第29話「ぅゎょぅι゛ょっょぃ」
幼女は凛々しく、強かであるものです。
「取引? 貴女……正気?」
当然の反応だろうな。能力が未知数とはいえ私はまだまだ小学校低学年もいいところ。エンヌとの相対的な人生経験の差は圧倒的だ。それに、彼女は半亜人である――外見と実年齢が直ちに合致するとも限らない。エーデルワイスはポンコツではあるが、あれでも五十年近くは生きているともいうし。
一方で私は元の世界での人生分の加算はあれど、だいたい外見の儘の年齢だ。そんな人間から取引を申し立てられると、そういう反応にもなるか。比較的高圧的にならないよう、物腰を柔らかくしたつもりなのだけど。
「エンヌ先生、其方には喉から手が出る程欲しい情報がある筈」
「…………」
「何故、国家レベルの機密である“八聖王計画”を私のような人畜無害な私なんかが知っているのか、気にならないかしら?」
彼女の瞳孔がほんの少しだけぶれた。が、それ以外に動揺を見せる兆候はない、国の順陳に籍を置き、いつだって権力争いに巻き込まれてもその場を保持し続けるのはこのくらいの、何事にも動じない精神力の強さが必要不可欠なのだろう。
「私が知っているのはその名前だけではないわ。八聖王がこの世界とは異なる世界から召喚される。互いに殺し合う定めとしてあることだって知っている」
「!」
エーデルワイスよりの情報だが、ビンゴだったようだ。
ぶっちゃけるとそれ以上の情報はないため、更なる要求を受けると手も足も出ないのだけど。
「そして八聖王計画以外にも貴女が驚く話を私は持っている」
「……どういうことかしら」
「私が異世界から来たといったら……エンヌ先生、貴女はどう思うかしら」
「異世界――貴女は何故それを!」
エンヌは手を私に方に掲げると、円環が現れる。
その反応も、無理はないか。今までならば私は単なる与太話を吹聴する程度の存在だったが、異世界という用語は彼女にとっても知られるわけにはわけにはいかないキーワードのようなものだったのだろう。それを知るとなると、私はスパイと疑われかねない。実際にスパイであるのなら、知る立場のある者としての責務は真っ先に抹殺することにある。
「ま、信じろと言っても無理があるわね、〈術式〉なんてものがない世界から私が来たなんて事実を」
実際、私の元居た世界には超心理学的な力はあくまで都市伝説どまり。私が今体感している〈術式〉などを目の当たりにしたことはなかった。
「だから貴女次第よ、私をスパイと断じるならばそれでいい。だけど、私の提示する条件を呑むというのなら……貴女の知りたい情報を提示することは吝かではない」
「……条件?」
「そう、条件よ」
第一に、私が過ごした異世界についての知る限りを彼女に提供すること。元居た世界とこの世界の差は開きすぎている。まったくの異世界と断じて問題がないくらいには。科学が〈術式〉に挿げ変わった世界、好奇心が旺盛な彼女には喉から手が出るほどに欲する情報だろう。それと引き換えに、この世界の情報収集への協力を彼女に求む。
この世界には情報の穴が多すぎる。だが幸いにも、八聖王が私であろうがなかろうが、誕生までにまだ時間がある。そのうちに情報を安定的に仕入れることができれば……他の転生者よりも先立って行動ができるというわけだ。
敵対勢力は何か、そして中立勢力を始めとした人間種以外の存在はいるのか、そして可能ならば彼我の戦力差の概数だけでも明らかにできれば申し分がない。それがわかれば真に誰を利用すべきか、誰を敵に回すべきではないかといった情報を吟味することができ、この世界で生きるうえで“詰む”という結果を招く可能性がぐっと下がるだろう。
「第二に……そうね……貴女には私の教師になってもらうわ」
「……今も教師よ」
「違うわ、家庭教師になってもらいたいの」
「家庭、教師……?」
「異世界の固有名詞と思いなさい――要は個人授業をしてほしいの」
「……理由を聞こうかしら」
「今話した通り、私の〈術式〉は何やら連想がものをいうそうなの」
手の平をはためかせると、自然ではない風が部屋を駆け抜けた。
「だけど今の私は想像力で無理くりやっているにすぎない。自分で言うのは大変癪だけど、私は想像力が乏しい。それに加えて〈術式〉の基礎知識さえも怪しい」
現状の、相手がやった技を如何にか連想ゲームのようにして模倣するやり方では後手に回ってしまうことは必至だ――もしも相手が初見殺しで一撃必殺に近い〈術式〉を放つ相手なら、その時点で勝敗が決してしまうといってもいいし、まずエーデルワイスの〈不浄の魔鎖〉にまず対抗できない。
先の試験でも、基本は頭ごなしなごり押しだった。八聖王を相手どるにしても、そのやり方では頭打ちだ。何れ決定的な差が生じてしまうことは火を見るより明らかだ。今の私の力は〈術式〉の理論体系の応用に近い。が、応用とは基礎が醸成させた上でいかせられる話だ。
だからこそ、基礎を習得し、最先端の技術にも精通する相手に教授を乞う必要があるのだ。〈術式〉に必要な基礎教養を彼女の個別授業で体得する。本来であれば、演算だのなんだので時間が要するのだろうが、私はどうしてかその過程をすっ飛ばせる力があるようだ。なればこそ、知識を叩きこんだうえで、それを多数の手札に変え、何時でも発動できる段階にまで持っていかせないとならない。
「悪い話じゃないと思うわ。私の出せる情報は多岐にわたる、それこそ毎晩語りつくしても、千日以上は優にかかるでしょうね」
私が愛読家で本当に良かったと思っている。
情報に引き出しが乏しかったら、土台交渉は成立しない。
「知りたくない? 闘争のない、平和に呆けた世界について」
闘争のないというと嘘になるが、平和ボケしている世界なのには間違いない。
「っ……」
エンヌはまたも下唇を噛む。やや伏し目がちになり、長考に入る。
よし、悩め悩め。
彼女の深慮は五分近くにも渡った。
その果てに彼女が絞り出したのは、一つの質問だった。
「貴女は私から情報を集め、修行し……何を求めるの?」
やはりエンヌは聡い術師だ。
私は彼女に此方が考えうる最高の要求を遠慮なく投げた。
エンヌの狙いは一にも二にも、未知を解き明かすことにある。それは少し彼女の身辺を洗えば判明する話だった。こと深淵の探求をさせると、エンヌ以上の狂人はいない――専らの噂だ。有名税という奴だろうか、彼女に纏わる有象無象の噂は枚挙に暇がなかった。
当然信用するに足らない法螺話も紛れているだろうが、総じて付随するのは、“知識を満たすため”に帰着する。
その事項の登場頻度は群を抜いており、実際に彼女が私に接触をかけてきた時点でそれはほぼほぼ確定的なものとなった。無論、私がスパイだと判断したならばきっと彼女は責務を全うするだろうが。
私が感心したのはそんな彼女を占める性質に流されずに私の行動の真意を問うてきたところにある。
私はあくまで私をこの世界に巻き込んだ輩に一矢報いて、この世界での自分の生きる意味を知ることを目指している。だけど今の話では私が何を目指しているかを知ることは到底できない。漠然と聞いていただけならば、行動の真意が気になることはないだろう――が、エンヌは流石の慧眼といえよう……偏執的な知識欲に溺れることなく真実を知ろうとしてきたのだから。
「まさか、元の世界に戻りたいの?」
「その心は何かしら」
「八聖王の術式は貴女の知る通り、異世界……貴女の世界から人間種を召喚して、そのうえで八聖王を君臨させる。だけど、逆も理論上では可能なのよ」
「理論上では?」
「ええ……まだ体系が整っただけで、実行できる段階まで到達していない」
それもそうか、態々ご丁寧に八聖王を元の世界に返すことなど考えていないのだから、手間暇かけてまで逆行する〈術式〉を研究する必要性は皆無なのだ。もしも元の世界に返すことを念頭に、蝶よ花よと扱うのならば最初から殺し合いなんてさせないだろう。
それに、冷静に考えて最後の一人に残ったからといって素直に元の世界に返してくれるとは思わない。どうせ使い殺されるのがオチだ。それなら自分で戻る方法を模索するのではないか、というエンヌの考えは納得がいく。
「確かに元の世界でやり残したことはあるけれど、別に戻ろうとは思えない」
「では、なぜ」
「一応確認しておくけれど、八聖王計画の立案者はエンヌ先生ではないわよね」
「ええ、違うわ」
「ならいい、教えるわ。私は別に元の世界に未練があるというわけでは決してないわ。だけど、手前勝手で私を巻き込もうとするのは我慢ならない。だから私を巻き込んだすべての要素を潰す」
もう、元の世界のような過ちは犯さない。
殺すべき相手なら如何に交流が深くても殺す、そう誓った。私を面倒な事態に連れ込んだ奴らを全て葬ってみせよう。それがたとえ全種族が信奉する神であろうとも、だ。帰還するかどうかはその後にゆっくりと考えればいい。
「もしも仮に……私が裏で貴女の召喚に手を引ているとしたら、貴女はどうするの?」
「殺すわ」
きっぱりと答えてやると、彼女は全身の総毛が粟立つ程の怖気が迸り、ひたりと彼女の蟀谷周囲を汗が伝った。普段は細目がちな彼女の双眸が一瞬間だけ膨らみ、広がった。
「勿論、利用しつくしたうえで、よ。でも貴女も同じはずよ。知識のためになら最悪今の立場を擲ってもいい――そうとまで考えている」
「何を……」
「そうでなければ、私にこうやって会話を持ち掛けないわ。だって、接触しなければ私は八聖王計画について知ることはできずに終わって……情報の漏洩は防げたかもしれないのだから」
エンヌがもしも知らぬ存ぜぬ、を貫けば私に有利に働く証拠は一切合切消え失せていた。無意識下だったため彼女は未だ自覚をしていないだけで、私をこうやって呼び出した時点でわかっていた。欲求を満たすために、機密さえも晒してしまうと。
なに、私はその本質にほんの少しの刺激を与えただけだった。
彼女の魔眼の模倣は自分の価値を再度強く売り込むことを意味し、異世界の情報の開示は彼女の妄信的に知識を渇望する器官を最大限に活性化させるためにあった。ただそれだけよ。
「利害は一致しているわ、だからこそ協調関係を築くべきだと思うわ。いいえ、こういう場合は敢えてこう表現した方が良いのかもしれないわね……共犯者、と」
がくん、とエンヌの胸中の最奥にある核に激震が走った。そして一度、顔を俯かせるも、ゆっくりと顔をあげる。その口角は引き攣り、眼球震盪を起こすが――じきに引き攣った口角は少し吊り上がり、一転して笑顔へと変わった。
「貴女……壊れているわね」
逡巡の果てに彼女が絞り出したのはそんな苦言だったが、そんな言動とは裏腹に、彼女の相貌は喜悦に満ち満ちたそれなのであった




