彼女の視界に外れた場所にいた闖入者の声色も、口調もまるで異なる。


「あなたは……」


 斎藤浩二だ。

 彼が、奏音を仇敵とみなして迫った女を殴って退かせた。


 ――彼はいったい、何を?


「おい、お前――」


 斎藤は彼女を無視し、その場で蹲る女の顔を躊躇なく足蹴にした。


「何してくれてんの? あ?」


 予想外だった。


 ――何故、斎藤浩二がここに出てくる?

 ――理解不能だ、解せない――私に何が起こっている!?


「俺のもんに傷つけやがってよ。どういう了見だよ、ん?」


 一度ならず、何度も何度も彼女の顔を踏みつける。


 踏むたびに彼女の口から、鼻からと血が飛び散る。


「こ、こいつは……優斗を……」

「優斗? んあ、隣のクラスの地味なやつかよ……ああ、なるほど、そういうことか」


 恨めしく、双眸に憎悪を滾らせて斎藤を睨むが、彼は何ら気にしていないようだ。


「消えろ」


 彼が足を離すと、顔に深い痣を負った女は逃げるようにその場を後にした。

 それをけたけたと笑って見届けた後に、彼は地面に倒れている奏音の顔の付近にまで、顔を近づける。


「なぁ、委員長、大変なことになったな」

「だめ……だよ…………何があっても、暴力……は……」

「あー……お前まだそんなこと言ってるのか? 先に手を出したのはあいつだぞ?」

「それでもっ……やられたからって、やり返したら……だめだよ……仲良く……」

「あのなぁ……」

「きゃっ!」


 彼女の髪を思い切り上向きにひっぱり、強制的に顔を、皆が見渡せるようにもっていく。


「仲良くだ? できるわけねぇだろ、見てみろよ、こいつらを」


 それは、奏音がいくら視線を送っても、伏し目になって決して目を合わせようとしないクラスメイト達だった。


「こいつらは最初から仲良くなんてねぇよ――外面だけ取り繕って、友達ごっこをやってるだけのな」

「そんなっ……そんなこと――」

「あるんだよ、利害が一致して、共通の敵がいるからこそさも団結しているように見える――紛いもんだよ、こいつらは蒼薬ブルー・プリズムの恐怖とかいう噂話で無理やり関係性を保っていただけだ」


 斎藤が好き勝手に口走っているのに、誰一人と否定をしない。口にできなくとも、反抗的にしているのならまだわかる。だけども皆は図星をつかれたかのように、沈黙をより一層硬いものにした。自信を失った空気が、事もあろうか教室の全体になりつつある。


「委員長は時間がたてばそんな問題も解決すると思ってたんだろうけどな……こいつらは重症だ」

「あっ……ああっ――」


 ――私が信じていたものって?


 彼女の行動の意味はただ一つ。クラスの為に、困っている人の為に――その一心だった。

 時には苦しい時もあった、クラスメイト全員の意見を聞けない時だって。そんなときは、夜遅くまで折衷案を考えて、考えて考えて考えて――最善を尽くしてきたはずだ。


「今だって誰も助けにこねぇじゃねえか! さっきもそうだ――確かに今、お前は黒か白かわからない状態にいる。でも普通なら庇うやつだっている筈だ、少なからず委員長に恩があるはずのやつも見てみろ――だんまりだ」


 奏音はクラスメイトの中でも、比較的交流があった人たちを見てみると――彼ら彼女らとて、その他の衆と全くもって同じ反応を示していた。ある人は現実から目を伏せ、ある人は陰口らしき不快な用語を幾つも並べている。


「咲来君や……愛華は……」

「そいつらも肝心な時にいないじゃないか。肝心な時に助けてくれない奴を友達といえるのか?」

「そんなこと……言わないでよ……」


 彼は強引に扱っていた髪を、手放した。奏音はぼろ雑巾のように地面に落ちる。


「天音……天音……」

「……お前な、お前が介入することなければ月石天音はああならなかったよ」

「!」


 ――私が天音を……ああした?




 開け放しの扉を走り抜け、


「奏音!」


 倉島愛華が教室に到着する。

 だが、既に正常な思考力を喪失している奏音は十分に愛華に返事することができないでいた。今の彼女はというと、


「私が……天音を…………?」


 その言葉を呪文のように繰り返しているだけだった。


「違う! 月石天音は、誰のせいでも――」

「こいつのせいだよ」


 愛華の言を斎藤は中断させる。


「身の程をわかっていない委員長が首突っ込んで、焦ったあのバンドマンが、身内にも売りさばいた――その結果があれだ」

「黙れっ!」


 柄でもなく、愛華は感情を露にし、斎藤浩二に怒りを見せた。瞬間、彼の真後ろの机の木材が、高音を上げて割れた。一同の視線は、その愛華の憤怒と呼応するように舞い起こった現象に集中した。


「お前――何を」

「奏音、帰ろう? こんなところにいたら……だめだよ」

「離して……もう……嫌だ」

「奏音、深呼吸して……」

「もうっ――もう嫌だ――私が、天音を……大切な親友を……」

「違うっ、違うんだよ――奏音が調査をし始めた時には、月石天音は既に数度蒼薬ブルー・プリズムを使用していたんだ、だから、奏音の行動は関係ないんだよ?」


 愛華はそう言って、懸命に奏音を強く抱きしめる。

 愛華は悟る、奏音の心拍が激しく増加していることを――。


「奏音――かの……はうっ……」


 腹部に鈍痛が奔り、愛華は奏音を抱きしめられなくなる。それにつれて、愛華は酷く発汗していた。その痛痒は彼女の意識を朦朧とさせるのに十分なもので、愛華は今の前傾姿勢を保てなくなって、両手を地面につけてしまう。


「かの、ん……」


 視界が霞む中で、奏音が愛華の身体をすり抜けるのを止めることもできず、見届けることしかできなくなっていた。

 奏音は真っすぐに、部屋の窓際に進む。近隣にいた生徒は皆、逃げるように彼女の通る道を作り出す。それが彼女の進行に拍車をかけ、覚束ない足取りというのにものの数秒で道が開ける。


「委員長、そう悲観すんなよ、確かにここの奴らに味方はいねぇがよ……俺はなってやる」


 恐らく、その言葉が彼女を完全に変えたのだと、愛華は思った。


 一度だけ振り返り、愛華及び斎藤を見たその瞳は、今までの奏音のものではなかった。それは差乍ら、全てを諦めて、全てに絶望したどす黒い眼。彼女の精神は何度も打たれ、無理やり言い聞かすように回復させたかのように見せかけていた心が、遂にはそれでさえも誤魔化せなくなった。


「あはっ――あははっ」


 その果てに、奏音が見せた感情は泣くでも怒るでもなく、笑いだった。


 彼女は突如と笑い出した。


 何を思ったか、救いようのない級友を嘲ったのか、こんな運命を仕組んだ神を見下したのか、そもそも自嘲なのか――。

 そして奏音は窓を開いた。

 そこに躊躇はなく、足をかけた。


「奏音っ――!」


 愛華は全身の痛覚から身動きが取れない、だけど、動かなければ奏音はものの数舜後には、その身を空中へ投じかねない。


「誰かっ、誰か奏音を……」

「僕が行く」


 それは、今丁度教室へ戻った咲来蓮人だった。

 彼は一度も立ち止まらずに奏音の元へ向かう。奏音は既に窓の横枠を掴み、外枠に足をかけている。


「篠崎さん!」


 彼が手を伸ばし、奏音の腰を右腕で巻き込む形で、教室の内側に引き込む。


「早まっては駄目だ――君は冤罪なんだ、だから――」

「はははっ……ははっ、あはははっ」

「篠崎さん……?」


 彼は心底不可解に思っただろう、延々と奏音が嗤っているその様を。


「倉島さん……篠崎さんは?」

「遅かった、間に合わなかった……奏音は、奏音は……」


 篠崎奏音が――破壊されてしまった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ