「”ひねくれ”は突然に」
ひねくれシリーズ中編です
次回でいい意味でも悪い意味でも物語に転機が訪れます!
「咲来君、昨日はどうだったの?」
少しの合間、手持ち無沙汰な奏音は――襲い掛かる様々な事実によって失念していた一つの懸念、咲来の調査結果を問うた。愛華は尚も私の裾をちょこんと掴んだままだけど、先ほどのように席を外すことはなかった。
調査結果、とはつまり咲来が天音の彼氏を尾行していたということに対するものだ。それを上回る出来事で有耶無耶になっていたが、絶対に無視してはいけない話だ。天音に何があったか、それを知る重要な事実となるかもしれなく、奏音にとっても捨てることのできない情報なのだ。
「彼をできる限り尾行したよ、あの後彼はレンタルスタジオに滞在して、そのあとバーに向かう姿を確認できたけれど……流石にレンタルスタジオ内には潜入できないけれど、バーでの彼の動きを知ることはできたよ」
「ま、まさか、入ったの?」
彼女が動転してそう問うと、彼は頷く。彼は話を続ける。
「残念ながら僕たちが知りたかった行動をすることはなかった。だけども……」
「だけども?」
「彼……相当女癖が悪いよ」
バーでは、彼は複数人の女性が彼の周りにいて、何とも意味深長な表情をそれぞれが浮かべている様子だったそうだ。また、一部の女性はほぼ密着といっても過言ではない程に、バンドマンの傍にいたとのことだ。
「ああもう……」
やはり天音はまたも最低な男に惚れ込んでしまっていたようだ。
だけど、単に彼の人間性のみで流通の主犯格かを断定することはできない、正直なところにしたいけれど。
(咲来君は、霧谷先生に斎藤君に関することを言えずにいる……)
気持ちは理解が十分にできる。が、現実的な話、八方塞がりな中で彼の一件に関してのみ白も黒もついていない。
(早急に彼の白黒をはっきりさせないと……)
ふと、咲来が昨晩行ったやり方を奏音は思い出す。
咲来の行った尾行のやり方を真似、斎藤を尾行する。そうすれば重大な証拠を掴めるかもしれないし、潔白さえも証明できるかもしれない――彼女は次々にそういった模倣の案を思いつく。
(時間がない、悠長に中毒者を観察してレポートにまとめているなんて……今だって、薬の蔓延が拡大しているというのに……)
実際問題、霧谷は表立って手荒な行動ができないというのもあって、進捗が芳しくない事実が露呈し始めている。今は、濁すように打開策を考える名目で時間を浪費しているだけだった。
(私が突破口を見出すんだ)
咲来だけに負担は追わせられない。
奏音は未だ何も貢献ができていない自分を強く責め立てていた。せめて、あらぬ疑いをかけられている斎藤の疑惑を晴らしてみせる、そう彼女は方針を固めた。
「では、放課後また病院に向かおう。今日は担当の先生に話を聞くこともできるし……」
霧谷の話はあまり頭に入らなかった。
彼女は酷く焦燥していた。
でも、最後まで信じたかった。例えどのような人間でも、無自覚かもしれなくとも、必ず心の根底には善意があると。
担当医の話は、やはり彼女たちが求めているような情報ではなかった。
専門用語で大人の都合を暈されているだけだ。要するに、公的な予算の配分が乏しいのだろう。それも理解ができる、未公表な機密事項、それでいて有効策が発見されていない最早オカルトの領域の現象に有限の予算を割り振るくらいなら社会問題と化している認知症やがん治療にその公費を割り振った方がリターンも大きい、という主張だ。
全面的に奏音らの当初の予想通りな見解だった、医師側も本腰をまるで入れようとしないし、患者側も何も言えない。双方に意思疎通が一切取れずに、邪悪な種も切除できない。この人たちは治療法を確立することができないのだ。そもそもの熱意がそこにないのだから、発見できるものも発見できまい。
目くじらを立てても仕方あるまい――其処に一抹の期待を寄せること自体が間違いだ、奏音は割り切って彼らへの期待を捨てた。彼らは当事者ではない、彼らにとっては天音も、一人の患者――もっと身も蓋もない言い方をすれば、都合よく金を落とす客に過ぎない。彼らに結果を望むこと自体、愚行なのだ、と。
空き時間に、少女ら二人は天音の病室――といっても、峠をいくら超えたとて予断を許さない状況は猶も変わらないため、直接の対面はできない――を訪れた。だけど、霧谷のいう『峠を越えた』というのは事実らしく、集中治療室の様子を観察できる硝子越しで様態を確認することはできるようになった。だが、そんな遠めの観察からでも彼女の様態が芳しくない以上に、予想しがたい挙動を見せているのを、ここにきて初めて彼女は気づく。
「どういうことなんだろう……」
奏音は、彼女の今なお進行している病状を見て、疑問を隠せなかった。
「地肌が、再生している?」
発見当時の彼女は、皮膚が水分不足の樹木のように干乾びて、ぼろぼろに崩れかけていた。だが今はというと、よく知る天音の姿そのものだ。意識は尚も回復しないが、だが明らかに小康状態だと断言できる筈だった。
「でも、どうして未だに集中治療室に?」
小康状態になったなあ、もう一般の病室に移動されてもおかしくないはずだ。それに、面会だって可能になってもおかしくない。
考察が纏まらない奏音とは対照的に、愛華は何かの発見があったのか、天音を指さす。
「右の掌と首筋」
愛華の言うとおりに視線をそこに送ると、彼女が治療室から出されずにこのような状態になっている理由を知ることができた。
「肌が……振動している?」
愛華が指摘した掌と首筋、其処の肌が面妖に揺れている。その様子は海上の波のようとも言え、その波が全身を巡回しているようだ。その巡回が落ち着くと、波が通過した肌の箇所がなんと、昨晩発見した時と同様の角質化した崩壊寸前に肌に変容しているではないか。
「……これは……どういう――」
その時、
「きゃああああああああああ!」
二枚構造の非常に厚い硝子越しからでもはっきりと聞き取れるような声量で天音は絶叫した。それはすぐに分かる、苦痛による悶絶だ。
「天音!」
集中治療室内の医師や看護師が形相を変えて病室中を駆け回り始める。
錯乱状態に陥ったのか、天音がベッドの上から転倒しそうな程に暴れ始める。すると、病衣が簡単に開け、彼女の肢体が露になる。が、先の波は既に全身を縦横無尽に駆け巡っており、その都度肌の崩壊範囲が拡大していく。そしてその波は、彼女の、私なんかよりもずっと綺麗な顔にまで及び――。
「!?」
突然、奏音の視界は覆われた。
愛華による機転を利かせた行動だった。彼女の両の手が奏音の視界を完全に塞いだのだ。
彼女は奏音の膝を崩し、地面に座らせた。丁度硝子の向こうが見えない位置に、だ。何故そのような行動に至ったか、原因は明快だ。
「見ちゃダメ、これ以上は」
「倉島、さん……?」
愛華の手には、タオルが握られており、それでそっと私の額から首元にかけての汗を拭きとる。そこでようやく彼女は自覚する、酷く汗をかき、服を濡らしてしまっている自身の状態に。
「……ありがとう」
タオルを受け取って、自分で満足のいくまで顔を拭う。
そして彼女は私の荒れた呼吸が元に戻るまで、奏音の身を懸命に抱きつづけた。
そこからは、先までは許されていた面会も強制的に終了させられてしまい、結局また、様態が分からない廊下でただ回復を祈ることしかできなくなってしまった。
「倉島さんは、どう思う?」
「様態?」
「そう」
現代医学の病理とは想定言い難い、怪異のような奇天烈な現象。天音に起こっているすべてのことを、彼女に問うた。その意味がないのも理解しているが、でも奏音は聞きたかった。答えは決まっている、と思ったが、予想外の言葉を倉島は並べ始める。
「奇病……人が人でなくなる」
「蒼薬の副作用の……奇病?」
「奏音は、天音さんの変容した肌を見て、どう感じた?」
「どうって……」
肌が角質化した――いや、硬質化が正しい表現かもしれない。余裕のある肌の表皮が収縮し、網目を為すようなその外見を例えるならば……、
「樹木……?」
「そう、月宮天音は蒼薬の過度の投与によって、人と植物の中間を揺蕩う不安定な存在になってしまった」
「待って、わけがわからないわ」
突拍子のなさに奏音は混乱して頭痛を起こしそうだった。
「副作用なんだよね? なのに……そんなのありえないよ」
「蒼薬は、単なる覚醒剤や大麻みたいに精神を高揚させるだけの薬物ではない」
愛華は、これ以上天音を見て、奏音が再び幻覚を見始める前に連れ出そうと手を引いた。彼女が僅かに抵抗するも、それでも強引にこの部屋から連れ出すことをやめなかった。愛華の膂力は予想以上に強く、引き摺られる形で外に出される。
「蒼薬は、使用者の人間の素質に干渉する」
――何だ、倉島さんは何を言っている?
理解ができない、話の飛躍具合故か、脈絡のなさ故か――現状で、倉島の言葉の意味が何一つと彼女にはわからない。
――可能性に干渉?
それはつまり、少なからず天音がこうなる可能性があったということだろうか。
「天音が……植物になる? 駄目、まるでわけがわからない」
現代科学に対する一般的な知識は有しているけれど、如何なる分野でもそのような種族を超越した反応は確認されていない。種族を超える話など、現代科学の範疇ではない。そんなの――奇跡か何かではないか。
「もっと正確に言うと……今は制御できていないけど、体を植物に変異させる力を彼女は得ることとなる」
愛華は何故ここにきて妄言と捉えられても不思議でない言葉を並べ始めたか――彼女がこういう場面でふざけるような人間ではないことは知っているからこそ奏音には理解不能なのだ。
(わからないことだらけ……)
一人で考える時間が欲しい。今日は先生と合流しよう。自分は疲弊して、何かを見失っている……何となく、奏音にはそう思えてならなかった。
奏音はすっと、立ち上がり、出口の方を向いて愛華に、
「帰ろう――ずっとここにいたいけれど、そうはいかないから」
そう告げた。
すると、愛華は何も言わずにただ一度だけ頷いた。




