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ひねくれ少女は自分の生きる意味を真剣に考えたい  作者: 日向日向
第二章「奏音の過去と愛の物語」
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「孤独な少女」

「…………」

「愛華?」


 今日、不思議な出来事が起こった。愛華が奏音の家に自分からやってきたのだ。

 それ自体に違和感がないのだが、いつもはロビー前までにとどまっていた。だけど今日は、自分から彼女の住む階層まで訪れて、わざわざ呼び鈴を鳴らすなんてそうないことだった。

 だけど、それは愛華が奏音の心理状態をよく理解しているからであった。


「……」

「行こう」


 奏音の側からのアクションはなく、愛華から行動を提案する。普段との逆転現象が起こっているのだ。


「……うん」


 ここから最寄りの駅まで歩いて、数十分の間、電車に揺られることになる。そんな中で今にでも沈みつつある彼女の手のひらを愛華はぎゅっと握り、先導した。そしてその一環として、普段は使うことはなかったが、女性専用車両に運ぶようにしていた。

 奏音としても、よくない傾向なのは十分承知している。だけど、まだまだ精神面の完治には時間を要しそうで。


「…………」


 愛華が何一つ文句を言わずに付き合ってくれるのが、有難いが、どうも申し訳なさが彼女の中で勝ってしまっていた。 彼女はいつも通りに気にしないで、とばかり繰り返すが……どうも何も恩返しができないのは心苦しい。今回の騒動が終息した後に、おもいきり彼女には美味しいご飯を食べさせてあげたい、と奏音は強く思うようになっていた。





 彼女が考えていると、最寄りの駅に到着する。

 すると、駅のホーム、ちょうど奏音たちが降りる場所に咲来が待っていた。


「咲来君、おはよう……どうかしたの?」

「おはよう、篠崎さん――少し、電車とか、この周囲の雰囲気がおかしくて」


 奏音は薄々と違和感を理解しつつあった。妙に視線を感じていたのだ。それも、単に好奇心からみられているというわけでもなく、むしろ嫌悪の対象として忌避されているように感じられてならなかった。

 女性専用車両だったから、男性の、奏音が恐れている視線こそはなかったわけだが。


「空気が異質なんだ。周囲が……まるで僕たちを腫れものみたいに扱うようだ」

「……奏音」

「大丈夫、行こう」


 怖気づいている暇はない。

 何もしていないんだから、と奏音は自分にそう言い聞かせた。





「…………奏音……」


 車内で感じていた奇特な視線はより一層顕著になる。

 偶然だろうか、その視線の全てが自身に刺さっているような気がして。

 怖い、正直に言うと、とても恐ろしかった。

 世界で唯一自分だけが孤立したかのような瞬間を彼女は感じていた。

 何が起こっている? 皆目見当がつかない。ただただ不気味が積み重なって、自分という存在があまりにも小さくなっていくように思えた。


 正門が近づき、生徒数が増加の一途を辿ると、自ずとその視線も強まるために、彼女の悪寒は身振もより一層に大きくなっていた。


「篠崎さん、無理はしないでいい、何があっても僕らのもとを離れないように――」


 かるが故に愛華は私と在ることを選んだのか――今までは学校での合流で事足りていた筈の彼女が、先んじてこの違和感を受けて危惧を感じ、彼女の家まで足を運んだのかもしれない。

 怖めず臆せず、が既に保てなくなっている、そんな自分がこれ以上も我を折らずに自分らしくあれるか、この光景に対面する前は当然に思えていた主張さえも揺らぐ程に、現在の光景は奏音に恐慌を与えていた。


 だけど、前のような一時的だが深刻な発狂を寸前で防げているのは愛華と咲来、何れかが傍にいて、自分が孤立する状態を回避させてくれているからであり、そんなぬるま湯にいたからこそ彼女はは少し自覚が足りなかった。嫌疑をかけられるということは、即ち白黒をはっきりとさせるために、自分以外の相手も相応に関係者として取り立てられる可能性があるということを。


「倉島、咲来」


 それは、先の尋問の時に私を訝しんでいた、体育教師。


「来るんだ」


 倉島は心を開いた相手としか対話をしない。その代わりに、咲来が相手する。


「何か御用ですか?」

「わかっている筈だ」

「では篠崎さんも同伴させても、構いませんね?」


 その咲来の恐れない提案に、少しの間考えるが、


「駄目だ」


 否定されてしまった。


「……奏音」

「…………大丈夫、大丈夫」


 彼らを見送ることしかできなかった。




 彼らが姿を消した瞬間、彼女の中の怖気が増大した。

 愛華と咲来という、頼れる友人が不在の今、奏音の心身は余りにも無力だった。

 二人が消えた途端、少しの遠慮という各々の良心の意識が一気に剥がれ、全ての視線が彼女に注目した。それどころか、口々で奏音のことを嘯き合い始めている。


(まさか……昨日のことが、もう校内に?)


 噂はある種の流行病のようなものだとは聞くが、想定外だった。

 なぜなら、まだ真偽は定かではないのだ。

 それなのに――。

 不特定多数がいる広場は駄目、彼女の事をを勝手知っている人が集まる教室へ急ごう。

 ここでは、衆目に耐えきれる自信がない。

 友人が多い、信用できるクラスに急ぐべきだ。


 そう言い聞かせ、俯き気味に彼女は教室へ急いだ。





 奏音にとって、委員長としての仕事は誇りだった。


 決して皆から歓心を買いたかったわけでも、内申点を稼ぐためなんかでもなかった。ただ直向きに、父のようになりたかったからだ。

 奏音に夫婦の諍いはわからない。きっと、長年一緒に暮らしているからこそ、双方に思うことはあるのだろう。だけども、私彼女はどんな姿であっても父を尊敬していた。

 自分にもその素質が継承されているのならば、そう生きたかった。

 彼女の行動で、繊細な時期に置かれている皆を少しでも導けたなら、これ以上のことはないと疑っていなかった。


「おは……よう?」


 だから、今日も同じ日々だった筈なのだ。

 少しばかり疑いをかけられても、それでも皆は交流してくれる、と。


 


 だけど、もうそこには奏音が思い描いている居場所はなかった。


 挨拶がない、別に気取るつもりはない。同学年に上下関係なんてもの、存在しないのだから。だけども、今まではあった。女子生徒ならば、信を置くか否かはそれぞれの胸中に留めるものだったが、挨拶はあった。嫌いだから拒絶するのは、小さな子供がすることで、責任のある大人に近い人たちがすることではない。

 なのに、誰一人も奏音と言葉を交わすどころか――一瞥さえもしようとしていなかった。

 恐る恐る自身の机に近づき、静かに荷物を置く。


「晴月さん、おはよう」


 晴月霞――クラスメイトの一人だ。割とクラスの顔的存在で、彼女も交流があった。知り合った経緯こそは天音経由だが、それ以降は体育の授業時などでチームを組むなどのこともあった。学外で遊んだことこそはないが、気心が知れているのだ。

 だが、今日は違った。

 彼女が話しかけるや否や、一度も彼女は私と目線を合わせずにグループの女子生徒たちを連れたって、その場を後にした。


(どうして……?)


 晴月はこのような露骨に人を避ける真似はしない筈だ。


(まさか……噂が?)


 ――教師が、昨日のうちに私が犯人であると生徒たちに報告したというの?


 ――信じたくない、だって……普通は秘匿していて当然だから。


 確証も未だないし、何よりも私が容疑を否認している段階で、明らかになっていい話ではない。

 そういう彼女の思考とは裏腹に――噂は既に学校中に伝播し、そして彼女自身では棹差すことのできない程に虚実が膨大になり、悪逆の、諸悪の根源とされてしまったというのか?

 今なお、耐えずにクラスメイトは私に届くような声量で、彼女の冤罪を口にしあっている。その陰口と直接な暴言の狭間の陰湿なやり取りに、一度収まった吐き気がぶり返してきた。


(みんな――私はやっていない!)


 その言葉を今すぐにでも口に出したかったというのに、口の紐を昨晩までのように器用に結ぶことが一切できない。それどころか、全身が鉛のように重い。


(ダメ……顔を洗う)


 この毒気に晒された奏音の精神は数える間もなく摩耗しきり、多量の汗となって噴き出していた。その動揺ぶりを肴に、皆はそれはそれは活気よく話すだろう――昨日まで肩を並べていたというのに、その信じ難い豹変ぶりにとうに自失してしまった。


 部屋を、足を引きずりながら飛び出した私は、近接する水道まで足を運び、咄嗟に顔の汗を洗い流す。だが、何度洗っても洗っても、汗が、禍々しく生じるその気持ち悪さを拭えずにいる。


(なんで……みんな)


 クラスの、受験期特有の不安定さとそれによって際限なく発生する行き場のない鬱憤の全てが、彼女の方向へ傾いた。“受験”という見えない脅威が日常を侵略するという現実は余りにも度し難く、造作なく学生の矮躯を蝕むのだ。その重圧に耐えきれない学生から精神病んでいき、自我を見失う。

 いかに着丈に振舞える学生でもその闇を平等に抱えているのだ。それを器用に抑圧させているだけで――その抑圧というのは、少しの刺激で簡単に崩れるというもの。その刺激、きっかけが……紛れもなく今回の騒動というわけだ。


 何も変哲のない朝、彼女は初めて学級という一見すると小さくも、少女には余りにも大きな世界から拒絶されてしまったのだった。

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