第35話「夢想の中のアニス」
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「失礼するわ」
部屋に入ると、すぐに置物の配置が変化していることに気付く。机が少し横にずらされており、そこにはご丁寧な……。
「棺、か。もう葬式をするの?」
木製の棺が荘厳とは程遠い粗末な仕上がりで、厳かな部屋とはあまりにも不釣り合いな光景だった。
今こそは便宜的に棺と呼んだが――実際にそう呼ぶには些か無理のある。
木材を複数枚重ね合わせて、数か所釘を打ってできた箱に等しかった。その各板さえもバラバラな質感をした木材であって、その長短も不均衡だ。適当にかき集めた木材を咬み合わせただけともとれるその雑な仕事は、到底プロの仕事とは思えなかった。何故か各所を布で何度も包まれている部位も観測できる。全くもって奇怪で、理解ができない構造をしている。
「冷酷ね、動揺を見せないなんて」
彼女が言うに、この中にアニスの遺体が収容されているとは聞くが、このお粗末な箱を見させられて動揺しろというのが無茶である。それに例え事実に驚愕しようとも――
「面に出さない。他者に悟られる真似は絶対にしない」
感情の不安定さを表層に出すのは自分の弱さを表層に押し出しているのと同義だ。それを他者に見せれば、他者に弱点を曝け出すのと同義だ。それ即ち、自分の急所を好き勝手に攻撃させているのと……変わらない。
「葬儀はまだよ。私に託されたのは、死因の調査よ」
冗談じみた発言をしたものだが、実際にこの世界には葬儀なる概念が存在しているようだ。それが土葬か火葬か、予想だにしない技法なのかもしれないが。
「ああ、死体解剖のようなものか」
少し気になることがある。
彼女はずっと行方不明だった。それこそ、彼女の最後の消息を知る者さえもいないというのに……遺体は何処で見つかった?
そもそもどの組織が拉致したかもわからない。計画としては、全ての罪をディルベルトに擦り付けるという話だったはず。
「遺体は……」
「言い淀まないで」
エンヌは私を呼び寄せてきたのにも関わらず、彼女は最後まで報告することを渋っている様子が目に見えてわかった。優柔不断なのが彼女の本質なのか、言い淀む程の理由がこの箱の中にあるというのか。
何れにせよ、私が斯様な妨害を嫌う性格を知っての行動であることは確かだ。ただ徒に機嫌を悪くする前に……耳を傾けてみよう。
「私が呼び出された時点で或る程度の現状は把握している。決していい状態で帰還できていないこともね」
私の言葉はエンヌにとってバツの悪いものなのか、彼女はわかりやすく視線を逸らす。
「だから話しなさい。貴女の持ちうるすべての情報を」
すると彼女は降参したか溜息を零して、
「……わかったわよ、馬が街に向かってやってきたのよ」
ゆっくりと発見時の状態を明らかにしだした。
「馬?」
「そう、この木箱を引くようにね」
そう言われて、改めて木箱の外観を確認する。
先程まではその粗悪さにばかり目が眩んでいたが――よくよく観察を深めると、その棺の不可解さに気づく。
「先生、計りはあるかしら?」
「計り? 普通のならあるけれど」
彼女が持ってきた簡易的な定規を用いてその箱のサイズの概算を求める。
「横が一メートル未満……」
待てよ、彼女は私よりも背丈は少し高いし、流石の私も一メートル以内の箱に収まるには器用に体を折りたたまなければ……。
「それにこの布は何?」
簀巻のようにぐるぐる巻きになっている朱色の布を指して、彼女に問う。
「血よ」
「血、ですって?」
「馬が引くたびに、血がその道に滴っていっていたの――これは応急処置よ。学園中に露見させないためにね」
アニスが死亡した事実どころか、行方不明であることさえも明かされていないのだ。白昼からこのようなものを露出させていては隠せるものも隠せないだろう。そんな状況を避けるための苦肉の策というやつか。
「自然死ではない、ということを言いたいのね」
エンヌ先生の返事はない。
「棺の中を見せてもらうわ」
そうやって私が奥に進もうと思うと、尚もエンヌは片手で静止する。
「やめておきなさい」
「手をどかしてもらえるかしら」
「駄目よ」
むぅ、強情ね。
なんだろうか、まだ彼女の中で私を八聖王と見做せないでいるというのか? 見た目に引っ張られているのか――確かに小柄であることは事実だし、そのコンプレックスは幼女になってより加速していないわけでもない。だけども、こんな時まで子供として庇護されるのは堪らない。なればこそ、教えてやろう。
私のスタンスとやらを、彼女が納得するまで。
「勘違いしないで、見た結果により私が仇討を仕掛けると思っているのなら大きな間違いよ」
「仇討なんてこと考えていないと?」
「逆よ」
「――――」
「対象が何者であれ、私に対し明確な宣戦布告を行った。その時点で報復は確定している」
私はそっと彼女の手を振り払った。
「せいぜい、報復の方法が変わるだけよ。アニスがどうあろうが、私の計画に支障をきたすことは万が一にもないわ」
わからないのなら言って聞かせるしか道はないだろう。大変面倒であるが。
「それにエンヌ先生、いい加減理解してもらえないかしら。私が八聖王であろうがなかろうが、本質は変わらない」
棺の封を遠慮せずに開錠し、上蓋を外す。
「…………」
間違いない。彼女はアニスそのものだ。
だが、確かにエンヌが私に見せるのを渋りたい気持ちは理解できなくもなかった。
凄惨だ。
先ず、五体満足ではない。右手と左足が欠損しており、雑に包帯で応急処置が為されているが、土台の止血も半端な状態なのもあって、既に白が真紅に染め上げられている。また、残されている四肢も辛うじてその形状を維持しているのみ。多数の個所で打撲や打身、複雑骨折を始めとした傷が確認できた。
(顔面に複数の打撲傷、それによってできた青痣が重なっている。鼻血などを始めとした出血もそれなりに……)
口唇は複数回も切れており、各々の空孔からは何度も噴出しただろう血液が外気に晒されて凝固している。また、左目は抉り取られており、早くもその個所に蛆虫が湧き始めつつあることが観察できた。顔面以外の全身も深手を負っている。裂傷と痣、それが体躯を隈なく迸っており、元の綺麗な柔肌はほぼほぼ喪失しているといってもいいだろう。
衣服は、棺に移し替える時に処分されたのか、そもそも全裸の状態で送られてきたかはわからないが……一枚も衣服を羽織っていなかった。
「それ以外の検視結果は?」
「……これよ」
エンヌは慎重に羊皮紙を手渡した。
(薬物反応があるわね……効果は意識の攪乱に、血圧上昇……)
典型的な覚醒剤と酷似した薬物か。
(これは……程度の低い奴隷紋か。エーデルワイスに刻まれていたものと比べると余りにも脆弱ね、これなら簡単に引きはがせる)
だけど、アニスではこれは外せそうにないし、解除しようにも先の覚醒剤によって冷静さが欠落している。
捕獲された時点で詰みというわけだ。
「貴女はどうやって検視していたの? まだ執刀した様子はないけれど」
私があっけらかんな態度を崩さないのに、エンヌはまだ慣れていないか、反応がワンテンポ遅れている。
「……確かに執刀により検視する方法はあるけれど、術師は他の方法を使う」
そういうと、彼女は地面に白墨で記された円環を指す。
棺を包括するように太い線で描かれており、それ以外にも様々な文字や数字が羅列されている。通常は態々地面に記すなどという回りくどい方法はしていない。虚空に指で描く、簡単な所作で事足りているが。
「検視に扱う〈術式〉は時間に関するもの、それだけ高度になるの。加えて長時間になるから、維持と〈術式〉の形成を文字に起こすことで簡略化しているのよ」
「ふぅん」
私は円環の中に這入り、アニスの亡骸に手を翳す。同時に魔導書が勢いよく展開される。
「エンヌ先生、いい感じの“通貨”……ないかしら?」
「通貨? ああ、貴女は何故か代替え物を消費すれば〈術式〉を行使できるのだったわね。そうね……これを使いなさい」
彼女は自室の戸棚の引き出しから、黄金色でいて小指程のサイズの結晶を取り出した。
「これは魔鉱石よ。魔力の増幅器と思ってくれて構わないわ」
「ありがとう、使わせてもらうわ」
そうやって私は彼女の生前の深層心理に潜り込み、彼女の身に何が起こったかを観測しはじめた。




