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ひねくれ少女は自分の生きる意味を真剣に考えたい  作者: 日向日向
第二章「奏音の過去と愛の物語」
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「奏音と世界と不条理と」

 車を降り、一同は病棟を目指す。


(流石に倉島さんはついてこないよね)


 徒歩で追いつける場所には彼女も尾行してくるというか、隠し誤魔化すことなく普通にくっついてくるわけなのだが。それを見越して病院近辺を隈なく見回してみたが、彼女の影はなくて少し安堵した。別に彼女を邪険に思っているわけではなく、わざわざこのような山中深くまで同行させるのが申し訳なく奏音は思うのである。まさか、徒歩でここまで来ることはないと願いたい――彼女には自分の時間を大事にしてもらいたい。親身に接してくれるのはうれしい限りだけども。



 病院の、多くの患者が通る入り口を抜けると、突抜の天井が望める巨大ロビーが顔を出す。そこから円を描くように各階層の様子をほんの少し見上げることができる。右手には総合受付、左手には指定薬局に続く通路。前方には診療科によって別れた階層に移動するためのエレベーター及び交差したエスカレーターが複数機ならんでおり、多くの患者がそれを利用している。(ほんといい気分しないわ)


 地下病棟へは階段でしか向かうことができない。それ以上に、特殊な手続きを幾つか経ないと階段へと通ずるとびらの前までも連れてもらえない辺りに嫌悪感が隠せない。実際、知り合いの紹介があることを知っているとはいえ、階段を利用する旨を職員に伝えた時に見せた面倒そうな視線から観察するに、偏見が事もあろうか関係者全体に及んでいることがすぐにわかる。


 雑多の手続きを霧谷が終えると、ようやく案内が開始される。

 職員の中でも、表情が読みづらい能面のような看護師が、持ち寄った鍵で閉じていた通路への扉を開錠してやっと地下病棟の姿を目の当たりにできた。しかし、そこは地上階のような病院然とした空気は感じられなかった。


(清掃こそはきちんとされているけれど、人のにおいはまるで感じられないわ)


 流石に露骨に掃除をしなかったり、処遇を手荒くしたりはしていないようだが、通常の内科や外科、小児科などの場所で感じられた人の“温かさ”は微塵も感じられない。それは素人の彼女でもわかる話だった。


「此方です」


 外れ籤を引いたとしか思っていなさそうな看護師はただそうとだけ告げ、病舎の前まで案内して、元の職務に戻る。病舎……といっても、彼女のイメージしている場所とはひどくかけ離れていた。まず、病院とは不釣り合いな鉄格子が、ご丁寧に入場口に用意されている。そしてその右手に受付口が別にあるわけだが、そこに努める医師は、総じて屈強な肉体を持つ男性医師だ。


(暴れないように、という威嚇かしら)


 反吐が出そうになり、盛り上がってくる怒りを奏音は必死に堰き止めた。


 体力に自慢があるだろう男性職員に比べると余りにも霧谷は虚弱に見え、実際にその力を籠めればたちどころに崩れかねない脆い体を嘲笑するかのような意味深長な相貌を俄かに浮かべる職員は淡々と煩雑な事務作業を行い始める。

 複数の書類に何度も記入させられる霧谷の背を眺めながら、こんな事務手続き、一括化或いは簡略化すればいいのに、とも彼女は常々思えてならなかった。


「さぁ、済んだから行こうか」


 そういうと、彼は自身の外套を片手に持ちつつ開かれた廊下を進んでいく。

 静まり返り、ひんやりと肌寒い。生活するうえで快適であるとは言い難い。

 各部屋は横にスライド式の扉という、標準的な病室と同様の構造だろう。が、扉は厳重に鍵がかけられており、当然だが内側からは干渉できない仕組みとなっている。


(病人を囚人と勘違いしていないとこんなことできない)


 非道さに、奏音と咲来双方の憤りが強まる一方だ。

 向かい合わせで何棟にも続く病室の中の一つを選択した霧谷は事前に預かった鍵で開錠し、室内に静かに入る。


「やぁ、久しぶりだね」


 霧谷がそう挨拶するも、病室内に既にいた人は返す様子がない。

 中学生女性、年齢は私たちとそう離れていない。

 が、それにしてはそれ相応の生気がまるで感じられない。元は黒髪な筈だが、その過半数以上の毛髪が白に変色している。また窶れ具合が、単に体調不良で済ませられる度合いを優に超えている。視線が虚ろだ、倉島のような“何処を見ているかわからない”ではなく、正しくは“何処も見ることができない”のだ。今の彼女に、そのような日常の些細な行動ができない程に衰弱しているのが、外見だけで瞭然だった。

 年頃の少女の体を支える体力源となる肉は殆どついておらず、骨に最低限皮を被せただけとも言える程に痩身とした様を見せている。


「彼女は持田亜美さん、本来であれば……もう高校生なんだ」

「ということは……先輩ですか?」

「ああ、君たちの一つ上だよ、僕が受け持っている部活の生徒だった」


 霧谷は弓道部の顧問をやっている。

 屈強な体育系の男性と比較すると確かに虚弱だが、それでも弓道に学生時代を捧げていた故、痩身な割には弓道を志す上で必要な体格はそれなりに仕上がっている。その経験を買われ、彼は一時期までは弓道部の顧問を務めていた。やっている、というよりかはやっていた、の方が適切な表現だろう。


 そう、彼は彼女の世代を最後に、顧問だけでなく弓道の道を退いているのだ。


蒼薬ブルー・プリズムが俄かに猛威を振るい始めたのは、それこそ一年前の今頃だった」


 弓道部にとっても、重要な時期。三年生の最後の大会だ。

 泣いても笑っても、それは集大成なのだ。

 それは持田亜美にしてもそうだし、彼女を始め多くの生徒を抱える霧谷にしてもそうだった。


「そのころはまだ、僕は蒼薬ブルー・プリズムなんてもの、現実にないものだと信じてやまなかった。仮に存在したとしても、うちの部員は弓道を志す人、自分を律し、誘惑に負けたりしないと」


 だけど彼は首を一度、横に振る。


「その考えが間違えだったんだ。いや、僕の信頼に間違いはなかった、僕の信じた生徒たちは誘惑に打ち負けず、最後の最後まで技を磨き続けた。だけど、逆だったんだ」


 自分を律するために、自分を必要以上に追い込んでいった。


「僕は未熟だった。不安を抱えている彼女たちに気づけなかった――友人を止められなかったあの時と、何ら成長できていなかっんだ、僕は」



 そういう顛末を経て、彼の心は遂に修復不能なまでに折れてしまった。


「では……持田さんは自信を鼓舞するために、先生に悟らせないために……」


 咲来の問いかけに、霧谷は首を縦に振った。


「薬を投与した上で、大会に挑んだ。身体増強の成分は発見されていないからこそ、純粋に彼女はそれに頼って、弱い自分を隠した」


 優勝した、その記憶は私にも新しい。

 校内きっての選手の誕生は、それはそれは学園の誇りになった。そして彼女には引く手数多の推薦状が届いたとも聞き及んでいる。


「だけどね、副作用は実に遅れてきた」


 そこからは積木が崩れるかのように、あっという間だった。

 彼女は優勝により、推薦によりさらに抱え込んでしまった。技術の低下が“投薬”によるものだと勘付かなかったのが、冷静さを欠いていた証拠なのかもしれない。冷静でなくなった結果、彼女は悪手を繰り返し続けた。


 その結果が、今の彼女である。


「彼女を止められなかった僕が、しゃあしゃあと生徒を指導できる権利はないと思った」

「そんな……」


 奏音が霧谷を庇おうとするも、咲来はそれを片手で止めた。


「失敗した僕ができるのは、せいぜい足繁くここに通うしかできることはないんだ。それが贖罪にもならないこともわかっているというのに」


 奏音は寂寞の思いだった。

 霧谷が、この場面で、非常に小さく見えたのだ。

 元は教師という、私には未だ手が届かない畏敬と憧憬の象徴だったけれど、今に関して言うと彼は一人の人間。後悔を繰り返して日々を生きる私と、まったく同様の直線上に立っている。


 そっと一歩、持田亜美に近づく。


「会話はできるんですか?」

「いいや、一か月前までは植物状態だったから、まだ会話はできないんだ。だけど、言葉は届いているよ」

「そうですか……」


 静かに彼女のもとへ近づき、ゆっくりと彼女の目線まで体を落とす。

 持田の目線は動かない。失明をしているという話は聞いていないから、きっと私たちの姿は見えていると思う。


 そっと、彼女の掌を私の掌で包む。


 すると、一瞬間だけ瞳孔が揺らいだが、すぐに虚無を取り戻す。

 確かに掌の肉付きも芳しくないが、だが肌は非常に瑞々しい。流麗な線は、弓道によってよく鍛えられていた面影を伺わせられる。また肌の白さは底知らずで、斜光が彼女に降り注ぐたび、慎ましいがはっきりと煌めく、が、極端にその掌は冷たかった。長時間もの時を寒冷地で過ごしたかのようで、熱がまるで感じられない。


「一時期は、肌さえも酷く荒れていた。その時から考えると、確かにいい兆しを見せているんだ。だから、何れは治ると信じているんだ」


 その時の霧谷の相貌は誰よりも引き締まっており、彼の静かなる覚悟を如実に示しているようだった。ただその眼光は彼の教師生活、いや、人生そのものに大きく影響した一人の少女にのみただ向かっており、霧谷と持田だけの世界が創生されている、そうとまで錯覚させられる程に強く奏音の記憶に根を張る光景だった。

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