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ひねくれ少女は自分の生きる意味を真剣に考えたい  作者: 日向日向
第二章「奏音の過去と愛の物語」
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「小さな救い」

色々なことはありましたが、カノンさんにもきっと救いの物語は訪れます。

なので、そこまで付き合ってくだされば幸いです。

 その閉鎖された箱の中に希望なんてなかった。少なくとも、篠崎奏音が希ったものは存在していなかった。

 彼女が連れられたのは、街の外れの廃工場。

 そこで受けた仕打ちといえば、かつてアニスが受けたそれと大きな違いはなかった。

 せいぜい……五体満足で解放されたくらいにすぎない。



 まだ秋口の十月とはいえ、硝子のない窓から吹き込む夜風もあって、日が暮れると薄着では体が堪える。そんな場所で意識を失おうものなら、体の芯から冷え切ってしまうのは当然の帰結と言える。まして彼女の衣服は斎藤たちの手によって剥がれされた――そこに体温低下を妨げるものはない。斎藤たちが満足してか、どうかは今の彼女にはてんでわからないが、立ち去って数十分が経過し、その間は意識を失っていた。こうなったら体調を崩しても文句を言えないだろう。

 もっとも、それ以外の厄介な病気を患ってそうだとも彼女は感じていた。今のところ、全身に残留する痛覚以外には思い当たる病理の類はない。とはいっても、最早体が動かない今では、むしろ下手な病理の方が厄介ではないのかもしれない。

 だけど、そういった奏音の想定とは異にし、身体が左程冷えてはいなかった。

 蒼薬ブルー・プリズムの影響か……体温が一定の水準を下回ることはなく、凍死だけは免れている。


「…………」


 動かない身体でも、唯一動かせそうな瞳孔を彼女は精一杯に働かせる。そして、視界の範囲内の皮膚をぼんやりと観察する。

 天音のように異変を起こしている様子はない。


(……いっそ、天音と同じ病室に並びたかった)


 これは天音に悪い……とも奏音は思ったけれど、それ以上の思いは浮かばなかった。体温低下が極僅かということもそうだが、弊害としてか、思考やら集中力らが散漫だ。大脳内に大渦が発生したかのように、幾つもの記憶が主運用されている型の境界が崩壊し、正しい順序で結べなくなっていた。


(ていうか……誰か、いる?)


 気が付くと、誰かが身体に触れているのに気が付いた。


(飽きずに残った男か……もしかしたらこの廃工場に居ついてる人か……)


 違った、僅かに鼻を擽る香りは男性のものではなかった。

 今だけはどうしてか、花畑に深く眠っているような心地よさを感じたのだ。先までは、鼻を切断したくなる程の悪臭の生む地獄に身を置いていたというのに。そして同時に、一瞬伝ったその香りに、彼女は覚えがあった。


「倉島、さ……ん?」


 視力が不完全な状態だが、目を細めてすぐ傍にいる人物を当てる。


「…………」


 彼女の横にはバケツがあった、瞬間、奏音は怯み、仰け反る勢いで後ずさる。

 彼女の異様な萎縮ぶりに、愛華も動揺を感じているのか、どう声をかけるのが正解か自身もわかっていないのか――瞳を泳がせていた。

 愛華は、悩んだ結果最初の予定通りに計画を進めようとし始める。

 まず彼女はバケツの中に手を入れる、冬空だというのに顔を一切顰めないのは、熱湯だからか、それとも彼女は誰よりも特に喜怒哀楽の変化に乏しいから、仮に手が悴む程の冷水にあてられても表情が変化しないからか。彼女はバケツからタオルを取り出して、絞る。ある程度水気をとったら、すっと音を立てずに倒れる私の傍にちょこんと座り、その手で奏音の顔や手、曝されている全身に付着した体液を丁寧に拭き取っている。

 決して地肌が痛まないよう、だけど入念にこの体に付着した汚れた液体を落としていた。


「駄目だよ……こんな汚い体に触ったら……」

「汚くなんてない」


 回答に時間はかからなかった。

 愛華らしからぬ言動だ。いつもの彼女ならどうあっても一拍子遅れる。乏しいこそあれ多少は見られた喜怒哀楽が働いていても変わることはなかったというのに。


「ごめんなさい」


 そして矢継ぎ早に愛華が用意した言葉は謝罪だった。


「ごめんなさい」


 その言葉に流石の奏音も驚いて、彼女の顔を伺ってしまう。


「ごめんなさい」


 彼女の表情にさしたる変化はない。普段通りの無表情だ。だけども、私の気のせいだろうか――ほんの少しだけ、彼女の瞳が潤んでいたように見えた。


「見つけるの、遅くなった」


 愛華が続けたのは、自責の言葉だった。自虐の文言、そのもので。


「ずっと探した。だけど痕跡も、何も見つからなくて……」


 彼女曰く、今の今まで街を東奔西走していたそうだ。


「一時間前に、やっと……痕跡を見つけて……」

「痕跡?」


 奏音は救助信号を出していない。彼女は何を掴んだのだろうか、見当がつかなかった。

 会話を続けながらも女は尚も拭き取る手を休めることはなかった。


「斎藤君と会って、誰も助けが来なくて、それで蒼薬ブルー・プリズムを打たれて……」

蒼薬ブルー・プリズム……身体は?」

「すごく熱い。あと、頭もよく回らないし、ちょっと痛い、かな」

「それ以外、副作用は?」


 奏音は首を左右に振って否定する。


(ダメだ、やっぱりうまいように話せない。)

 

 だけど拙いながらも伝えられることはあるはずだ、奏音は力を振り絞って愛華に告げる。


「……倉島さん、謝るのは、私の方」

「それは」


 それは違う、愛華はそう呟くつもりだったのかもしれない、だけどそれを遮ってでも奏音は彼女に謝罪をしたかった。


「倉島さんは冷静になれって、私に、言ってくれたよ? 私もそれを……聞いていたのに、倉島さんの言いつけを守らなかった……その報いだよ」

「謝らないで」


 彼女は責め立てることはなかった。

 いっそ自分を否定してくれたら、どれだけ気が楽にできたか――倉島愛華は優しかった、が、その無垢で純真な優しさが、むしろ追い詰められているようで――奏音は苦しかった。

 未だに、女性器の痺れが止まらない。鎮痛剤が欲しいが、処方してもらうには第三者にその仔細を解説しなくてはいけないが……とても話せるわけがなかった。婦女暴行事件はその検挙数に対し訴訟数に差があると聞くが、その実態はこういうことか――多数の、赤の他人である裁判官に事件の経緯を再度解説しなければいけない、それは当事者にとって公開処刑に等しい。

 思い出すと、また無性に吐き気を催してきた。


「ごめん……倉島さん、少し、吐きそうだから……壁かどこかに……」


 それを聞いた愛華は、やはり普段では想像できない足取りでバケツに残ったお湯を側孔に流し、彼女の口元、首を無理に動かさなくて済む場所に設置する。そして彼女はその足で奏音の背中に回り、背を自分に預けさせる形で担ぎ、いつでも嘔吐ができる態勢に整えた。彼女のその動きはヘルパーを彷彿とさせる程に無駄がない滑らかな挙動だった。


「うっ――」


 それを受けて安堵したか、奏音は溜まっていた全てを吐瀉した。


「おええっ……」


 一部には白濁液も含まれており、それを目にする都度、先までの光景がフラッシュバックして――


「ううっ……どう、して――どうして、どうして……」


 つられて涙も止まらなくなる。

 すると、彼女は背中を延々とさすった。

 そんな彼女に対し、奏音はただただありがとう、としか呟くことができなかった。


 彼女は、身体のある程度の部分を拭き終えるも、ある場所だけを残して止まってしまった。彼女なりに気が引けるようだ。


「ああ……そこはお風呂に入らないと、ね」


 蒼薬ブルー・プリズムの影響か否かは判別ができないが、尚も体の自由が利かない。寝返りを打つ、腰を壁にもたれさせて座る程度はなんとか熟せても……立ち上がって、この場所に来た時のようには歩けないでいる。だから、多分日が変わる前に家に帰るのは無理そうだ。


(どうしよう……友達の家で外泊なら誤魔化せるけれど、どっちにしろお風呂にも入らないといけないから……動けるようになったら、マンガ喫茶でも……)


 その時だ、愛華が奏音を背に、おんぶをし始めたではないか。


「く、倉島さん!? 何を……?」

「お風呂」

「そ、そうだけど……私、重いでしょ……?」


 体格差は彼女の方が一回り小さい。奏音を担ぐことの過酷さは考えるまでもなかった。

 だというのに、彼女は首を振って否定したではないか。

 奏音の重さを気にしていない様子の彼女は、どんどんと困惑する彼女を運んだまま出口を目指していく。


「どこにいくの……?」

「家」

「え?」

「私の、家」

「えええ!? 悪いよ、親御さんも――」

「大丈夫」

「えっと……」


 ――愛華さんがいいのなら、お言葉に甘えるべきなのかしら?


(確かに、身動き取れないし、服もボロボロだし、というかはっきりいって私の身体からは異臭がするだろうに。この年齢だから、もしかしたらマンガ喫茶も利用できないかもしれない。今の私は迷惑どころの何者でもないというのに……)


 奏音の自虐は留まることを知らずにいた。そしてそれを愛華は無理に我慢していると思うと、苦しくて堪らずに


「倉島さん……今の私、臭くない?」


 そうやって何度も同意を求めた自虐を重ねるばかりだった。


「気にならない」

「……ということは、少し臭うのね……」


 すると彼女はぴたりと止まって。


「……ごめん?」


 奏音の方を覗き込む。


「あ、気にしないで。事実なんだし、だけど倉島さんが無理をしてるなら……」


 言い終える前に彼女は歩きだしたものだから、危うく舌を噛みかけた。

 無理に喋らなくていい、ということを愛華は伝えたいのだけど、実際のところ上手い様に伝わっていなかった。


 薄汚れた奏音の臭いとは対照的に、倉島は実に心地よい草木や草花、自然を感じさせる暖かい匂いが絶え間なく続いていた。また、いつの間にか普段通りの鷹揚とした倉島愛華に戻っているのもあって、彼女の私の運び方が物凄く揺り籠を彷彿とさせられた。そんな心地に奏音は異様な眠気に誘われてしまった。


「ごめんね、倉島さん……少し……眠る、ね……」


 そして彼女は、力尽きるように眠るについた。

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