「ありふれた朝に、少女は変わる 後編」
「だけど……本当なのかな」
愛華の無事な帰還を待つ中で、此度持ち物検査が執り行われた経緯となった噂について深く考え、そして対話を続けていた。少しでも嫌な予感を紛らわせるためにも、奏音は頭と口を動かし続けた。
この学園に実物の蒼薬が存在するかもしれない、仮に事実であれば看過できない話だ。
蒼薬の影が、あの日以降立ち消えたが、それが嘘かのように再び奏音の前に姿を現した。その現実に、奏音の手は震えてた。それをもう片方の手でぎゅっと握りしめて、どうにか内なる恐怖を抑え込んでいた。
「彼は見張っている、何か派手なことをしている様子はない。もしかすると、共犯者か、それ以下の模倣犯かもしれない」
「そんな……」
「篠崎さんは無理をしない方がいい、これは僕が――」
「大丈夫」
再び魔の手に苦しむ人がいるかもしれないのに、それを何もしないで指を咥えてみているなんてできやしない。だから、彼女は彼女なりに恐怖を克服して、蒼薬を追いつづけるという強い意志があったのだから、彼の一言程度では彼女は止まらなかった。
そうこうしていると、数分が経過し、愛華が戻ってきた。
「どうだった?」
「すぐ終わった」
それもそうか、彼女にやましいことは万が一にもないのだから。一難去ったと奏音は一瞬間だけ安堵した。
「だけど」
彼女の思わぬ言葉に、奏音は若干の焦りを抱いた。だが
「だけど?」
「何も入っていないの、怒られた」
「あー……」
それもいらぬ心配だったと知った。
大抵の人が持ち物検査で危惧することとは全く逆の問題が、彼女を襲ったようだ。
確愛華の鞄は新品同様で、おかしいほどに汚れがない。それに中も新調したてのままで、まるで使用している形跡が見当たらない。鞄を持たずに門をくぐるのが難しいという理由で半ば嫌々肩から掛けているが、鞄に何も入っていないのだ。
鞄を先に預け、そのうえで結果を知らされるわけだ。咲来の時は、彼が所持していた暇つぶしの書籍や財布類、教科書や筆箱などのごく一般的な学生のそれが机に並べられていた。それに対し愛華は何もなかったということになる。
「ま……次から気をつけよ?」
「……うん」
それにしても、と奏音と咲来はやや不思議に思うことがあった。
「順番的には、篠崎さんの順番はきてもおかしくないのだけど」
既に五十音順で“す”の人が呼び出され悲喜交々な様相を繰り広げている。
どうしてだろう?
「そういえば、何か廊下が騒がしくないかい?」
「確かに……」
何やら教師陣が異様に騒ぎ立てている様子だ。若手の教師が廊下を右から左、左から右に駆け回って壮年の、老年の教員と事実確認を繰り返している様子だ。その光景を不思議に感じた霧谷でさえも教室を出て、近場の教員に状況を問い始めている。その光景が彼女にはまるで意味が解らなかった。
「なんかあったの?」
愛華に問うと、彼女も予期していない事態のようで……ずっと窓から廊下を眺めているばかりだった。
いや、彼女だけではない。
困惑はあっという間にクラス中に伝播している。そして、生徒同士が口々に雑談を開始している――このままでは喧騒まで起きかねない、ここは今のうちに収束させないと、それが私の与えられた仕事なのだから。
「みんな――」
「篠崎奏音!」
奏音が皆に声をかけようとする前に、体育教師は彼女の名を強く叫んだ。
その大きな声に、クラス内の騒動はたちどころにかき消された。それほどの迫力が、彼にはあった。
「先生……?」
「来るんだ」
そこに奏音の意思を問う様子はなかった。
彼は、彼女の腕を鷲掴み、腕に痣が残る程の乱暴さで引いて、指導室まで連れたのだった。
「えっと……先生?」
指導室には、体育教師だけではない。教師陣の中でも、重鎮級が一堂に会していた。卓上には彼女の鞄だ。ぱんぱんに詰められていた書籍は綺麗に並べられている。それだけを観察するのではなんら問題ない。
だけど、教師陣は皆が皆、神妙な面持ちだった。
「篠崎奏音、これらは君の持ち物で間違いないかね」
真正面に坐する教師……彼はそう何度も対面したことはないが、彼女は知っている。学園の理事長だ。
「はい」
「単刀直入に言おう、君の鞄を検査していると、これが発見されてね」
彼が鞄の奥から、出していなかっただろう物体を取り出す。
それは真空パックが張り裂けそうになる程に充填されていた。そこに満ちているのは、粉末だった。それそのものだけで青い光度を持ち、少しでも光が照射されれば、即座に目が眩む程の煌めきを放つ艶麗な結晶。
「君がこれを所持していた、それは間違いないかね?」
「いいえ」
私は戸惑わずに否定する。嘘でない、偽りのない真実を。
だけど内心は、動揺に支配されていた。何故に所有している筈のない蒼薬が自分の荷物と同列に並べられているのか――見当がつかなかった。
「私のではありません」
「だったら何故鞄の中に入っていたんだ!」
遂にしびれを切らした体育教師が叫ぶ。
だけど奏音は怯まない――不必要な怒声で相手を委縮させる、その体育教師の手法を知っているからだ。そしてそれが非合理的で、いい結果をもたらさないということも同時に理解していた。だから奏音は冷静沈着に、真実を受け答えた。
「わかりません、誰かのが何らかの不手際で入れる鞄を誤ったか、或いは何処かにあったそれが落下して偶然私の鞄に入ったか、考えられるのはそれくらいでしょうか」
当然、否定はするが、下手な否定は無関係な級友を面倒事に招きかけない。教師側とて十分に特定することが出きていないだろう。徒に余計なことを言ってしまえば、無関係者に罪を擦り付けられてしまう。
「この薬を知っているのかね?」
この薬――傍らの本学の校長がそう質問した。
既に彼奴等はそれらが如何なる投薬物かをある程度熟知しているようだ。
「噂程度ですが」
「君のではないのだね?」
「ええ、先ほどもそう申しました」
「そうか」
理事長相手に隣の教師たちは何やら耳打ちをしている。対し、体育教師はさも不服といったような表情を強くし、怪訝に奏音を常時睨みつけている。
「最近、霧谷先生が君たちと何やら自主的な活動をしているようだね、それとは何か関係があるのかね?」
理事長は、霧谷独自の活動を理解しているようだ。そして、それを快く思っていない様子を彼女は察知した。
「霧谷先生に協力しています」
「事実なんだね?」
「はい、皆を思っての、最善の行為だと疑っていません」
「……そうか」
理事長を始め、そこにいた教師は奏音に今日は教室に戻らず、帰るように指示した。
(何がどうなっているの?)
奏音は皆目見当がつかなかった。
何故、自身の鞄の中に蒼薬なる危険物が含まれていたのか。彼女は頭脳を総動員させて、考えられる可能性全てを試行してみた。が、納得のいく結論は得られずに終了してしまう。
(まさかクラスメイトが持ち込んだなんて……)
「奏音」
彼女が少し早く帰路についている最中、愛華と咲来が追い付いてきた。
「どうしたの?」
咲来の問いかけに奏音は地面に視線を落としつつ答える。
「……困ったことになった」
奏音はその身に起こった不可解な事態を包み隠さずに報告した。
「…………」
「もちろん私は――」
「言わなくても大丈夫さ、それは僕らが一番わかっている」
咲来の発言に、愛華も肯定した。
「違うの、私は当然やっていない。そうじゃなくて……何か感じるの」
「……斎藤たちに動きはない、けれど――警戒はしておこう」
咲来が先に前進する中、愛華は私の制服の裾を引っ張ってとめた。
「愛華?」
「奏音」
「……?」
「明日は、学校に行かない方がいい」
「愛華……」
愛華の心配はもっともだ。
何かの作為的なものが感じられる。誰にでもわかる見え透いた陰謀が蔓延っているという確信があった。
「でも、大丈夫だよ」
ここで逃げては――陰謀を企んだ者の思う壺だ。この身ある限り、絶対に休んでなるものか。
空元気で危惧を誤魔化すように振舞った。
彼女の提案を汲み取るべきだったのかもしれないが、このタイミングで欠席すれば――きっと噂は悪しき方向に加速してしまうのではないか? 奏音はそういった可能性の方が深刻であると踏んだ。
なに、大丈夫、自分には愛華と咲来がいてくれる。以前とは違う、援軍がいる――彼女はそう言い聞かせることで若干の自信を取り戻し、しっかりとした足取りで巨悪に立ち向かう覚悟を決めることができたのだった。
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