第16話「その女教師には気をつけろ 後編」
昨日の夜に500PVを超えました! ありがとうございます!
週末に派手なことをするのだから、それまでは授業を真面目に受けようと思った。
こういうのは結局のところメリハリが大事なのだ。
胸踊るからとて前後の責務を蔑ろにするのは無責任な子供と変わらない。
見てくれはちんちくりんだが、元の世界では一応義務教育を終える寸前まで過ごした身、ある程度の教養は当然のものとして身につけて置かないと育ちが知れてしまう。
そんな、謎の思いに駆られた私は必要になるまでは最大限に優等生であろうと努めた。努めようと胸中で思ったのだ。
いや、思っていたのだが。
(今更算数もなぁ……)
中学入試などに頻出する器用な文章題、とかならまた数学と違ったアプローチが必要だから面白みもあるのだが、そうではない。数の数え方に始まり、物を並べてみようとか、正直馬鹿にされている感が否めない。あのテストの面妖な問題も然りで、せいぜい数詞を学べるくらいで、得られるものはない風に感じられる。
もしや私の想像力が未だ乏しいだけなのか?
柔軟な頭、要領のいい人間はこんな単調な作業の中でもモチベーションをあげる技術を持っているというのだろうか?
私にはできそうな芸当だ。色々創意工夫を施そうにも数詞の勉強なんて、工夫のしようがなさそうだ。
それは他の科目も同様で、元の世界の国語にあたる授業も、この世界の言語を知らない私には有益な話だが、まだまだ実用に足る程ではなかった。
が、その中でもまだ興味というか、現状で実用性の高いのは〈術式〉の基礎を学ぶ授業だろうか。
私は何も理解せず、ただ使用できたという結果論的な状態だった。だが、実際は精密な理論の上に成立する概念だそうだ。厳密に理解しうるには高度な数学的知識が要されるようで、それを殊更に探求し、人生を終える学者が多いようで興味深い。
また、学問としての広がりも豊富で、着眼点の違いで扱う分野も千差万別のようで、それだけで学習意欲が唆られる。
本来であれば〈術式〉を行使するために必要な素質や土壌を育成することを基本的な教育方針だそうだが、この学校に入学する生徒はほぼほぼ幼少期にその土壌は完成しているというのだから、驚きだ。あの延々と走らされる実技試験や円を描かされたのはその判別をするため、というもっともらしい理由が説明された。
なおのこと私は特異的な能力の持ち主だということが浮き彫りとなってしまった。別にそれを外聞するつもりはないし、誇示するつもりもないが……少しだけ胸は熱くなる。が、悠長に喜ぶのではなく、どうそれを隠すかね。
私たちを教授しているエンヌ・ハイゼンベルグなる女性教師はかなり聡明だ。確実に勘もよく、少しでも気を抜けば……私の底を読み取りかねない。実際、彼女は授業中に何度だって我々を値踏みする視線を時折琥珀に変色する瞳から送ってきた。
噂では、あの琥珀色が術師としての適性を正確に見透す魔眼だそうだ。
魔眼、悪い響きはしない。習得できるのなら、してみたいまのだ。
……別に中二病とかじゃないわよ?
(彼女はもしかすると……八聖王に関して何かしらの情報を持っているかもしれない)
他にも授業を受け持つ先生は複数いるが……彼女は違う。一度、彼女が背面を向いた瞬間……“粒子”を見た。エーデルワイスの所有権を剥奪した時と同様の方法で、地面に自然と隆起する魔力の渦で、エネルギーを計測してみようと考えたのだ。
(何も感知できない?)
隆起している粒子数が少ないとかではない。他の生徒からは個人差はあるが、しっかりと視えている。流石に入学直後の生徒が爆発的な粒子を放つ……絵に描いたような主人公適正を持つ人間はいないし、八聖王に順ずる存在ではないかと思わされる特異体質な人間が見つかるなどという展開はなかった。
それはいい、それよりも、何故エンヌには何もない?
素質の差異があろうとも、必ずと言ってもいい、粒子の胎動があるものだと、私はこの世界における経験によって獲得した結論だ。エーデルワイスにも微量だが確認できた。だが、あのエンヌ女史は零なのだ。身に纏う物も、彼女の動きに粒子が呼応することもない。
不可解だ。
私は不可解が嫌いだ。解き明かしたいし、確実に彼女は鍵を握る人間だ。
だが、その分彼女には隙がない。実際、私が分析を開始してものの数秒で此方に視線を送ってきたではないか。当然即座に観測の力を使用するのを停止したが、もしかすると逆探知済みかもしれないわね。
「この命題をこたえられる人はいるかしら」
エンヌは、私の行動に気付いているのかいないのか、はっきりとした行動を見せずに淡々と授業を続ける。そこに全く熱意は感じられないが……。
「はいっ!」
快活そうに手を掲げたのは、アニスだ。
アニスは始まって数日、教師の期待に恥じない活躍ぶりだった。活発に発表する姿には隣に座する今の私にはできない真似だ。
しかし、エンヌは左程興味を見せていないようだが、そんな無関心の眼も、あどけなさが満載なアニスが気づくのはまだ先のようだ。
「この後、カノン・シノザキは部屋に来るように」
ん?
思考に耽っていると、いつの間にか授業が終了していたようで、何故か呼び出しを喰らってしまった。もしや……分析が露見したか?
でもまぁ……蹴るのはもっと問題だから、素直にエンヌについていくことにした。
彼女の後に従うがまま入室した部屋は、例えると書物の森だった。
部屋中に敷き詰められた本棚には様々な魔導書だろう代物が陳列されており、部屋奥にある机と椅子を除けばそれ以外に何もない。嫌に質感が良い幾何学模様の絨毯をはじめ、部屋の雰囲気が教室とはまるで違う。永らく人の手が入っていない森林の最奥部に足を踏み入れたかのようだった。天井は高く、そこから吊るされたシャンデリア調のライトが、仄かに照らす明かりもその不気味さを助長している。
「貴女を呼んだのは他でもないわ」
机に腰かけ、ぞんざいな態度で問いかける彼女を受けて、私は授業の中で感じていたエンヌのお堅い教師像は容易くも崩れ去った。
「貴女、授業中に何をしていた?」
「何を、といいますと」
「授業中、貴女からその年頃の平均値を優に上回るアビロイド……魔力と思いなさい、それが放出されていた。そして執拗に辺りを見回していたわね」
アビロイド、あの粒子はそう呼ばれているのか。
「それに、今回だけではない。学校が始まって三日、私は四度貴女の教室に立ったけれど、四度とも似たようなものを感じた」
随分と神経質なのか、粘着質なのか……しっかりと記録でもしていたのか?
ご丁寧なことね。
「少しぼうっとしていました」
だけど……読み通り聡いな、分析行為を見抜いていた、か。
が、直ちに物的証拠を提示しない辺り、痕跡とかを見つけていない単純な状況からの推測なのだろう。だから今は、いきなり根拠もなしに嫌疑をかけられている状態にすぎない。どうにでも言い逃れできよう。
「下手な嘘はやめなさい。私の目の前で嘘を吐けると思わないで」
碧眼が琥珀色に変わった? 分析の魔眼か——そう感知した途端、全身が重くなった。
なに? これは……。抵抗するのに精いっぱいだ。
疲弊とか、そういう体内から起こる重みではない。体外に、無理やり重量がある程度ある物体を吊り下げられている気分だ。
〈術式〉を発動して回避する程過酷ではないが、このまま放置するのも気分が悪い。
「別にあの程度の授業を聞いていなかったことを咎めるつもりは毛頭ないわ。ただ、何をしていたか、それを教えなさい」
「…………」
口唇が痙攣を起こし、咽喉元に異様な熱と刺激を帯びた。
全身に電流を無理に注がれているようで、軽度の金縛りに近しいものだと私は思った。
「ぁ…………」
全身は微動だにしないというのに、声だけは勝手に紡がれはじめている?
ふむ、無抵抗だとこうなるわけか。
なんとなく彼女の今していることの本質が掴めそうである。
そうして無理やり自白させる、ということかしら?
最悪の教師もいたものだ。
だが、流石に生徒に本気を出すわけはないか……その気になれば、現状はなんていうことはない。
背面の鞄が少し、振動する。中で本が勝手に見開いているのだろう。エーデルワイスとの一件の後、少し幅を拡張し、ぎりぎり見開けるようにしておいた。それでも限度はあるから多少鞄が不自然に軋むが。
「……いいえ、本当に他意はありません、次からは真面目に聞くようにします」
私の言葉を聞くと、エンヌは蟀谷を人差し指で何度か叩くと、けだるげに息を漏らし、瞳の色彩を碧に戻した。
「わかったわよ、もういいわ、帰りなさい」
「はい、ありがとうございます」
難は去ったか?
ひとまず、素直に撤退しよう。一度礼をし、部屋を去ろうと扉に手をかけた瞬間……。
「鞄、改造しているの?」
「!」
そこに目を付けたか!
抜かったわね……流石に魔導書っぽいあの本を読まれるのは困る。
「校則とか、面倒な指導するつもりないけれど……五月蠅い教師はいるから、程々にしておきなさい」
「……はい、わかりました」
なんとか危機を回避できたが、エーデルワイスの時といい、運任せが最近の行動で目立つ。私としても、蓋然性に身を委ねるのは嫌うんだけども。
とりあえず目の前の厄介な難は去ったね、確実に。
エンヌ女史、掴み所がなくて、底が読めない相手だ。
兎も角……明日は襲撃本番だ、気を引き締めていこう。
エンヌは、最後までカノン・シノザキなる童女が去るのを見届けていた。
完全に足音が室内にも響かなくなった段階で、目を瞑り、溜息を洩らした。
「なによ、あの化け物じみた抵抗力は……」
人によって、これまた素質の話だが、〈術式〉の効果を素直に受けやすい人間とそうでない人間がいる。その両者の相対的な差異を数値化したものが抵抗力である。彼女程の術師になるとかなり抵抗力が高く、並みの幻惑であればそもそも受け付けないくらいには強度が高い。
だが、流石にあの年代の子は如何に優れようとも知れている。少なくとも、今仕方エンヌが用いた自白の〈術式〉を難なく抵抗しきる力などないし、そもそもエンヌのあの術式を無傷で脱せられる存在を彼女は人間種の中では知らない。
確実にエンヌには自覚があった。自身の魔力量を、年端も行かない少女が推し量ろうとしていた事実を。
無論、高度な術師は彼我の戦力差を悟らせないために意図的に魔力量を零にするなどと調整するから彼女は気づいていないだろう。だが問題は知られなかったことではなく、彼女がそれを視ようとしたことにある。
「分析系統の〈術式〉に特化した才能がある? いいえ、それでは実技試験のことは説明ができない」
実技試験は代謝調節或いは肉体強化に才能を極振りした風に感じていた。
しかし、今日の段階で一遍に振り切った才能ではないことは自然と証明されてしまった。
「なんなのよ、あの娘は……」
エンヌは、長い術師人生の中で初めて……人間に興味を抱いた。




