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ひねくれ少女は自分の生きる意味を真剣に考えたい  作者: 日向日向
第二章「奏音の過去と愛の物語」
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「それはきっと今日だからこそ その1」

 そこからは、記憶が雑把にしか、残らないでいた。

 その後の奏音は一心不乱だった。

 彼女の家族は家を空けている。今は天音のみが、この家の人間だった。


 その天音が、今までの彼女と似て非なる状態へと変貌していた。

 錯乱し、顔をぐちゃぐちゃにし、哀惜と窮迫を綯交ぜにさせながら狼狽に狼狽を重ねた奏音は、地面に転がるように倒れ込み、震える視界で彼女を捉えていた。狂ったように嗚咽を漏らし、彼女の名を全霊で叫び続け、地面に這うようにその有機物としての型さえも不明瞭な彼女に触れた。が、彼女からの返答を意味する動きは一切になく、彼女の混乱はより一層止められないものとなる。

 天音の、よく知っていた、嫉妬しそうな程瑞々しい筈の柔肌は何処にもなく、その鮫肌以上に風化した砂上の大地を思わせる崩壊した肌しか残されていなかった。優しく触れているだけだというのに風解を見せ、留めようとも留まらずに彼女の身を被覆する表皮は失われていく。本来であれば筋肉を活動させる、柘榴色の赤が伝う管、そしてそこから付随するこれまた深紅の筋繊維は既に赤銅色に錆びつつあり、崩壊の魔の手はそこにも既に及んでいた。

 衝撃を与えれば彼女の全身は目を見開いて閉じる迄の僅かな時間で喪失されてしまう。それ程に、彼女の身体は破壊され尽くしていた。


「水を――」


 奏音は持ち寄ったペットボトルの蓋を開けようとする。が、力がまるで入る気配がなかった。それ以上に持ち手が一切安定せずに、がたがたと振動するばかりで――漸く抉じ開けることができたとて、不安定な状態故含まれる数分の一の水は地面に零れて、散る。それでも


「喉が、乾いているんでしょ?」


 そっと彼女の、ぼろぼろの唇に静かに優しく押しあてて、緩慢な手つきで少量の水分を彼女の口腔に注ぎ込む。が、最初の微少量こそは彼女の口内に充満したが、嚥下する筋力は彼女にはなくある一定の段階で閉じられていない唇の両端から水が少しずつ溢れ出し始める。漏出分が、彼女の砂岩が如き肌に滴るも渇きが回復の傾向を見せることはなかった。


「そうだ……」


 ハンカチを取り出し、それに天然水で濡らし、そっと彼女の肌に走らせ、水分を浸透させようと試みたというのに、皮膚は崩壊の一途を辿るだけだ。


「天音」


 そうして奏音は彼女の名前をそう呟いた。

 弱々しく、掻き消えそうな小型鳥類の囀りにも劣る声色。そうやって、自分の中の感情を精密に投影させたかのようなか細った声を以て彼女は天音の名を呼び続けた。先ほどだって根気良い連絡は通じたのだ、だからこそ今回とて大差ない筈だ。


「天音――天音――」


 それを続ければ、根負けして彼女は目を覚ますだろう。流石に度が過ぎた“ドッキリ”であったと、いつもの、奏音よりも大人びた彼女の若干の嘲り混じりの微笑を、自分の前に見せてくれると。


「奏音」

「天音、ねぇ、天音」

「奏音、携帯電話」

「……今はそんな場合じゃないよ、天音を起こさないと」

「違う、大事なことはそれじゃない」

「だったら何が――!」

「救急車、至急」


 奏音が声を荒げる直前に、愛華は奏音の声を静止するように述べた。


「救急車で、彼女を」


 救急に連絡する――そのような、緊急時の初動を奏音は、慄然となって怯懦そのものとなっていることを倉島愛華の言葉によって気づけさせられた。


 奏音はまるで意味がわからずにいた。

 天音は直前まで、通常通りの軽口で会話をしていた。


(電話でもそうだし、家にお邪魔した時だって、そして扉越しの時でさえも何も問題も心配もなかったはず。ではどうして……? 私と扉越しの会話をした直後にああなったというわけか? いや、そんなわけがない。在りえない、時間をかけないと、ああまで人体が滅びるなんてこと、あってたまるか――)

「……奏音」


 廊下に転がる天然水のペットボトルの残骸が築く牙城から判断するに、天音は極度の水分不足に陥っていた。だけど、全身の表皮や臓器の活動を最低限保つ水分量さえも蒸発し、抜け殻になるなんてこと、ある筈がない。脱水症状なる厄介な病は、陸地に叩きつけられ絶命した魚類のようにならないためのものなのだから――。

 これは新手の天音の悪戯だ。

 いつも彼女は、口酸っぱく述べていた。「奏音は騙されやすい」と。そして同時に「考えすぎる」といつも叱られていたはずだ、彼女の言いつけを奏音は懸命に繰り返した。奏音は最近の出来事に対し、神経質になりすぎていた。だから何となくそれを読み取った天音が、かなり大規模なパフォーマンスを用意したんだ。


(だから……だからその辺の戸棚を探せば、ほれ見たことか、呆けて笑う天音がきっと……)

「奏音!」


 倉島愛華が、強い語気で私の名を呼んだ。

 そこで、渦巻いて循環していた自身の正当化が、停止した。


「彼女が、天音。演技ではない」

「…………」


 彼女の躊躇ない言葉に奏音は反発するように、今度はよりじっと天音を伺う。


「ありえない……」

「月宮天音は蒼薬ブルー・プリズムの副作用で全身の水分が……」

「嘘だ!」


 その愛華の言葉を頭ごなしに唾棄するかのように、その言葉を叫んだ。


「この状態を信じて、脱水の成れの果てだというのは不可能よ――もしも全身が本当に、本当に本当に脱水したというのならば、声帯だってその多分に漏れることはない筈だ!」


 そう、声帯だって角質化し、崩壊寸前となる。

 そうなると、先の電話や対話も自ずと不可能となる。愛華の言う観察が事実というのは、声帯あってでは土台成り立たないのだ。


「電話だってしたし、会話だって――あなたも聞いていたでしょう!? 飲み物を選ぶときとか――」

「聞こえていない、奏音以外は」

「貴女は何を――」

「今日今晩、月見天音は一言も言葉はなかった」


 その言葉を、奏音は最初、解することができなかった、


「電話をしていたのは、全て奏音の独り言。誰とも着信が通じていない」

「そんなこと……」

「履歴」


 彼女の言葉を受けて、愛華の主張が嘘であることを示すために、私は通話履歴の画面を開くよう画面を操作した。彼女は天音と確かに電話越しで会話したし、彼女の邸宅で言葉を交わした。電話していた時間は数分間もある、だからこそ、履歴は明らかに残っている筈なのだから。

 ずいっと、愛華は私が通話履歴の画面をのぞき込むと同時のタイミングで彼女は顔を私の真横に運んだ。


「ほら、ある筈、ここに、ここに――」


 画面に表示されているのは、不在通知のみ。

 それが何十件も、そのまた何十件も続いている。が、彼女の求めている通話履歴は何処にも存在していなかった。最後の天音との会話は、病院で咲来への思いを見透かされた時だ。それ以降はただひたすらに、奏音から通話を試み、叶わなかったという結果のみが表示され続ける。


「嘘……なんで、なんでないの――」

「……それは」

「したよ! 電話を――」


 --私は、したのか?


 愛華が瞳を最大まで見開いて、瞳を逃すことなく観測し続けた。

 その影響か否か、奏音はいつからか彼女に対し反論することができなくなった。


「私は……ずっと」

「ううん」


 愛華はここにきて断言した。


「奏音、ずっと、ずっと……幻聴を受け取っていただけ。この家はずっとこうだし、ここにきて一度も彼女は……言葉を発していない」



 彼女はそうやって、奏音に第三者的な真実を、突き付けた。


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