「それはきっと今日だからこそ その2」
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全て奏音の描いた都合のいい現実――虚構の光景。
倉島愛華の観測している事象と篠崎奏音が観測している事象は対極に位置するものだった。奏音が抱いたのは天音が”安息”であるという虚実。方や愛華が感受したのは一切の脚色の無い現実、月宮天音が人たる定義を外れた固形物へとなり果てている事実。それがどうして合致できようか?
結果として、奏音は蓋を開くまで現実から目をそらしてしまっていた。
天音は、とうの前からこの状態で、それを知らない彼女はいつからか“天音が元気にしている”という根拠のない妄想を浮かべて、一人、揺れ動く自我を安定させていたのだ。天音が巻き込まれるなんてない、天音は強い子だから――いつしか天音に対して築き上げていた羨望や憧憬が、予想以上に膨れ上がっていた。それは、最悪の事実を無理やりに、そして無意識に歪曲させてしまう程に。
唐突に冷や水を浴びせられたように、今度はこの光景が鮮明に眼窩に映されだす。そして遅れて、世界の景色も変わっていく。赤の斑模様――そういった絨毯と認識して気にも留めていなかったそれは、血液の飛沫。意識の外にあった鼻を着く臭気やそれらに群をなす蠅、それらが天音だったものに集中していること。現実逃避が収まると、堰き止められていた情報が濁流となって押し寄せた。
力をかければすぐに風解してしまいそうな、粉々に地肌が乾燥した彼女の右腕をそっと、持ち上げた。
「天音が……こうなっている間に、私はずっと……ずっと」
--目を背けていたんだ。
--その結果が、その顛末がこれだというのか?
--そう思うと、自分の浅はかさで――心臓が握りつぶされそうになる。
「これが蒼薬」
愛華は動揺の素振りを見せない。彼女は感情の起伏にこそ乏しいが、間接的とはいえ親しかった人物の悲劇に何一つと思う事が浮かばないような子ではない――彼女の玄関を通ろうとする私を静止したのを見るに、彼女なりの精一杯が、今の冷静さにあるのだと彼女は思った。
「蒼薬、か」
身近にあって、熟知していると錯覚していた薬物の真なる脅威。
「中毒症状、典型的な」
「天音が中毒者? でも……」
泣いてばかりではいられない、袖で涙を拭って彼女に協力する。
初めて斎藤浩二の父が理事を務める病院にて蒼薬中毒に陥った学生たちを見てきたが、このような体内の水分が干上がるなんて症例は一人といなかった。錯乱や憔悴、精神的な疾患が訪れたり、体が痩せ細ったりする程度で……このような、生命維持が困難になるほど体が破壊されるなんていう例はそうなかった。
「蒼薬は、未知数。可能性も、副作用も」
「未知数……」
天音が未知の副作用のモデルケースだというのか?
その時だ。
救急車のサイレンが天音邸の前で静止した。ほどなくして、救急隊員が部屋に押し寄せる。だが、その現場慣れしているだろう歴戦の隊員でさえも、部屋に踏み込んだ瞬間は絶句と衝撃でその歩みを止めた。
が、ものの数秒で迅速な処置に動き出す。
通報者に当たる奏音たちは、救急車による同伴を許可された。
体を傷つけないように担架に乗せられた彼女は、尚も言葉を発することも、彼女の知る快活な表情を見せることもなく――水分がかろうじて残っている虹彩は淡々と救急車の単調な天井を見通していた。
「ねぇ、倉島さん」
「ん」
倉島は、天音に落とした視線を私に戻して聞く姿勢をとる。
「倉島さんは、蒼薬について私よりもずっと前から知っていたの?」
こくりと、彼女は肯定する。
「それは、倉島さんも使っていた、ということ?」
すると今度は明確に否定した。
「噂」
「噂、か」
かくいう奏音だって当初は咲来や霧谷が掴んだ噂を以て蒼薬の存在を知った。ある程度の緘口令は敷かれているだろうが――そもそも人の口に戸は立てられない。愛華が何処かから情報を掴むことくらいはできそうだ。
「手に入れるのは容易」
「……そうなんだ」
車は尚もサイレンを鳴らしながら道路を疾走していく。少し揺れるたびに、天音に意識を向けてしまう。
「安価、それに経路は豊富」
「そっか」
天音は、何を思っていたのだろうか。
「天音」
愛華は天音を見る。
「使用は、自分の意志?」
奏音は一瞬間の余白の後に、すぐさまに否定した。
「私は、きっと巻き込まれたんだと思う」
確かめる方法はない。真実を知るのは、彼女のみ。
「天音、ほんと好きになった人には弱くなっちゃうから――優しくなっちゃうから」
だけど天音が自らこれを使い続けたとはとてもではないが思えなかった。
恐らく彼氏、あのバンドマンが関わっている。それに彼を守るために、蒼薬を使用せざるを得ない状況になって、天音は使用した。が、いくら胆力があろうとも蒼薬の中毒性に抗うには限度がある。度重なる使用は着々と天音を中毒状態に導いた--奏音はそう推察した。
「倉島さんは、蒼薬の副作用や効果を打ち消す薬があると思う?」
例えば副作用を緩和させたり、中毒症状を紛らわしたり、特効薬とまではいかなくとも蒼薬の主たる脅威を排除することができる薬を、流通させた人間は知っているのではないか--その結論に至るのはそう難しい話ではない。
「見たことない」
流石の愛華も、それは知らないようだ。
隣に座る彼女の表情が心なしか、沈んでいる気がした。
(倉島さん……)
--駄目よ、私が気を揉んでしまっては、彼女に悟られてしまう。
彼女は他者の表情の機微に敏感だということを、最近の交流で奏音はよく知っている。
だからこそ、弱い側面を露にしてしまっては、彼女がそれを受けてしまう。
(……ここでまた悩むだけでは、さっきと同じ失敗をしてしまう)
誤魔化し、自分が受け入れられない現実をあたかも問題の内容に捉えても、その先にいい結果なんてない。天音は大丈夫、と言い聞かして現実から目を背けるだけでなく、天音を言い訳の道具に使ってしまっていたのだから。その結果が、これだ。
--そうあってはならないのだ。
--天音の為に、天音のような中毒者を出さないために。
「倉島さん、警察は天音の件で蒼薬規制に動き出すと思う?」
愛華はその問いに対し、沈黙した。だから先んじて、奏音は彼女の掌に自分の掌を重ねた。彼女が欲しいのは遠慮でも、優しい言葉でもなかった。現実的でいて率直な意見だ。それを彼女に伝えなければならなかった。だからこそ、奏音は言葉より先に行動で彼女に示した。
私が掌を重ねたことで、愛華の髪がふわりと揺れた気がした。そしてゆっくりと愛華は言葉を結ぶ。
「あの病院以外の、場所の患者が、必要」
あの病院、とはほかならぬ斎藤の父が理事を務める、中毒者を集中させている病院だ。
「病院内で蒼薬とその中毒者が隠匿される」
「やっぱり……」
「仮説、私の」
愛華は根拠がまだ不揃いなのを補足した。
「単に、治療法の共有不足、かも」
もしかすると、事前に他の病棟に運ばれているのかもしれない。が、治療法が確立されていないので結果として、斎藤父の病院に搬送されているのかもしれない。
(……確かにまだ偶然の連続という可能性を否定するに足る要素はない。けれど、そんな行き過ぎた偶然は偶然とは思いづらい。作為を感じる)
今だって、真っすぐに救急車は山道を進んでいる。
此処に至る最中で、総合病院は存在しているというのに、そこに寄る素振りさえも見せずに真っ先に中毒者が集中する病院へと向かっている。
到底、偶然の産物とは思えない。無茶である。
「到着」
愛華が告げると、車両は通用口を通って、停止する。
そこからの流れは、なんとも素早かった。
主治医と思しき男性とその一団が天音を集中治療室へと運び、予断を許さない緊急手術が開始された。当然ながら同伴者たちは追い出され、外でそれを待つこととなる。
「……」
いつの間にか、愛華は買い出しに出向いていて奏音にも暖かい紅茶を買ってきてくれた。感謝を述べて、それを彼女は飲む。
(……咲来君から連絡はまだない)
天音の様態を細かに告げた。蒼薬の影響で中毒となっていることも、全て。
彼からの返信も、着信も未だ届いていない。
咲来は今、あのバンドマンを尾行していると言っていた。無事であればいいけれど……。
「…………」
愛華は、自身で購入した果物ジュースを飲み始めている。
「倉島さん」
「……?」
「協力して」
愛華は、多くを聞かなかった。
「これは危険なこと、無理にとは言わない、下手すると天音のような――「わかった」
そして、多くを語ることもなかった。
「ありがとう、霧谷先生も、咲来君もいるから……きっと解決できるよ、頑張ろう」
決意を固める。
もう迷っていられない。天音のような悲劇を繰り返さないように、何としても流行に歯止めをかけてみせる。
明日になれば、そうやって先延ばしにし続けて奏音は報いを受けた。そして昨日までの自分を回顧し、止まっている暇は無い事を知る。果てに私は決意した、この問題は昨日でも明日でもなく、今日この時に進行し続ける問題だ。だからこそ、奏音は愛華と共に”今日”を進める、進めてみせる。そう、覚悟を決めた。




