「奏音は恋する捻くれ少女」
恋をするカノンさんの健気な奮闘物語です。こうご期待ください。
「遅れて申し訳ありません!」
駆け足気味で部屋に飛び込む。
実言うと倉島は室外に控えている。別用がある故、離れてはくれたが――追従モード自体は未だ実行中のようで――少し罪悪感が芽生えてしまう。
再三再四彼女に、今日は遅くなるから帰った方がいい、と教えたが彼女は待機モードに移行してしまっており聞く耳を持っていないようだ。自身の主義主張に安定した一貫性を持つこと自体は評価できるけれど、少し融通が利かなさすぎやしないか……奏音は自分を棚に上げて思うのだった。
結果、”自分の時間を大切にして”という奏音の主張と”それでもくっつく”という彼女の主張(頭を左右に振っていただけだけど)が対立して、平行線に落ち着き――小さな一悶着となった。
決して喧嘩ではない、双方の妥協点を比較的柔らかい態度でのやり取りだったからこそ――妙に時間を食ってしまった。そして……遅刻、奏音は顔から火が出る思いだった。
部屋で既に待機していた組は遅刻に機嫌を悪くするどころか、微笑ましい表情で、ほとほと焦り果てている彼女を見世物のように眺めていた。
「ど、どうかしましたか……?」
「いやいや、さっきまで君のことを咲来君と話していたんだよ」
(彼らが、私のことを?)
予想外過ぎて返答に困っていた。
「えっと……」
考えても考えても、見当がまるでつかずに首を傾げてしまう。
「真面目な篠崎さんが、まさか遅刻をしているなんて思わなかったよ」
ますます霧谷と咲来が繰り広げていたという会話の内容を掴めずにいる。
「仕事を任されていて、とか、授業が長引いて、とかではなく、女子友達との談話で遅れるなんて実に女子中学生ぽいというわけさ」
「せ、先生?」
成程わかった、奏音は自分が愛玩動物か何かのように見られていることを察した。
「僕も霧谷先生も、篠崎さんの真面目な委員長としての面しか知らないんだ。だから、知らない面を垣間見れて、すごく斬新な気持ちなんだ」
「えええっ――」
何てことを言うのだ……流石にこれは我慢ならなくなった。
「ちょ、ちょっと……何を言うんですか! その、あの……遅刻したことは謝りますけどその仕打ちは……」
二人は猶笑いを強める一方で、奏音の恥じらいを汲み取る姿勢はないようだ。
(……次以降は絶対に遅刻しないようにしよう、霧谷先生はまだしも、咲来君に笑われるのは恥ずかしすぎて死んでしまいそう……)
穴があったら入りたい、その言葉を使用するのにこれ以上ない瞬間ではないか。奏音は赤面を誤魔化すように荷物を力強く机に置き、座り込んだ。
再度の説明を終え、一同は霧谷の所有する車に乗り込んだ。
型が数世代前の軽自動車だが、彼の性格上か、整備が行き届いており、また清掃も定期的に行われているのか、乗って不快な気持ちになるどころか、手狭な車内だというのに空調等の設備の調整も絶妙で最高の乗り心地だった。が……。
(むむむ……)
奏音は勘違いをしていた。てっきり自分は補助席で、霧谷の隣に座るとばかりに思っていたのだ。だけど気づけば霧谷の隣となっていた。
(そうか……先生からしたら私も咲来君もかわいい学生。同列になるわよね……)
誤解されないように補足しておくと、別に軽自動車内だから狭いというわけではない。あれなのだ、スペースはある。うん、だけど、距離感が近いのだ、奏音は内心で呪術のように言い訳を続けた。
要するに咲来蓮人が、異様に近いのが問題なのだ。
(ちょっと……これは……きつい、精神的に)
別に奏音が彼に嫌悪を抱いていることは万が一にもない。いや、むしろ彼は身嗜みの整え具合は男子の中では飛びぬけている。男子特有の汗臭さもなければ、高価な香水でもつけているのか、と問い質したくなるほどに、最高に心が落ち着く芳香が車中に充満する。だからこそなのだ。
(やばい、酔う……いい意味で!)
奏音は眩暈を起こして卒倒しそうになるのをぐっと堪える。
(その身を花畑に委ねているように芽生える高揚感と安心感はなんだ!? 頭がおかしくなりそう!)
天音辺りによく誤解されるが、別に私が異性に興味がないわけではない。私を鉄の女か何かと錯覚する人がクラスの中の、特に同性の中に一定数いるそうで、実に失礼な話もあったものだ。
奏音とて恋を……したことは今のところないけれど、格好いい面をした男性には眼を惹かれるのだ。加えて、娯楽に疎いなんてことはない。受験期だから全体的な数は減少こそすれど、私は凝り性なのだ。漫画だって人並み以上に嗜むし、気になったコンテンツには遠慮なく踏み込む。だから耳年増とは言わないが、それなりに知識があるわけだ。
だから、クラスの男子、ましてや天音以外の殆どの女子生徒がお近づきになれる機会を虎視眈々と狙っている程の咲来蓮人がすぐ間近に隣接し、ましてや友好的に接されては保てる冷静さも保てないものだ。
その時、そんな閉鎖的で実に気まずい空間から数刻の間だけでも逃げ道になりうるかもしれない好機が訪れる。
携帯電話が震えたのだ――メールが受信されたのだ。
私立学校という性質上、家から学校の距離により電車通学をせざるを得ない学生も一定数いるから携帯電話の所持を禁ずる校則は実はない。当然、授業中に使用すれば没収されるが、それさえ守れば後は自由だ。
さて、話は逸れたが援軍とは知り合いからのメールだった。彼の無自然に生じる色香から逃げるように視線を液晶画面に落とす。その差出人は天音だ。
(なになに……!?)
内容は、援軍どころか私の背中から弓を打つような残酷なものだった。
メールの内容は、他の女子生徒(名誉の為に匿名)のタレコミ情報で、私が咲来と歩いている情報が入ったということ。そして都合よく霧谷が傍にいた情報を意図的か偶然かわからないけれど、欠落しているということ。そして、天音がそれを鵜呑みにして、私の恋路と勘違いしてしまっているということ。
その言葉を最後にメールは終了していた。
(天音の馬鹿……!)
「どうかしたかい?」
気づけば、咲来が心配そうに奏音の顔を覗き込んでいた。
顔が紅潮してしまっている、自覚がある――最悪だ。気を紛らわすどころか、心拍をより加速させる結末になるとは、それ如何に……。
「それよりも先生!」
最終手段だ、御免なさい、先生、彼女は霧谷を犠牲に使うことを詫びた上で無理やり話題を逸らした。
「結構な時間を運転しているような気がするんですが、まだ到着には時間がかかりそうなんですか?」
「ああ、状況が状況だからね、おおっぴらな診療科にはいれられない。被害者の学生達が必死に事実を、思春期特有の神経衰弱と警察を始めとした大人たちは決めつけてね」
「ということは……」
「殆どが心療内科……いわゆる精神病棟という場所に無理やり入れられている」
「そんな……酷い」
患者を回避の道具として使ったのは褒められたことではない。少し彼女は反省する。
だけど、予想外に耳寄りな情報が手に入ったのも事実だ。
それに……そんな残酷な話がまかり通っていいのだろうか? 被害者は皆共通して誘拐紛いの真似を受け、失踪扱いにされた。発見こそはされど、話を真面に聞いてもらえず、挙句精神疾患扱いとは――。
「私たちは今から……」
「患者……言い方はよくないね。被害学生に会いに行く」
「話ができるんですか?」
咲来の問いももっともだ。
「その点は問題ない、昼にも話した通り、医者と友人でね。そのつながりがあるからこそ、一介の教師の僕でも場を設けてもらえるんだ」
霧谷側の用意は周到というわけだ。
彼は体制に仇為す行為を真っ当から行っている。生半可な準備では即座に失敗に終わる。そうならないための布石の設置は完璧という訳だろう。
「さぁ、ここからは少し揺れるから、シートベルトをしておいてくれ」
そう告げると、軽自動車は山道へと突き進んでいった。
整備の具合が疎らな凸凹道を十数分かけて通過しきると、広大な土地を切り開いて作られた総合病院が姿を現す。
「僕らが目指す病棟は地下だ」
偏見の塊は、如実に建物の構造にまで及んでいた。
「篠崎さんの怒りは理解できる、僕も君や霧谷先生がいなければ冷静でなかったかもしれない」
「咲来君……」
「許せないよ、僕は――医者は患者の為にあって然るべきなんだ。病気を患った人ってのは不安でしようがない。だからこそ、医者の献身を以て患者を安心させないといけないんだ。それなのに、この病院はそれを見失って、事もあろうか保身と利権のために付き動く亡者になってしまっている」
決して汚い言葉を使わない辺りに、彼の品行の良さを伺える。が、随所で語気が強まっており、温和な彼でさえも怒りを感じていた。その姿を、奏音は素直に支持し、誰もがきっと、彼のように当然の思考ができていたのならば、きっともっと、と考えていた。
「……本当にその通りだと思うよ」
そして、霧谷もそうだ。
「教師は生徒を支える存在でなくてはならない、かなり前に大学の教職課程でそう教わった筈なのに、蓋を開けて教師になったらそんな最低限の前提さえも、見失ってしまった。出世、高々その二文字に踊らされてるんだ、どの先生も。自分を生き抜くのに必死で、生徒たちを鑑みることのない。子供が子供の儘、教師になってしまっちゃうんだよ」
運転中だから、彼の表情を伺うことはできない。が、何となく彼が抱いている寂寞の念を感じ取ることが奏音にはできそうだった。
「だけど、まだ霧谷先生や咲来君のような人がいます」
すると呼応された彼女は言葉を紡いでいた。
「きっと皆、自分が精一杯で他人に優しくできなくなっているのかもしれません。だけど、それでもどうにか誰かの為に尽くそうとしてくれる人はいるって私は知っています」
「……そうだね、まだきっと間に合う」
咲来はそう呟いた。
車はゆっくりと――その病院の駐車場を進んでいくのだった。




