第11話「奏音、先手を取られて初敗北」
奏音に学友(仮)ができる……かも?
昨晩はよく眠ることができた。
慣れない長旅から継続して精神を磨耗するだけの妙でいて理解不能な試験問題の連続に、厄介な実技試験と矢継ぎ早に繰り広げられる中私の体躯は限界だったようだ。
眼が覚めると、既に窓から見える芝生の庭には若干数人が集まっていたようだ。
今は何時だ?
思えば、自宅に時計はなかった。ていうのも、厳密な時間感覚が要求される仕事を父母ともにやっていなかったからだ。専らは農作業で、時折市場に卸しに行く程度。長年の経験が豊富だった2人には、既に体内時計なるものが備わっており、改まって何か用意する必要はなかったらしい。
朝起きて、日が暮れるまで仕事をする、といった風に。
で、取り敢えず部屋に据え置かれた棚付き机を調べることにした。
ほんと、寮といった感じの部屋だ。
ベッドにクローゼット、そして簡素な机に一箇所だけあるランプで夜は部屋を照らす。合格が確定次第、実家から衣服を送ると父母は言っていたから、今は着の身着のまま。軽々としたものだ。
結果として、大変に残念なことだが、時計という時計は見つからなかった。
困った、大遅刻かもしれない。
学生が大挙に集うのを見る辺り、まだ問題ないと思えるけれど。実際問題、時刻の把握ができないのは厄介か……。しかし、そんな不自由な世界に半ば無理やり拉致されたわけだが、何もかもが不自由になったわけではない。案外柔軟に対応できるのではないかということを知った。そう、この本ならね?
この本を私は知っている、筈だ。何となく抜けた記憶の一部にその答えがありそうな気がする。兎も角、時計というか時刻を知る術がないなら、この本の力を借りればいいのではないか。実証してないからぶっつけ本番だけど、時計一つ作るのに制御が困難なんてことはないだろう——頭痛なんて起こらないと信じている。
やるぞ、少し重いまぶたを冷水で叩き起こして準備する。指の骨を鳴らし、机の上に丁寧に置いておいた書物を開く。そして、手をかざす。
(イメージとしては……テレビとか、そういう画面に投影するような……)
すうっと呼吸して、円環を描く。
すると、虚空に焼印されるように数字の羅列が表示されはじめる。
そこまで深くイメージをしてなかったが、まさか秒単位まで表示されるとは……。
「八時か」
これは今日のイベント的には遅刻なのか? それとも早起きの類なのか?
思えば、聞き流していた教師の話の中に、合否発表の頃合いは九時くらいだとか言っていたような気がする。なら、まだまだ余裕か? ゆっくりと準備をする時間は存分にありそうだ。
「ていうか……あの人ら早すぎでしょ」
気が逸る気持ちもわからなくはないが……あれでは一周回って迷惑なのでは?
まぁ、初日から面倒ごとを起こす物好きはいないか……この世界に半端な不良はいなさそうだし、不良になるくらいなら一端の盗賊にでもなりそうだ。偏見でしかないが。
文句ばかり並べて、当の私が遅刻することなんてあってはならない。
時間は十分にあるから、ゆっくりと準備をして、十五分前には会場に出られるようにしておこう。
さて、勿体ぶる意味は薄いし、合否の方を手早く告げようと思う。
無事合格できた。自身の点数が不明なので、境界にぎりぎり引っかかっての合格か、何ら問題のない合格かはわからないけれど、Aクラスに加入している辺り、懸念は杞憂に終わったようだ。これにて一歩前進だ。
そして、そこから数十分が経過すると、合格者は筆記試験の時に使った部屋へと合格者一同で会することとなる。試験前後のこう、なんというか地に足がつかないような浮遊感に晒された受験生達が、自然と醸成していた鈍重で少し酸味のある空気感は完全にどこ吹く風。いつの間にやらそんな緊張を帯びた灰色の様相は一変して、これからの生活への期待に満ち満ちた橙色といった、蛍光色の感情に成り果てていた。
これは後に知ることとなるのだが、この学校に入学できれば、卒業後には幅広い選択肢によって世界に出られると名高い、言わば一流校のようだ。
やはりこの世界の学園にも敷居を始めとした学歴差があるそうで。貧富の差も顕著なので、貴族の生まれでも長男と三男などでは通学できる場所がまちまちのようだ。中流から貧困貴族ともなると、当然皆が皆同じ位の学校に通えるわけもなく、優秀な跡取りを見送ってからは、消化試合のようにいくつかレベルを落とした学校に、残りの子息を放流するそうだ。
ふむ、世界が変わってもお財布事情にはそれなりの共通点があるようで、世知辛い話だと私は思った。その点、どうにかうちの家は私を送り出す算段があったそうだ。感謝感謝。
ここから二日間は準備期間で、三日後から本格的に授業が始まるという。その間に生活必需品を揃えるもよし、近辺を探索するもよし、学友と親睦を深めるもよしとされた。私としては生活必需品とか書物とかを探して、余暇を消費しようと考えていたのだけど、出鼻をくじかれた。
「私、アニスっていうの。名前を聞いていいかな?」
「貴方は……」
確か、最後の最後まで残っていた対戦相手だったような。
「……カノン・シノザキよ」
解散や否や流石に目の前に立ち、此方の視線をがっちりと固定された中で無視することはできまいて。お礼参りではなく、単純な交流目的だということはわかった。最も、前者よりも面倒なんだけども。
で、成績優秀者と目される彼女が直々私の元へ来るだなんて……。
うーん、流石にこの年齢で計略とかを練っていることはなかろう。
小学校高学年にもなると、女子生徒間で綺麗な言い方をすればコミュニティ、身も蓋も無く、忌憚無く言うならば派閥闘争が勃発する。
換言すると、闘争終結後の閉鎖された空間における序列、学生生活風に言うとスクールカーストが確定する儀といっても過言ではない。勝利した陣営が、学年内でものを言わす権力を得る。それに対し、敗北した陣営はその閉鎖空間ではほぼほぼ人権が失われたと考えて問題はない。何か決定的な反撃の一手を見出し、それこそ革命でも起こさない限りは確定的にその空間における生活は地獄と化す。敗北した陣営の主犯格が結果、不登校になるなんてことは稀なことではない。
そして、陣営同士の派閥闘争において最重要となるのは構成員のメンツだ。クラスの顔的存在が自分側に所属するだけで、圧倒的なアドバンテージとなるし、その段階で勝敗が決したと考えても過ぎることはない。普通の庶民的な生活の中にもその脅威は潜んでいるというのだ、多様な位の貴族の血を引く子息が一堂に会するこの場でも、早いうちにその争いは始まるだろう。
で、この少女はいったいどちら側なのだろう。
私を取り入るために既に動き出した策士か、或いは単純に交友関係を広げたいだけなのか。流石に数日でそれを推し量るのは無理だろう。もしも仮に狡猾な人間なら、たぶんしばらくは尻尾を出さない。変に慕われるのも厄介だが……。
ただまぁ……目の前にあるのは屈託なき笑顔。邪険にはするまい。当たり障りのない会話で茶を濁し、今日は乗り切ろうと考えたが、彼女は私よりも上手だった。
「今から学校を見て回ろうよ!」
いや、こりゃ無意識のうちに起こる善意だな。いくらなんでも深読みしすぎか。
あー……駄目だわ。元の世界では色々あって人を信じてこなかった。そんな中で突然異世界に転移したとて本質は変わるわけもない。別に変えようとも思わないが、兎にも角にも私が何かをしだす前に彼女は私を射止めた。その時点で、初戦は私の敗北だろう。
変な羨望の眼差しを向けられるのは御免だが、多少の付き合いは私の狙う安寧にも時には必要だろう、と割り切った。
「こっちだよ!」
彼女を一言で評するならば、元気の塊だった。
彼女の歩みは早く、新天地を前に意識を高揚させているのが明白だ。
彼女はどこからか、学内の地図を手に入れたらしい。それを見せてもらった所、私の知る小学校や中学校よりも明らかに広大だった。一流校の名に恥じない荘厳な造りには、如何にも顕示欲に溺れた大人達が考案しそうな施設に満ち満ちていた。外見が奇怪な道具やところ狭しと陳列された書籍に小物……どれも私の小遣い程度では手が届きそうになさそうだ。術式の体系を未だ知らないから言及しづらいところもあるが、基本的な理論体系は科学に近しいのだろうか? 根幹にあるのが学習・実験なら慣れ親しんだものもあったから幾分か楽なのだけど。
しかし、同伴するアニスはそれらの施設類には興味のないようだ。むしろ興味は食堂や合同浴場などのエンターテイメント性の高い施設だった。でも成る程、確かに興味を引くものがある。
私たちが到着したのは、元の世界風に言うと体育館といったとこらか。室内は壁により各区画は十五メートル四方に均等に切り分けられている。各区画には生徒にはそれこそ浮遊でもしない限りは手が届かない場所にある天窓のみ。地面は周りと同じ材質なもの……と思いきや、驚いた。区画によって、多種多様な足場が再現されているようだ。通常の体育館のような、木造の床も勿論のことながら、スチームパンクを連想させるやけに金属めいた床。或いは草原の大地に、湿地、沼地などもあり、果てには氷河や溶岩地帯があるものだから驚愕する一方だ。
また、区画によっては上級生が活用しているものもあった。よく見れば、2人の学生が光球を奪い合っているではないか。足場はどう維持しているかは不明だが、台風一過などの際に見られる濁流だ。それが、その、四方の空間にのみ形成されている。
ふむ、これが術式か。こんな活用法もあるのね、と予期せぬ使用法に感銘を受けた。勿論表情には出さないけれど。
(いつか真似する時が来そうだから、仕組みを勉強しておくべきね)
あとは図書館なんかもあるそうだ、暫くはそこに通い詰めるというのもありかもしれない。
「ねえアニス、先輩方は何をやっているの?」
「ハンドボールだよ」
「えっ」
唐突に元の世界の用語が彼女の方から発せられたから、面食らった。
だがクッキーを対価に翻訳しているのだから、此方の世界の言葉を私が理解しやすいように咀嚼した結果、よく知っている言葉に置き換えられたのだろう。
私が変な声を出すものだから、アニスは少し首を傾げたが、すぐにこのゲームの説明に入った。要するに、術式込みの球技の一環だそうで、アニスは一際強く興味を示していた。成る程、彼女はこういったものに興味があるのか。
ますます私とは遠い存在ではないか。
人並みの運動神経だったけれど特段体育が好きというわけでもなかったし、教師の不在等で体育の授業が流れた時とかは、表には出さなかったがそれなりに喜んだものだ。
だから、というわけではないが、むしろ座学の方が得意であるのだ。
まぁ……こんな大それた施設を設置するくらいだ。此処を十二分に活用した授業とやらがあるのだろう。柔軟とかを欠かさないようにしておこう。
遂に彼女は特別食堂で食事をしようと誘ってきた。
特別、と銘打っているくらいだから、通常の三食が自動的に保障されてる食堂とは異なる。
簡単に言えば……レストラン街なのである。
例えば特別食堂で食事をする際には、別途料金を払ってそこのご飯を食べられるという。なにぶん貴族の子息が多く通う学校だから、そういう変な配慮もあるようだ。別途料金が必要というのがかなりのポイントで、私が足を遠ざけた理由である。
無論、小遣いは並みに支給されている。ありがたいことに。だが、今後のためにある程度の貯金をすべきだろう。だから私は初日からの贅沢を避けた。
(今後のお金をどうにかしないとね。なにかこう、今の年齢でもできることはないだろうか)
就労が一番の稼ぎ口ならば、迷わず休日にバイトなんなりをするとも。
だけど今の私はどこからどう見ても小学生。そんな彼女に賃金が発生する仕事を任せないだろう。仮に何かにありつけたとしても、貰えて少しの菓子類などが購入できる程度の駄賃だ。少なくとも……本格的に動き出す頃には支援なしで数週間は生活できるような資金を調達していたいところだ。
明日も予備日なので、その他のことを雑多に考える日にしようとカノンは決めた。




